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目撃者は30人のみ

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その彼は普段は現地採用のスタッフとして日系企業で何食わぬ顔をして働いている。けれどもその仮面を脱げば、「怪優」と呼ばれる役者としてタイ以外の国でも知られるとんでもない経験と実力をもつ日本人なのだった。
その彼が新人に戻ったつもりで一人芝居の舞台に立つという決断をした。

十数年前、私は彼に直談判をしたことがある。私が書いた芝居に出てくれないか、と。一言で断られた。「自分で書いた芝居にしか出ませんから」と。

あれから紆余曲折があり、彼とは何度か舞台で共演した。そして今年の9月、小さなスペースで彼との二人芝居をやった。
彼の演技は台本の中に隠されている狂気や凶器を読み取ってそれを鏡のように共演者と観客にぶつけてくる。あっけにとられるのは私たちだ。段取りではなく、その場その場の瞬間に生きるのが芝居の醍醐味だと頭でわかってはいても実際にはまず出来ない。けれどそのあこがれの演技を共演者として50センチ前からぶつけられた私は幸せ者だった。

その彼がたったひとりで舞台に立って私たちにある風景を見せてくれるという。それはまだベールの向こうなのだが、彼自身がこの地で出会った様々な人々をモチーフに謳う応援歌になるらしい。この12月、私たちはそんな舞台を目撃することになる。たった一回だけ、30人しか入れないスペースで。この地に住む日本人たちとはどういう人々だったのか、それを一人の男が自分のなかで昇華して別のものに作り替えて見せてくれる。

現採(現地採用者)は時として俳優であり錬金術師だ。


久しの火遊び

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食や食材からはつくづく遠く私は生きている。食に興味もなければ味の善し悪しも分からない。鶏、豚、牛、魚の区別くらいつくが、それらの肉の部位がどこだとかここだとか言われても右の耳から左へ抜ける。経験値として蓄積されないのだ。

そんな私に、ある芝居仲間がタイの土鍋をくれた。カンカンにおこった炭火の上に丸く居座る、屋台でよく見かけるあの土鍋だ。もちろんタイの「七輪」もセットで付いている。インテリアとしても愛嬌があるし、いつかこれで焼き肉やしゃぶしゃぶパーティもできるだろう。心のどこかに火が点いた。

その日、私は初めてタイで炭を買った。土鍋はまずいちど米を炊くといいそうだ。目地が詰まって水漏れを防ぐようになるという。お百姓様には悪いが、食べるためではない米を初めて炊いた。次から次へと初めての経験が紡がれていった。そもそも炭火をおこすこと自体初めてといっていい。けっこう難しいのよ。最近やっとコツをつかみ、一発で火がおこせるようになってきた。

男は子供の頃から火で遊ぶのが好きだ。危険がまとわりついているからだと思う。泥水のように重く、のたりとたちのぼった煙が音を立てて炎に変わる。煙の後を追うように炎が躍りあがる。私の顔に熱がぶつかってくる。きっと私の眼にも炎の色は映っていると勝手に思う。その瞬間、わたしは花火師にもなるのだった。

いまのところこの火は私の無為な時間と妄想を燃やしてしまうことに使われている。ま、いいだろう、いつかこの火で肉でも焼いて食べる日が来るさ。
                                                                                 2018/10/19

海が呼んでいる


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もうすぐ航海に出る。船出をすることになった。
九月の下旬にやる二人芝居という海への船出だ。90分間二人だけで演じ続けるバトルロワイヤルになる。観客に笑いながら泣いてもらうこと、それが合い言葉だ。
それぞれが同じ台本を持っているのだけれど、読み方がちがう。相手がどう出てくるか分からない。取り舵か面舵か。どんな波が来てどんな風が吹き、どんな海流が先に待っているのか、その戦いがもうすぐ始まる。
実際に国を越え、国境を越え、現実の人々に逢う、そういう旅もあるだろう。が、いま私の前にあるのは芝居という名の行方の分からない大海。行き着くところさえまだ分かっていない。

