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さぁて、どうするかな・・・・

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前略おふくろ様

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前略おふくろ様。
ご無沙汰していましたが、俺生きてます。

昨日、目が覚めると自分の手が目の前にありました。このバンコクの、俺の棲家は言ってみれば下町で、朝から結構うるさい音が窓から流れ込んでくるわけで、俺はその音で目が覚めたらしく。でも体は急には目が覚めない。窓から差し込んでくる光をいつの間にか手だけで遮っていたわけで。びっくりしました。死んだ親父さんの手を思い出しました。あなたのようにいつまでたっても手入れをされた女の手ではなく、ふしくれて、しみができ、しわと血管とが目立つ汚い手です。

前略おふくろ様。俺ももうそんな年月を生きてしまったわけで、だから、自分の手の醜さにやっと気がついたわけで。手だけは俺の気持ちにかまわず正直に歳をとってきた。たとえばここに一本の道があるとする。道路があるとする。鉄道があるとする。それを辿ってみる。20年ぶりか、30年ぶりかで辿ってみる。そして気がつく。もうあの頃の道はないことに気がつく。そしていまの旅人たちに出会う。彼らはいまの目で初めてその道を見るわけで。いまのことしかわからないわけで。彼らの目でいまの俺の手を見るわけで。
前略おふくろ様。彼らは知りません。あの頃、あの町がもっと暗かったこと、暗いけれど怪しく魅力的だったこと、森が高く濃かったこと、あぜ道が長く農夫の姿さえまれだったことを知りません。結局、いまからしかすべては始まらない、その繰り返しです。
前略おふくろ様。休みがとれたら飛行機に乗ります。乗って会いに行きます。それまで元気でいて下さい。
                        2017/05/05

駐在員の妻

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タイに駐在する日本人会社員の奥様たちのことを「駐妻」という。
ご主人の赴任に伴ってこちらへついて来られた奥様たちのことだ。
この言葉はもう世間に認められたのだろうか。
それとも未だにタイの日本人コミュニティでだけ通じる言葉なのだろうか。

今回、ある雑誌から依頼されたコラムのお題が「駐妻ないし駐在員」だった。
駐妻だけをお題にされたら私はたぶん悩みに悩んでギブアップしたかもしれない。駐妻とは「家族や子供を抱えた女性がこのタイで突然翼を広げた姿」と、私の辞書にはそう書いてある。
それをテーマに文など書けるはずもない。原型の「女」さえわかっていないのだから。

その雑誌の一本前の特集が駐妻さんのタイ生活に対する感想のインタビュー特集。今回は駐妻の皆さんからの「リクエスト」を受けて旦那さんの側からの意見にもフォーカスを当てるという。
オイオイ、万葉集でいうところの相聞歌(そうもんか)か。
女から男へ、男から女へ送られた歌に歌で返すというあれか。

あしひきの山のしづくに妹(いも)待つとわが立ち濡れし山のしづくに
と、大津皇子(おおつのみこ)が詠めば、

吾(あ)を待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくに成らましものを
と、石川郎女(いしかわのいらつめ)が返す。

あなたを待って山の雫に濡れました、と言い、あなたが濡れたという雫になりたかった、と返すわけだが、ま、特集はそんなロマンチックなものじゃないだろう。
たぶん男性も女性も決してタイ生活の結界の向こうまでは語らない。
だろうなと思う。
女は嘘がうまい。というか、嘘を嘘と思っていない。男はそれにだまされながらも、姑息、という手を使う。
このタイという国とそこに暮らす毎日がその男女の目にどのように映っているのか、観客として観てみようと思う。
ああ、独りでよかった。

