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2016年4月25日。友が運転する車で福島から横浜へ戻る。
4月26日。夜、高校時代の同級生と会い、まだ放火事件のあとの焼け跡の匂いが漂う新宿ゴールデン街で吞み。 その夜11時発の高速バスで東京を離れ京都へ。 2016年4月27日。朝6時前、京都駅着。 東京からふるさと九州まで一気に行くかどうするか、迷ったのだがやはり京都を素通りする気にはなれなかった。 2014年の京都の旅は痛かったが、どうやらあのときの経験で抵抗力はできたらしい。足がすくむこともなく、思い出に押しやられることもなく、ただ、山を見たい、と思いついた。 四条通を東へ。 先斗(ぽんと)町を過ぎ、 坂を延々と登り、そして清水寺。 清水の舞台から京都市街を望む。 そこから北へ。 もっと東山に近く、比叡山のふもとまで。 人のいない山の懐まで。 叡電に乗った。 叡山口から八瀬童子の里、終点駅八瀬へ。 そしてもうひとつの路線の終点、源義経ゆかりの鞍馬へ。 ただただ電車に乗り続け、車窓から山を見上げて時を過ごした。 町へ戻り、思い出深い鴨川のほとり道。 桜はもう散り、雨の夕刻になった。 清水の舞台に設置されていた募金箱。 そうだな、そろそろ九州へ戻ってもいいだろう。あれから2週間近くが経つ。 ふるさと熊本もボランティアを受け入れる態勢ができているはずだ。 九州行きの高速バスは確か、京都駅発夜8時だったな・・・。 |
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2016年4月24日。
福島県南相馬市小高区。 震災から5年。 今も続いているボランティア活動センターへ友に連れて行ってもらった。 通称「ボラセン」。 この地域でのボランティアを希望する人は朝、ここに集まる。 そして指示を受けて現場へと散る。 5年の月日と活動の積み重ねがこの場所を作っている。 「できる人が、 できる時に、 できる事をする」 というのがここのスローガンだ。 掲げられたパネルは手書きのもので、 「木の伐採といわれたら」 「パイプハウスの解体といわれたら」 「チェーンソーの掃除について」 「木の枝払い、玉きりについて」 「南京(トラッカーズヒッチ)の結び方」 などなどで、 何もできない私などを勇気付ける一言、「出来る事を増やしましょう!」とも。 私たちは4人組で行ったのだが、ここでの活動経験のある者は一人だけだった。 チェーンソーを使ったことのある者も一人だけ。 与えられた仕事は竹の伐採。 放射能除染作業のために伐採しなければならないのだが、行政は伐採まではやってくれない。そこで民間の出動となる。 プロの人々の後に付いていき、あまり技術のいらない力仕事などを担当。 住人が避難して久しい無人の人家。 その裏山いっぱいの竹の林。ここを丸裸にするのだ。
根元の直径15センチ、高さ10数メートルあろうかと思われる竹がチェーンソーで切られて急な斜面に倒れ落ちてくる。われわれがそれを引きずって枝打ち場所へ運び、2メートル位ずつに切り分けて積み上げていく。 道具はチェーンソーとバール、そして鉈だけ。ほかはすべて人力だ。 切られた竹はまたどこかに運ばれ、機械にかけて細かく砕かれる。 もったいない気もするが竹自体も汚染されているということだから仕方がない。 私は40センチほどの鉄の鉈を借りて枝打ちを担当した。 鉈の使い方を習った。 鉈は両手で持ち、刃が入ったところでぐっと腰を入れるとスパッと切れる。 刀でいう袈裟斬りか上段斬りだ。1000回は振ったと思う。 次の日、腰と腕と首と肩が痛み、握力はなくなっていた。 腰の痛みにいたってはこの6月まで悩まされた。 この文章を書いている今、南相馬の大部分の避難指示が解除されたとのニュースを知った。 『帰還の対象となる住民は1万人を超え過去最多となるが、故郷での生活を再開させる人は少ないとみられる。』とニュースは伝えている。 |
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2016年4月23日。
