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わたしは将来、大臣もしくはそれに準ずるような地位に就くと言われたことがある。百歳近くまで生きると言われたこともある。もうすぐ素敵な女性と出会い添い遂げるとも。ことごとくが外れ、あるいは外れつつある方向へすすんでいるけれど、これらの言葉はどれも私を慰めたり安心させたりするという目的のためにわざと発せられたものだった。なぜなら、これらの予言をくれた人々こそが最悪ともいえる状況に置かれた占い師たちだったからだ。
ある者は難民キャンプの中で明日を特定できない日々を何年も暮らしていたし、またある者は民族間のゆえのない憎悪のテロで焼き出された寺院の中に座る僧侶であったりした。まわりには同じような目に遭わされた普通の人々がおり、だからこそ、彼らは最後の手段として「言葉」を紡ぎ出すことに専念していた。少しでも、たった一言でも、人を安堵させる言葉を。そしてそれらの言葉は、汗と垢のにおいであったり、焼け跡に漂う線香の香りのなかで、信じたいと思う心をわしづかみにするような血走ったまなざしとともに発されたのだった。
その彼らこそ今どうしているのだろうか、私は知らない。
つい先日、信州長野に住む知人が蛍の便りを寄こした。
「さびしい かなしい 闇のとき 光の名前を 言ってみる」と彼女は綴っている。
闇をたどれるはずはない。けれどもふわりと灯るあかりがあれば、人はそのあかりに名前をつける。そして、最後に気付く。そのあかりこそが自分自身であることに。
結局のところ自分は自分で産まれて生きて消えていくしかない。 2017/08/06
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