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2016年4月24日。
福島県南相馬市小高区。 震災から5年。 今も続いているボランティア活動センターへ友に連れて行ってもらった。 通称「ボラセン」。 この地域でのボランティアを希望する人は朝、ここに集まる。 そして指示を受けて現場へと散る。 5年の月日と活動の積み重ねがこの場所を作っている。 「できる人が、 できる時に、 できる事をする」 というのがここのスローガンだ。 掲げられたパネルは手書きのもので、 「木の伐採といわれたら」 「パイプハウスの解体といわれたら」 「チェーンソーの掃除について」 「木の枝払い、玉きりについて」 「南京(トラッカーズヒッチ)の結び方」 などなどで、 何もできない私などを勇気付ける一言、「出来る事を増やしましょう!」とも。 私たちは4人組で行ったのだが、ここでの活動経験のある者は一人だけだった。 チェーンソーを使ったことのある者も一人だけ。 与えられた仕事は竹の伐採。 放射能除染作業のために伐採しなければならないのだが、行政は伐採まではやってくれない。そこで民間の出動となる。 プロの人々の後に付いていき、あまり技術のいらない力仕事などを担当。 住人が避難して久しい無人の人家。 その裏山いっぱいの竹の林。ここを丸裸にするのだ。
根元の直径15センチ、高さ10数メートルあろうかと思われる竹がチェーンソーで切られて急な斜面に倒れ落ちてくる。われわれがそれを引きずって枝打ち場所へ運び、2メートル位ずつに切り分けて積み上げていく。 道具はチェーンソーとバール、そして鉈だけ。ほかはすべて人力だ。 切られた竹はまたどこかに運ばれ、機械にかけて細かく砕かれる。 もったいない気もするが竹自体も汚染されているということだから仕方がない。 私は40センチほどの鉄の鉈を借りて枝打ちを担当した。 鉈の使い方を習った。 鉈は両手で持ち、刃が入ったところでぐっと腰を入れるとスパッと切れる。 刀でいう袈裟斬りか上段斬りだ。1000回は振ったと思う。 次の日、腰と腕と首と肩が痛み、握力はなくなっていた。 腰の痛みにいたってはこの6月まで悩まされた。 この文章を書いている今、南相馬の大部分の避難指示が解除されたとのニュースを知った。 『帰還の対象となる住民は1万人を超え過去最多となるが、故郷での生活を再開させる人は少ないとみられる。』とニュースは伝えている。 |
2016 日本の旅
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