花巻を離れて南下。福島を目指した。 宮城県小牛田(こごた)から仙台へ向かう東北本線車内で撮った写真。 電車の揺れをものともせずに車内アナウンス中の女性車掌さん。 その姿がとても頼もしくて美しかったので思わずパチリ。 仙台で乗り換えて福島で友人たち3人と合流。車で南相馬へ走る。 一見のどかな田園風景と間違えそうだが、 あれから5年。 津波の跡のつらいメモリアルの後景に菜の花が広がる。 |
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私の棲家の駐車場でキョロキョロしていたこいつ。 近づいても逃げない。 他の住人も時々えさをあげたりモフモフしたり、誰かに飼われた経験でもあるのか、とても人懐っこい。しかしまだまだ子供。 ついて来い、と階段に続くドアを開けてやると、 2階あたりまでついてきたが息を切らしてうずくまった。 ペット禁止の棲家なので、人の目をごまかしながら私の部屋へ抱き入れた。 こういうときのためにネコ砂とえさは常備してある。 トイレをしつらえてやると早速お使いになりました。 膝に抱き上げてやると喉はごろごろ。 おおおぉぅ、久しぶりだなぁ・・・と感慨にふけっていたら、 突然私の乳首に噛みつきよったです。 ウワッと避けたらもう一方にも噛みつきよったです。 ちなみにこいつ、オスであります。 で、とりあえずこいつの名を「チクビ」としました。 野良にしてはまったく警戒心のない奴で、遊びたい盛り。 ひとしきり部屋の中を暴れまわりじゃれまわった後は足元でzzz・・・。 昼になるとまた外へお出かけで、駐車場のバイクのかごの中で寝てたりします。 人懐こいやつなので、きっといろんな人がえさをあげるのでしょう。 今日は私の部屋で何度か吐きました。 嘔吐物を見てみると、少なくとも3人から違う種類のえさを与えられていました。 単なる食べすぎだといいけれど・・・。 |
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(日にちはちょいと前後するが) 2016年4月20日、夕刻。
この日、イギリス海岸を離れた後、手持ちの観光地図を見ると、最も近い鉄道駅は釜石線の似内(にたない)。花巻の次の駅になる。 歩いた。 これまた遠い。 この日は朝8時から夕方5時まで歩きっぱなしだ。 イギリス海岸から似内までさらに1時間歩いた。 やっと鉄道らしきものが見えたころ、そこを電車が行き過ぎた。 いやな予感がしたが、それは当たった。 誰もいない小さなその駅に着くと、さっき見えた電車が17:56分発。私は2分遅れてこの駅に着いたのだった。 じゃあ、次の電車は、と時刻表を見ると、19:46分発。 この釜石線、平日は上下線とも1日に10本ほどしかない。 上りも下りも昼間は3時間に1本だ。 ではこの狭い、数人しか入らない待合室で1時間40分を過ごすのか。 周りにコンビニなどなく、喫茶店も食堂もない。静かな夕食前の人家があるのみだ。 では、この周りを歩いてみよう、と思った。 どういうわけか、知らないところを旅するときの私は放浪癖がもろに出る。 駅を離れ、国道へ出てそこを渡り、土手を下りて伸びている畑のあぜ道に立った。 畑の中をまっすぐに伸びているあぜ道。遠くの突き当たりは森になっている。 歩いた。 突き当たりまで行ったが、その向こうには川の気配がする。 他人様の畑だが、仕方がない。最後まで、行けるところまで。 靴を泥にとられながら畑の向こう縁まで行った。 まだ先へ行けそうだ。 小さな道を見つけ、頭を低くして雑木の葉を掻き分けながら 出た。 ここへ。 もうこの道からそれて川まで出る道はないと思えた。 けれども、川の気配だけは濃く流れてくるし、日は急に暮れて、 まわりは見る間に暗くなった。 見上げると、春の夜のうすい雲の向こうに月があった。 電車に乗り遅れた私はその偶然に感謝した。 乗り遅れていなければ、私がここに立つことは一生なかった。 冷たい空気、流れてくる風、中天に月、何かが寄ってくる気配。 このとき初めて、私は声に出してつぶやいた。 賢治の名を。 ただ、「賢治さん」と言ったのか、「賢治先生」と呼んだか、あるいは「お久しぶりです」とだけ言ったのか、憶えていない。 1時間後、私はまた駅に向かい始め、 足元も見えなくなりそうなあぜ道を歩いた。 さっきの森が遠くなるのを振り返り、振り返りながら。 再び空を見上げると、 月夜のでんしんばしら。 |



