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さぁて、どうするかな・・・・

タイで生まれた

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いろんな写真とか、タイで活字として発表したエッセイなど短・長文の数々を、発表時期不同で。
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占い師たち

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わたしは将来、大臣もしくはそれに準ずるような地位に就くと言われたことがある。百歳近くまで生きると言われたこともある。もうすぐ素敵な女性と出会い添い遂げるとも。ことごとくが外れ、あるいは外れつつある方向へすすんでいるけれど、これらの言葉はどれも私を慰めたり安心させたりするという目的のためにわざと発せられたものだった。なぜなら、これらの予言をくれた人々こそが最悪ともいえる状況に置かれた占い師たちだったからだ。
ある者は難民キャンプの中で明日を特定できない日々を何年も暮らしていたし、またある者は民族間のゆえのない憎悪のテロで焼き出された寺院の中に座る僧侶であったりした。まわりには同じような目に遭わされた普通の人々がおり、だからこそ、彼らは最後の手段として「言葉」を紡ぎ出すことに専念していた。少しでも、たった一言でも、人を安堵させる言葉を。そしてそれらの言葉は、汗と垢のにおいであったり、焼け跡に漂う線香の香りのなかで、信じたいと思う心をわしづかみにするような血走ったまなざしとともに発されたのだった。
その彼らこそ今どうしているのだろうか、私は知らない。

つい先日、信州長野に住む知人が蛍の便りを寄こした。
「さびしい かなしい 闇のとき 光の名前を 言ってみる」と彼女は綴っている。
闇をたどれるはずはない。けれどもふわりと灯るあかりがあれば、人はそのあかりに名前をつける。そして、最後に気付く。そのあかりこそが自分自身であることに。

結局のところ自分は自分で産まれて生きて消えていくしかない。


                      2017/08/06

ある国の終焉

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故郷にいると心は熱さやせわしなさを失う。何もかもが触れてはならないもののように壊れやすく感じられるからだ。
6月は空梅雨の故郷にいた。駅のプラットホームへ行こうとしていたとき、向こうの下り階段をよちよち降りようとしているおばあさんを見た。リュックを背負い、両手に荷物を提げている。追いついたとき、案の定、彼女は階段の中ほどで手すりにつかまって立ち往生していた。荷物を持ってあげてベンチについた彼女と言葉を交わした。親戚の庭仕事を手伝ってこれから実家へ帰るところだそうだ。手土産をむりやり持たされて実は迷惑しているのだと笑った。
田舎が寂れていくにつれ、年寄りにはなかなか行き場所がないと言う。昔はたくさんあった店もシャッターを下ろし、ショッピングセンターとやらまで歩こうにも休み場所がない。車が必要だが膝を悪くしてからは運転も出来なくなったとぼやいた。
どこまでお帰りかと訊くと、本線の駅でまた乗り換えて県境を二つ越えるという。長旅だ。

故郷の町はどこもちり一つ落ちておらず、車は静かに流れて歩く人はいない。
ゴミのひとつにも気を遣って隣近所が暮らしている。分別や収集日を間違うとどこからか文句が来ると固く信じている。
空気はきれいでさわやかに流れ、煙草も吸えない。
丘の上からそんな故郷を眺めたとき、私は痛烈なイメージを得た。
ある国の終焉とはこの形ではないのかと観じたのだ。

十日後には東南アジアへ戻る。
そこに身を置いたとき、人のことなど考えていられないような辛辣なエネルギーに囲まれることになる。
このギャップに疲れる。
                         2017/07/07

海辺のリゾート パタヤ

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私が海を嫌うのにさしたる理由はない。
ただただ不気味なのだ。
生きとし生けるものはすべて海から産まれたという。ならば私の感覚は原初的な畏れから来ているのだといっても、そう外れてはいないだろう。とにかく海があると、あ、先になど行けようはずもない、ここで行き止まりだ、と思うのだ。

そう、あの頃、すぐそばの国で戦争があり、さびれた漁村だったこの町は外国兵たちの保養地として開発が始まった。大艦隊が沖に停泊し、空母の上で文字通り翼を休めていた戦闘機。それをホテルのプールサイドから遠く眺めた、というのがこの町での最初の想い出だ。陸の歴史と喧噪を見ながら、海は黙ったまま急激に汚されていった。戦は終わり、いつしかこの国を代表するリゾートとして観光名所になった町はいまこのとき、これまでのイメージを脱ぎ捨てて、二階建てのバスで押し寄せる言葉を解しない団体客のために衣装を着替えようとしている。

