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さぁて、どうするかな・・・・

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2016年4月22日。
花巻からJRで40分。盛岡に着いた。
駅で田沢湖線に乗り換え15分、小岩井へ。
びっくりするほど小さな駅だった。
トイレはまだ汲みとり式だったし。w

                 *********
           わたくしはずゐぶんすばやく汽車からおりた
           そのために雲がぎらつとひかつたくらゐだ
                       (「小岩井農場」 出だしの2行)
                 *********

さて、ここへ来たのは
591行という長詩、いや、心象スケッチ「小岩井農場」で語られたあの道をたどりたかったのだし、少しでも間近に岩手山を見たかったからだ。

  駅近くの道端から望んだ遠くの岩手山
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         それよりもこんなせはしい心象の明滅をつらね
         すみやかなすみやかな万法流転のなかに
         小岩井のきれいな野はらや牧場の標本が
         いかにも確かに継起するといふことが
         どんなに新鮮な奇蹟だらう

                           (「小岩井農場」パート1 より)

                 *********


パート10まである「小岩井農場」のうち、パート3までが
小岩井の駅からの道のりとして駅前の掲示板に描いてあった。
よし、歩こう。

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車も人通りもほとんどない。
賢治の詩を読みながら「このあたりがそうかな」などと
つぶやきつつ周りを眺めて歩いている人がきっといるぞ、
なんてイメージしていたのだが
誰もいなかった。そりゃそうだ。世の中、暇人はそう多くない、と。
それでいい。それがいい。
そうしたければ誰でもひとりの時をえらぶだろうし。
もし私がそういう人に出会ったなら、私は単なる通りすがりを演じてあげよう。

ファンの心理には不思議なものがあって、
誰もがそれなりの賢治をもっている。
どんな著名人や文学者が賢治の作品とか生き方をどう説明しようが解説しようが、
自分が感じた賢治だけを大切にする。

だから私もそうしたい。
花巻の一日目で箱モノを嫌いはじめたのも、そこに求めるものはなかったからだし、
本でいえば「まえがき」や「プロローグ」や「目次」に過ぎないと気づいたからだ。
「本編」に入ろうと思うなら、歩きまわり、立ち止まり、また歩くしかない。
光と空気と音、そして自分自身。
賢治が感じて言葉にしたものを、もう一度自分の五感と第六感で現実化すること。
賢治に会うという作業には、それしかない。

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掲示板に記されているのはここまでだった。
写真データを調べてみると、小岩井駅からちょうど1時間歩いている。

ここから先は国道219号線を歩き、両側にときおり広がる農場やその施設を眺めながらの歩きになった。前方に常に岩手山が見える。 近づきたくて ただ歩いた。
建物といえば農場関係のものしかなく、
ガソリンスタンドにも出会わなければ(出会ったのに見てなかったのか)
歩く奴が休憩できるような施設もない。(あったのに見てなかったのか)

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小便がしたくなり、仕方ないから林の中に逃げ込んだ。
そしてだんだん不安になってきた。

このまま岩手山を目指して、というか、もっと近く、もっと近くへ、
なんて吸い込まれるように歩き続けて、いったいどこまで行くのだろう。
小岩井の駅まで還るには時間と体力の関係もあって、折り返しということを計算に入れないと・・・。
と、思っているうちにこの国道の、この景色に出会った。

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目の錯覚を誘う眺めだ。
ここはゆるい上り坂になっている。
だから、岩手山の山頂付近だけが前に見える。
もうまるで山のすぐふもとまで来ている気になってしまうのだった。

しばらくすると腹の調子までおかしくなってきた。
小便ならまだしも大きい方となると、森の中で不審なものに飛びつく春先の蛇君とか出てきやしないかと・・・。

へこたれそうになったとき、ここに歩き着いた。
小岩井農場の「まきば園」。どちらかといえばお子様向きの遊園地だ。
けれども、岩手山には真正面から向き合えるし、
子供向けのアトラクションを逃れれば、なんと小岩井農場の現役の施設まで入って見学できる。

