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2014年4月19日。
熊本。 故郷に帰ると、いつも高校の同級生たちが呑み会を開いてくれる。 夜遅くまで呑み、そしてそのうちのひとりが毎回ほぼ強引に自宅へ泊めてくれる。 帰りは深夜になるし、もちろん奥様は起きておられないけれど、 寝具がちゃんと用意されている。 ありがたいし、遠慮はしたくとも どうにも逆らえない。 朝、その彼が言った。 霊厳洞(れいがんどう)に行こうか、と。 えっ、と思った。 こっちの気持ちを見透かされているのか、と。 今回の旅で、故郷に着いたならば一度行ってみたいと思っていたからだ。 けれどもそれを言うのもはばかられた。わざとらしくなってしまうから。 ほう、よかねえ、行こか。 で、彼が運転するベンツに乗った。 ベンツで山登り、と。 金峰山(きんぽうざん)。 わたしのイメージではこの山の向こうが熊本市街。 こちら側はわたし達が住む田舎。 この山に霊厳洞はある。 宮本武蔵が晩年ここに篭って書いたのが「五輪書」。 歴史によればちょうどいまのわたしの歳に宮本武蔵は熊本を最期の地と定めた。 細川護煕元首相のご先祖、熊本の細川家しか彼を拾ってくれる藩はなかったというのが実情だろうか。 この洞のたたずまい自体はその頃と変わっていないという。 奥には観音像が祀ってあるというが、格子に囲まれてよく見えない。 自分は生涯60数度闘ったが一度も負けたことがない、という有名な自慢で始まる五輪書だが、京都での吉岡一門との対決、巌流島での佐々木小次郎との決闘などなど有名な事件はどれも虚実あい混じるもので、いま私たちが知る宮本武蔵のイメージはほとんどが小説からきた虚像だという。 武蔵の実像はどうあれ、 五輪書というのは殺人剣のマニュアルだと解していいだろう。 しかし武蔵の殺人術はあの時代、もう必要とされなくなっていた。 下克上の時代は終わっていたからだ。 霊厳洞は霊厳禅寺というお寺の裏にある。 かなり危ない路を登ったり降りたりしなければならない。 わたしは小学校4年の修学旅行でここを一度訪れている。 と、思っていた。 ところが実際今回行ってみるとずいぶんイメージがちがうのだ。 洞にたどり着くまでの危ない路や途中にある五百羅漢などもまったく記憶にない。 もしかして ここを訪れたというのはわたしの間違った記憶であり、 その記憶のなかの洞の景色は夢で見たものだったのかもしれない。 小学校の同級生に会ったら一度聞いてみようと思う。 記憶は あやうい。 |
2014 日本の旅
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