紫草(むらさき)のにほへる妹(いも)を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも

いまの謎

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久しぶりにスクンビットの夜の繁華街を歩いた。アソークからソイ3にかけての歩道沿いだ。涼しかった時季が過ぎ、これからやって来るつらく暑い時季への心の準備をしつつのそぞろ歩きだった。
そこで、しばらく歩くうちに妙な違和感をおぼえ始めた。
何かが違う。そう、露店がないのだ。
道路側にいつも出ていた露店たちが、ない。
この歩道はついこの間までトンネルを歩くような道だった。ビニールの大傘とテント幕が頭上を覆い、道路も高いネオンも見えなかったはずだ。張り出した露店は邪魔で、歩ける場所は狭く、そこをやっとどうやら人が行き交いすれ違うという道だった。しかし今、道路の車は丸見え、見上げると空がある。道路側の露店が撤去されているのだ。あのお祭り騒ぎのような「トンネル通り」ではなくなっていた。
ここの他にプラトゥーナム地域、シーロム通り、ラチャダムリ通り、サイアムスクエア前などの露店や屋台の撤去が宣告されていることは聞いていたものの、出不精の私が現場を見たのは初めてだった。あるべきはずのものが無いという空虚感。私の歩く速度は遅くなった。
暗い謎ではなく、堂々と胸を張ったようなワンダーがなくなったとき、何もかもが魅力を失う。横を歩いていた先輩が「タイも普通の国になろうとしてるんだな」と一言。その声には辛辣な揶揄と無念があった。
アフリカ系と思える若い街娼たちが私の袖に指をかけて話しかけてきた。無言で振り払った私の目はたぶん不機嫌だったろう。
この国は自らどうなりたいと思っているのか。
それがいまの私にとっての最大の謎だ。
                                                                  2017 02 05
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パンドラの酒壺

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酒の壺を手に入れた。うりざね型の小さな壺だ。
ラオスとの国境あたりでつくられる有名な酒だという。
水を注ぐと中に詰められたもち米が発酵し、おいしい酒になるらしい。20分でいけるというし、それをストローで啜って呑んで酔うのだという。
紙の封を切ると石膏で固められた第2の封が現れ、それを割ると第3のビニールの封が現れた。開くと中にはびっしりと籾殻が詰まっていた。どうやらここに水を注ぐらしい。それから二日間。私は何度も試した。が、遂に酒精は私の舌にも喉にも訪れなかった。味はいつまでたっても薄い砂糖水のよう、籾の味の方が勝って喉はいがらっぽくなるばかりだった。
だまされたのだろうか。そう思う反面、確かに感じた土の味に懐かしさもまた刺激された。壺に貼ってある説明書にはメコン河畔のナコンパノム産とある。
あ、あの街だ。
最初によみがえったのはあの街で自転車のサムローに揺られながら交わした短いキスだった。それをきっかけに次々と諸々が壺からわき上がった。風に揺られる蜘蛛の巣に声を聴いたと感じたブリラムのピマイ遺跡。花びらと水が飛び交うなかでこの国の美しさを知ったと早とちりしたウボンのソンクラン祭。そして想い出はカンボジアやラオスへ飛び、恋を失えばこうなると思い知らされた日本の京都まで行き着いた。
2017年初頭、私はパンドラの箱ならぬ、パンドラの酒壺を開けてみたのだった。
中にはもう何も無い。
ベランダから冷たい風が吹き込んでくれたので私は気をとりなおし、この壺を使って果実酒でもつくってみるか、そう思いついた。

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なにが哀愁だよ っっw

原点に戻った祭夜

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「美しい」という形容詞が嫌いだ。書くときにこの言葉を使うことは極力避けようと決めている。この言葉を使うことですべてが読み手の想像力にゆだねられてしまうし、書き手の仕事は無責任に放棄される気がするからだ。

今年11月の満月は、普段よりさらに地球に近づいて、いつもより格段に大きく明るく空にかかるというものだった。昇ったばかりの時刻の月は東の空に低く、明るくはあるが霞んだ柿色。これが中空に達し、青いとも白いとも表現できるあの光で私たちを見下ろすとき、私たちはどんなまなざしでそれを見上げているだろう。そう想わせる期待を孕んで月は静かだった。と同時に、都会の上に広がり始めた雨雲がせっかくの月夜を台無しにする不安を西の空に掲げてもいたのだ。

私は棲家を出て屋台街へと歩いた。街がいちばん賑わう時刻だが、この日はそうではなかった。音楽は流れず、バイクのクラクションもなく、屋台の裸電球達は妙に目立って輝いていた。その明かりの下に色とりどりの飾り物が並び、かがみ込んだ客も店主たちもささやき合っているかのように見える。
まるで紗のかかった舞台を見るようだと私は思った。役者たちの服はいずれも黒く、余計に夜の闇を呼び込んで街路が暗い。見上げると建物の陰に隠れて月は見えず、ただどこからか天空の光は降ってくる。
一人の国王がもう二度と味わえないと思われていた祭夜を実現したのだ。
巨大な満月の下、花火のあがらない、霊的といっていいほど厳かで静かな、美しい、と書くしかない、原点に戻ったロイカトンの祭夜を。

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