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けれどこの時期、岩手山は風の道をさえぎって雲を生む山らしい。
とうとう最後までその全容を見せてはくれなかった。

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2016年4月21日。
朝一番の電車で遠野まで足を伸ばし、ぶらぶらとさ迷った後、
また花巻まで戻った。

午後、駅前からバスに乗り、県立花巻農業高校へ。
ここに、あの建物が移築されている。
大正15年に設立された「羅須地人協会」だったあの建物。

というより、

「下ノ
  畑ニ
  居リマス
     賢治」

あの建物だ。

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誰もいなかった。鍵さえかかっていなかった。訪れた人々は自由に中に入り、また電気を消して去る、という。教師や生徒や同窓会によって管理されているのだろうが、あくまでも訪問する人々の善意を信じる、というやり方なのだろう。

私はたったひとりで、椅子に座ったり、壁に触ったり、畳の上に大の字で寝転んだりした。教室風の部屋、廊下、居間、便所、浴室、隅々まで何度も歩き回った。

この春の花巻の、ガラス戸や障子を通してこの建物の中をうずめる空気や温度や色や影、そして匂いと光の具合。
それはその昔、賢治が見て感じていたそれと時を隔てても同じなのだと
信じたかった。ほんの少し垣間見て感じただけだったけれど、信じたかった。

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賢治のファンは、二度のステップを経て、賢治を忘れることができないようになる。
少なくとも私はそうだった。

一度目は賢治の童話や詩を読んで。
二度目は賢治が農学校教師を辞め、この建物に移り住み、独居自炊の生活に入って
「羅須地人協会」を設立し、農村の文化活動や肥料設計に奔走し、自らも百姓として生きようとし始めた大正15年からのことを知ってから。

            ※

     云わなかったが、
     おれは四月にはもう学校に居ないのだ
     恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう
              (「告別」 大正14年10月25日 より)
            ※

生徒たちにそう告げ、

            ※
     陽が照って鳥が啼き
     あちこちの楢の林も
     けむるとき
     ぎちぎちと鳴る 汚ない掌を
     おれはこれからもつことになる
              (「春」 大正15年5月2日 より)
             ※

そう覚悟を決め、そのように生きて倒れた賢治のその後を知ってから、
人は賢治を忘れられないようになる。
ふつう、作品と作者は別物だ。
しかし作品の中で謳ったことそのままを生きた作者、宮沢賢治という人間がいたことに 人は圧倒されるのだ。

では、わたしはこれからどうしよう。

とりあえず、花巻駅まで戻った。そこからまたバスに乗る。
行き先のバス停の名は「賢治詩碑前」。
前述の建物が建っていたもともとの場所だ。
詩碑の下には賢治の遺骨もおさめられているというが、
それはあとから知ったことで、手を合わせることもなかった私だった。
わたしは詩碑に目もくれることなく、その低い丘から遠くを眺めた。

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「下ノ畑」というからにはすぐ下にあるのかとイメージしていたが
遠かった。

直線距離で500メートルは離れている。

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そこは北上川のすぐほとりで

やはり誰もおらず、
風が吹き、鳥が啼き、水の音が聞こえ、

そしてここで、
賢治は泥のついた農具を洗ったのだと
そう信じた。

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シグナルと

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ひとつの思い出深いイメージと、いま目の前にある現実が何かの拍子にきつく結びついてしまうことは、時に不幸だ。
バンコクの棲家のベランダから見えるビルの谷間の巨大なLED広告のスクリーンがそれを教えてくれた。
夕日がビル群を影絵に変える頃、その広告塔は輝きを増し遠慮会釈なくここまで光を飛ばす。それを見た私はといえば、この四月、岩手の花巻を訪ねてきたばかりだった。

