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さぁて、どうするかな・・・・

タイで生まれた

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いろんな写真とか、タイで活字として発表したエッセイなど短・長文の数々を、発表時期不同で。
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タイ人の温泉旅行?


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バンコクに滞在したり住んだりするとき、部屋の条件としてバスタブがつくことを求める日本人は多い。それはそうだろう。肩まで湯に浸かることが心身をリラックスさせる一番の特効薬であることを日本人の体は知っている。暖かさと浮力に包まれて目を閉じたときにどこからか訪れるあの句読点のここちよさ。小難しい哲学はやめにしてとりあえずのため息をつく。

私の生まれ故郷は温泉町だが、九州新幹線の通過点とはなるものの、通過点はやはり通過点であって昔のような賑わいがいま果たしてあるのかないのか。
日本での最後の温泉の思い出は故郷ではなく長野だった。みんなで大風呂に浸かりながら、眼下にゆるく傾斜していく山野を眺めるという、温泉ならではのひと時を楽しんだ。雲間からのびる秋の陽射しがまだらに森たちを彩っていたのを憶えている。

一緒に行ったタイ人たちはしかし、かたくなに大風呂を拒んだ。他人と一緒に裸になって湯に浸かるという習慣は彼らにはないのだから仕方ない。それにしても郷に入らば郷に従えということわざはタイにはないのだろうか。お試し一回ですぐそこに新たな世界が広がるというのに、もったいない。
日本に行くタイ人のビザが免除になったが、観光のオプションで人気なのが温泉つきツアーだと聞いてちょっと意外だった。彼らは大風呂に挑戦するのだろうか。それとも部屋付きの風呂でないとだめなのか。素っ裸で入るのかそれとも水着で。
徹底的に日本風でいってもらいたいと思うのだが、受け入れる観光地側もちょっと気を使うかも知れないなあ。
2013.08.20

現実とファンタジー

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検非違使(けびいし)。
平安時代の京都を守った「警察」だ。何かの本で読んだのだが、あの時代の政治というのはめちゃくちゃであったらしい。現代でいう「政治」の形態はこれっぽっちもなかった。
大和朝廷は北海道を除く本州・四国・九州を勢力下において異民族や反抗勢力に対する戦争が終わりを告げると、軍隊や警察を次々に廃止しはじめた。非武装中立とかいう夢物語を実現化した日本史上唯一の時代があの平安京の時代だったのだという。今日の反日左翼と呼ばれる勢力が泪を流して喜びそうな時代だったわけだ。
現実問題として治安は乱れ、国防は地方の豪族任せで侵略も受けた。それでも平安京は何の策もとらなかった。さすがに警察は必要だということになり、京都だけには検非違使という警察が設置された。
当時の憲法は中国から輸入された「律令」だったがそれには少しの変更もなく、つまり憲法は変えずに令外官(りょうげのかん)、つまり特例として検非違使をつくった。

都の名前は平安京、要するに「平和の都」。

第9条を盲信して現実を省みないといういまに続く伝統は平安のこのときに完成している。
私がこのバンコクに想いを潜めるときにいつも感じるのは、あの平安京というイメージとの重複だ。
バンコクの正式名称は「クルンテープ・マハナコーン」で始まる世界で最も長い首都名、一言でまとめれば「天使の都」。それをそのまま歌詞にした歌が昔ヒットした。つまり、この都の名はポエムであり呪文でありファンタジーであるということだ。
タイの今の政治の裏にも「陰陽師」がいると私は思っている。
2013.07.20

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1997年9月21日、アメリカの軍艦ヨークタウンは波に浮かんで漂うだけの鉄の箱に化してしまった。搭載したコンピューターの中にあったゼロが力を発したからだ。ソフトウェアのなかになにかの手違いでゼロが残っていたのだという。コンピューターがゼロで割る計算をしようとすると、建造費10億ドル、八万馬力の軍艦は一瞬にしてなんの役にも立たなくなった。


これはここ数ヶ月の間わたしの睡眠薬となっている本の冒頭に書かれていることだ。チャールズ・サイフェ著「異端の数ゼロ(ハヤカワ文庫)」という。科学の歴史、特にゼロ・無・無限大という概念が歴史上どれほど嫌われ、どれほど強力に人類の哲学を変化させたかをたどった本だ。

