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先月九州に帰ったとき、
私の青春の町である熊本県玉名市にある蓮華院誕生寺を訪ねた。
ここはNPO法人 れんげ国際ボランティア会(ARTIC)を運営している。
今回の震災にもいち早く対応した。
どのように活動なさったのか、色々と貫主川原英照僧正に伺ったのだが、
そこで手にした一枚のチラシがあった。
「熊本からの風が運んでくれたもの」と題された福島から寄せられた文が印刷してあった。
読んでいるうち、不覚にも泪が出てしまったので、全文掲載させていただく。
ここに、援助のあり方についてのヒントもある。
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(NPO法人)ザ・ピープル理事長
小名浜災害ボランティアセンター長
吉田恵美子
3月11日。震度6弱という長く大きな揺れがようやく収まったときに、私たちが思ったこと…。 それは「やっと終わってくれた」という安堵でした。
実はそこからが長い災害と向かい合う日々の始まりだとは気づきませんでした。
特定非営利活動法人ザ・ピープルが拠点を置く福島県いわき市小名浜は、日本でも有数の広域市であるいわき市の中にあって、美しい海岸線が自慢の漁業と観光の町であり、小名浜港という貿易港を抱える工業の町でもあります。その町が大地震のあとに津波に見舞われ、原発事故に伴う風評被害を蒙り、実際に経済活動が停止してしまいました。
私たち特定非営利活動法人ザ・ピープルは、「元気な町には 元気な主張を続け元気に行動する 市民がいる」を合言葉に、20年間地域で古着リサイクルなどの実践活動を行ってきました。そして、震災後は、被災された方々のために何かせねば・・・といった止むに止まれぬ思いで、3月16日から被災者支援のために動き出しました。
しかし、ガソリン不足、物資不足、情報不足、資金不足のなかで本当に手探り状態での活動でした。避難所に救援物資を御用聞きのような形態で届けながら、外部の団体から炊き出しの申し出があればお手伝いをする。
それが私たちのできることのすべてだと思っていました。
そんなある日、私たちは熊本からおいでのARTIC事務局長さんに、炊き出しの会場である中学校で声を掛けられました。
「自炊での炊き出しをしかけてみませんか? 私たちが応援します」
実際に、外部からの炊き出しで提供される食事を行列をつくって待つ避難所の方々の表情にはなにかが足りないような気がしました。そこで、私たちはARTICの現地事業実施主体として、自炊炊き出しの「避難所母さんの元気プロジェクト」をスタートさせることにしました。
調理用の機器と食材をそろえ、避難所におられる被災者の女性たち自身に調理してもらう。使用する食材にもこだわり、原発事故以後の風評被害で買い手のつかない状態にあったいわき産野菜を市内の産直市場から購入することにしました。私たちが炊き出しの調理の仲間に加わり、被災者との交流を図ることもありました。
4月1日からスタートしたこの炊き出しは、主に小名浜地区を中心とした4避難所と食材提供を希望される数箇所に対して、その閉鎖時期である6月20日頃まで継続的に行われ、提供食数は2万食を超えました。調理にあたる母さんたちには生き生きとした笑顔が戻りました。
そして、ある避難所でこの自炊炊き出しの際に毎日調理の中心的な役割を担っていた女性と出会い、彼女が津波で被災してしまった職場でこれまで賄いの仕事をしていたことを知り、新たに彼女を中心とした弁当屋を始め、被災者に対する雇用創出の試みとすることにしました。
前に進む力をこのプロジェクトは与えてくれたのでした。
被災地であるいわきの外から応援する方がいてくださることがどれほど心強いものかを私たちは知りました。
熊本から吹いてくる力強い風に、私たちはずっと背中を押されてここまで進んできたように思います。その風は、震災後うなだれた状態にあった私たちに立ち上がる勇気を与え、前に踏み出すきっかけを与え、あるときには落語のステージを通して笑いを届けてくれました。8月には熊本から看護福祉大学生の皆さんがおいでくださると聞いています。
次の風に乗って運ばれてくるものは、きっと被災者に寄り添う優しい思いやりの心であるにちがいありません。
遠く熊本からの風が運んでくれたものすべてに心から感謝しています。
そして、この風に応えて、いつかいわきからも爽やかな風をお返しできるようになりたいと思わずにはいられません。
(写真は同チラシにあったもの)
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2011年10月16日
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