けれど海辺はやはり海辺だ。
夜になると地平も水平線も消えて海から魔がさしてくる。
この町の最後の想い出は彼女の声だった。
海辺の丘の上に建つホテルのベランダから遠く漁り火を眺めたとき、私は携帯をとりだしていた。一時帰国の際、焼けぼっくいに火がついた同級生の女の声が聴きたくなったからだ。色々あるけどもう子供じゃない、間に海はあるけれど、やり直すのは不可能じゃないはずだ。
そうだね、もうこの歳だから、やり直せるね、と彼女は応えた。

あの時の電波はいまどこの虚空をさまよっているのだろう、と思うとき、私はやっぱり海が嫌いだ。
                           2017/06/08

前略おふくろ様

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前略おふくろ様。
ご無沙汰していましたが、俺生きてます。

昨日、目が覚めると自分の手が目の前にありました。このバンコクの、俺の棲家は言ってみれば下町で、朝から結構うるさい音が窓から流れ込んでくるわけで、俺はその音で目が覚めたらしく。でも体は急には目が覚めない。窓から差し込んでくる光をいつの間にか手だけで遮っていたわけで。びっくりしました。死んだ親父さんの手を思い出しました。あなたのようにいつまでたっても手入れをされた女の手ではなく、ふしくれて、しみができ、しわと血管とが目立つ汚い手です。

前略おふくろ様。俺ももうそんな年月を生きてしまったわけで、だから、自分の手の醜さにやっと気がついたわけで。手だけは俺の気持ちにかまわず正直に歳をとってきた。たとえばここに一本の道があるとする。道路があるとする。鉄道があるとする。それを辿ってみる。20年ぶりか、30年ぶりかで辿ってみる。そして気がつく。もうあの頃の道はないことに気がつく。そしていまの旅人たちに出会う。彼らはいまの目で初めてその道を見るわけで。いまのことしかわからないわけで。彼らの目でいまの俺の手を見るわけで。
前略おふくろ様。彼らは知りません。あの頃、あの町がもっと暗かったこと、暗いけれど怪しく魅力的だったこと、森が高く濃かったこと、あぜ道が長く農夫の姿さえまれだったことを知りません。結局、いまからしかすべては始まらない、その繰り返しです。
前略おふくろ様。休みがとれたら飛行機に乗ります。乗って会いに行きます。それまで元気でいて下さい。
                        2017/05/05

いまの謎

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久しぶりにスクンビットの夜の繁華街を歩いた。アソークからソイ3にかけての歩道沿いだ。涼しかった時季が過ぎ、これからやって来るつらく暑い時季への心の準備をしつつのそぞろ歩きだった。
そこで、しばらく歩くうちに妙な違和感をおぼえ始めた。
何かが違う。そう、露店がないのだ。
道路側にいつも出ていた露店たちが、ない。
この歩道はついこの間までトンネルを歩くような道だった。ビニールの大傘とテント幕が頭上を覆い、道路も高いネオンも見えなかったはずだ。張り出した露店は邪魔で、歩ける場所は狭く、そこをやっとどうやら人が行き交いすれ違うという道だった。しかし今、道路の車は丸見え、見上げると空がある。道路側の露店が撤去されているのだ。あのお祭り騒ぎのような「トンネル通り」ではなくなっていた。
ここの他にプラトゥーナム地域、シーロム通り、ラチャダムリ通り、サイアムスクエア前などの露店や屋台の撤去が宣告されていることは聞いていたものの、出不精の私が現場を見たのは初めてだった。あるべきはずのものが無いという空虚感。私の歩く速度は遅くなった。
暗い謎ではなく、堂々と胸を張ったようなワンダーがなくなったとき、何もかもが魅力を失う。横を歩いていた先輩が「タイも普通の国になろうとしてるんだな」と一言。その声には辛辣な揶揄と無念があった。
アフリカ系と思える若い街娼たちが私の袖に指をかけて話しかけてきた。無言で振り払った私の目はたぶん不機嫌だったろう。
この国は自らどうなりたいと思っているのか。
それがいまの私にとっての最大の謎だ。
                                                                  2017 02 05
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