理解不能な数を全知全能であるはずの神が創り出すはずはないという意味で、西欧は2000年以上ものあいだゼロを受け入れることを拒み続けた。その間にアジアそしてイスラム圏でゼロはいとも簡単に受け入れられ、西欧へ逆輸入されたという歴史をたどった。そしていまがあるという。


ゼロ・無と無限大は厳然としてある。けれども人は区切りをつけたがる。場面の転回がほしいからだ。いまタイは難産か流産か、産みの苦しみの最中にある。そんなこともあんなことも、果たして私は自分のこととして感じていられるだろうか。人生は芝居だという一言があるがそれが誰によって言われたことなのか私はいまだに知らないのだ。ましてやそれがどういうことを意味しているのかも。

いつまで経っても人はゼロから始まりゼロで終わる。

それでもいまを私たちは新年と呼ぶ。


2014. 01. 05


おにぎりとビルマ料理


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おにぎりほど日本人の心の琴線に触れる料理はないだろうと思う。
第二次世界大戦当時の逸話を聴いた。
ここタイ国そしてお隣のビルマ(現ミャンマー)を舞台とした日本軍のインパール作戦当時の話だという。連合国の捕虜に対し日本軍が食料としておにぎりを支給した。ここまではいい。しかし異国人の捕虜たちにとって、単にご飯を握り固めただけとみえる「料理」は自分たちへの不当な扱いと受け取られた。
文化の相違からくる誤解はいとも簡単に起こりうるといういい例だろう。

 先日、ミャンマーとの国境の町メーソッドに行ってきた。第二次世界大戦で斃れ、いまもミャンマーの地に埋もれているであろう日本兵の遺骨4万5千610柱の収集に協力する少数民族の人々が集まって情報交換会が行われたのだ。
 このとき、久しぶりにビルマ料理を食べた。あれを「ビルマ料理」といっていいのかどうかは意見が分かれるところだろうが、少なくとも料理法はあの国に共通した料理法だ。
 これまでにも何度かビルマ料理を味わったことがあるのだが、実のところ、いわゆる高級料理店でないとうまいと感じたことがない。家庭料理と高級料理店の差がひどすぎるのだ。

 あの国の民主化や経済発展がどう進んでいくかはまだ五里霧中だが、ビルマ料理というものが認められるようになることがひとつの羅針盤だと思う。 
 政治と食もまた密につながっている。

遊べ遊べ

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河沿いに町がある。
どこの町かは言わないでおく。私が一番好きで、できれば変わってほしくないと願う町だからだ。河の向こうには異国の街が見え、遠くまで続く緑のかなたに異形の山々が望める。朝日は向こう岸の地平線から昇り、泊まる安ホテルの窓のカーテンを透き通って、まだ眠る者の肩を揺する。夜は夜で、川面に突き出した食堂のテラスに座ると、月の明かりが河に橋をかけて誘うのだった。


私の友人もまたこの町の風情が好きで、あるとき、しめし合わせてバンコクから男ふたりの旅に出た。事前に凧を買いこんでおき、その凧を川岸から揚げて国境を越えさせようという案が酒の席で出たからだ。
無駄な遊びとはこういうことをいうのだろう。けれどもこういう時間の使い方が必要なときが人にはある。無駄のうえに無駄をつけたし、その向こうにカタルシスを求めたい欲望。その欲望に素直に従えば、もしかしたら贅沢な遊びが生まれるかも知れない。


町について二日目の朝。友人はテラスで冷めたコーヒーを前に退屈していた。今日は凧を揚げる日のはずだが、その凧が彼の手元にない。
私は昨夜のアルコールが残る声でたずねた。
「凧は」
「飛んでいった」
「どこへ」


この時季、風は常に国境の向こう側からこちらへ向かって吹いたのだった。国境を越えられるはずがない。やけになった彼は私を待たずに凧を揚げ、その凧は糸を切ってこちら側の街なかへ落ちていったという。
遊びは終わった。
「二日酔いだ。もう一眠りする」と言い残して彼は去った。
私はウェイターを呼んで新しいコーヒーを注文した。

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