長い台詞に迷い、短い台詞に悩んでしまって一晩眠れなかった。だから私はプラカノンの通りに出た。まだ東の空が少し白んでいるくらいで、通る車の数は少ない。その車たちもヘッドライトをそのまま点けて走るか消していいのか迷っている。空気のなかに夜中に降った雨のにおいがまだ混じっていた。
歩道橋に登ってみると、ペットボトル、コーヒーの紙コップ、煙草の吸い殻、ビニール袋、誰かの嘔吐のあとまであったりするのだけれど、一番鶏はまだ鳴かない。けれど驚いたことにバスの中にはちらほらと制服姿のOLがいたりするのだった。まだ、影も定かでないこの時刻に彼らの表情にもう眠気はないように見えた。
いつものバンコクがそっぽを向いた顔で始まろうとしているのだった。
この街は私を呼んでいない。
けれど、舞台という名の海が行方も定まらぬままに私を呼んでいる。
                               2018/08/20

そんな未来

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「2001年宇宙の旅」という映画。
いまも観るたびにその映像の精緻さと光の美しさ、静寂、そして難解さに引き込まれてしまう。
映画が公開された当時、まだ人類は月に降り立っていなかった。わくわくするSFものだと思って観に行った小5の私はなけなしの小遣いを無駄に使わされた気がして映画館を出た。
けれども。
私が大学生の頃、この映画が初めてテレビ放映された時には、その時間帯に全国の銭湯から客が消えたと報じられた。
アーサー・C・クラーク原作、スタンリー・キューブリック監督というレジェンドが組んだこの映画は、時代を超えた名作、最高峰のひとつとして今もその評価は変わらない。CGを使ってもこの映画にかなうものはあるまいと私は勝手に信じている。

1999年7の月には人類が滅ぶといわれ、2000年には世界中のコンピューターが狂うとおどされ、石油は枯渇するとか核の危機とか、温暖化で海は広がり気候は変わると叫ばれ、なおもあれがありこれがあるという。しかし今の私はもう未来の予測を信じない。信じても仕方がないし期待しても裏切られるだろうとしか感じないからだ。

クラークは「2001年」で類人猿から人類へ、そしてAIの登場と新しい知見へという現代への流れを正確に予測した。そして「3001年終局への旅」という作品も書いている。科学技術という点では今の私たちにとって1000年後のそれは初めて知るものなどあまりないという予測が貫かれている。
千年後も私たちは生きている。
ならばそれでいいじゃないか。
と、わたしはDVDのスイッチを切る。
                      2018 02 20

えんとつ町

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日本人学校に通う子供たちの「演劇サークル」にコーチとして関わっている。
『えんとつ町のプペル』という絵本があるがご存じだろうか。大ヒットを飛ばしているらしいが、いかんせん、私はまったく知らなかった。
けれどもこの絵本を使って今、子供たちと遊んでいる。文章を読むのでも絵を見るのでもない。そのなかの一シーンを、本を捨てて体を使った芝居にしてしまえという遊びだ。
選ばれたのは空を飛ぶというシーン。砂浜にうち捨てられたボロ船に風船を結びつけ、それに乗り込んだ登場人物たちが遙か高みへ星を見に飛ぶ。
舞台装置も衣装も照明も、大道具も小道具も音響も無いなかで、子供たちに与えられた道具は自分のありのままの体だけだった。しかし、何とわずか2時間の稽古の後、子供たちは船を作り、風船を膨らまし、揺れるボロ船に乗って風のなかを飛んでいった。子供たちはこの旅の果てに星を見ることを信じていたし、その演技を観ていた親たちは自分の子供のなかにまたひとつの星を見つけて息を呑んだ。
人は重力に日常的に逆らうことは出来ない。一生を地に這って生きるしかない。東西南北のどこかへ行くしかないのだし、前後左右だけで上下はない。それでも人はその体だけで星に手を伸ばすことができるのではないか、と感じさせられた一瞬だった。

今月21日、タイ時間では午後10時を最高潮としてオリオン座流星群が夜空に現れるという。地を這う自分も、たまには星を望んで首を上げてみようかと、そう思っている。子供たちもまた、その時にきっと空を見上げている。

                                            2017/10/09

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