バンコクとちがって背の低い街だった。地平を山の稜線に囲まれ、緑のなかに北上川を流す町。春はどうやらここに飽きてもっと北へと足を伸ばしたらしく、用意してきたマフラーは一度も使うことがなかった。
ここから太平洋岸の釜石まで釜石線が延びている。旧岩手軽便鉄道だ。この鉄道の始発駅跡は花巻駅から数十メートルしか離れていない。
この距離をはさんで小さく熱く、そしていじらしい恋物語があった。
宮沢賢治作「シグナルとシグナレス」。
東北本線付きの立派なシグナルと、軽便鉄道付きの質素で華奢なシグナレス。地面から離れることのできない二人は夢のなかでだけ、この数十メートルを越えて間近に顔を寄せる距離に立つことができた。

話は現実に戻る。この二人がお互いを意識していたはずの信号灯の明りのイメージが、私の頭の中で勝手にあの広告塔の明りの印象と結びついてしまったのだ。絶対にちがう、と思った。バンコクのあの明かりが恋心を結ぶ夜霧の中の淡い信号灯と通じるはずはない。
私は舌打ちをしてビル街から目をそらし、東の暗い空を眺めた。
そこにうずくまっていたのは、バンコクをかすめて去った雨季の雨雲だった。

                                   2016・06・18

あの街の夜

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このあいだのパリに続いて、ベルギーの首都ブリュッセルで多発テロが起こった。どちらの町も昔たずねたことがある。だから、無力なひとりとして、夜の話をしたい。


パリの夜の細い石畳の坂道は濡れて街灯に光っていた。ただそれだけが記憶に残る。けれどもブリュッセルの夜は違った。欧州の夜ということなら、いや、これまでに見てきた幾千の夜のなかでは、ブリュッセルの夜が最も鮮烈な印象として残っている。何故なのかはいまだによくわからない。たった一夜か二夜を過ごしただけなのに、あの町の夜の美しさはタイからの旅人である私からアジアの残り香を一気に拭い去った。
石橋の下を流れる川、その暗い水面に映る暖色の街灯。建物も壁も歩道も石造りがほとんどだが、冬のさなかでも寒さを感じさせなかった。夜のなかですべての陰翳がさして広くも大きくもない空間を誇らしげに演出している。それは伝統の時間がもたらしたものなのだろう。明るさよりは光のあたらないおぼろげな蔭が多い。
その蔭たちこそが石造りの通りや広場のあたたかさをつくっていると思えた。
その広場の向こうに一件のレストランがあり、客は多いと見えたがなぜかその周りに人影もなく車の往来もなかった。ただ人々は夜の宴を楽しんでいるのみで、野外の風情はほったらかしなのだった。
旅人がそれを美しいと思ったり平和だと思うのは勝手だが、蔭を大切にしていると感じられるこの街は「夜を売る」ことができる稀有な街なのだと思いながらレストランの前に立った。
中に入ると人々の静かな息づかいに包まれた。

                                                                                  2016/03/24

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2016年4月20日、午後。
賢治記念館、イーハトーヴ館、童話村を訪ねた後、
花巻市街に戻るために私は「歩き」を選んだ。
箱モノから逃れるために自分の足を使った。
観光地図をにらみながら。
観光地図というのはたいていの場合、距離や縮尺が詳しくは描いてない。
とにかく、方向さえ間違えなければそのうち北上川にぶつかるはずだ。
そこから上流へ歩いてイギリス海岸へ行こう、と思い立った。

道のりでいえばそれは大回りだと後で気づいた。
けれども引き返すにはもう歩きすぎていた。

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春、4月、川の水は冷たく感じられた。
このあたりがイギリス海岸、というところまで来て、
川の水量が少ない季節にしかあの景色に出会えないことを知った。

川べりに腰を下ろして、空を見上げたり、風に吹かれたり、川の音や鳥の鳴き声を聞いたりしながら、「賢治に会う」ということがどういうことなのか、私が期待していたことは何だったのか考えた。

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川のなかほどに一羽の鳥が。
身じろぎもしない。
このあたりも浅くてね、時期がよければここも海岸なんだよ、と教えてくれた。

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