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ラオスとの国境あたりでつくられる有名な酒だという。
水を注ぐと中に詰められたもち米が発酵し、おいしい酒になるらしい。20分でいけるというし、それをストローで啜って呑んで酔うのだという。
紙の封を切ると石膏で固められた第2の封が現れ、それを割ると第3のビニールの封が現れた。開くと中にはびっしりと籾殻が詰まっていた。どうやらここに水を注ぐらしい。それから二日間。私は何度も試した。が、遂に酒精は私の舌にも喉にも訪れなかった。味はいつまでたっても薄い砂糖水のよう、籾の味の方が勝って喉はいがらっぽくなるばかりだった。
だまされたのだろうか。そう思う反面、確かに感じた土の味に懐かしさもまた刺激された。壺に貼ってある説明書にはメコン河畔のナコンパノム産とある。
あ、あの街だ。
最初によみがえったのはあの街で自転車のサムローに揺られながら交わした短いキスだった。それをきっかけに次々と諸々が壺からわき上がった。風に揺られる蜘蛛の巣に声を聴いたと感じたブリラムのピマイ遺跡。花びらと水が飛び交うなかでこの国の美しさを知ったと早とちりしたウボンのソンクラン祭。そして想い出はカンボジアやラオスへ飛び、恋を失えばこうなると思い知らされた日本の京都まで行き着いた。
2017年初頭、私はパンドラの箱ならぬ、パンドラの酒壺を開けてみたのだった。
中にはもう何も無い。
ベランダから冷たい風が吹き込んでくれたので私は気をとりなおし、この壺を使って果実酒でもつくってみるか、そう思いついた。
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タイで生まれた
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いろんな写真とか、タイで活字として発表したエッセイなど短・長文の数々を、発表時期不同で。
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「美しい」という形容詞が嫌いだ。書くときにこの言葉を使うことは極力避けようと決めている。この言葉を使うことですべてが読み手の想像力にゆだねられてしまうし、書き手の仕事は無責任に放棄される気がするからだ。
今年11月の満月は、普段よりさらに地球に近づいて、いつもより格段に大きく明るく空にかかるというものだった。昇ったばかりの時刻の月は東の空に低く、明るくはあるが霞んだ柿色。これが中空に達し、青いとも白いとも表現できるあの光で私たちを見下ろすとき、私たちはどんなまなざしでそれを見上げているだろう。そう想わせる期待を孕んで月は静かだった。と同時に、都会の上に広がり始めた雨雲がせっかくの月夜を台無しにする不安を西の空に掲げてもいたのだ。
私は棲家を出て屋台街へと歩いた。街がいちばん賑わう時刻だが、この日はそうではなかった。音楽は流れず、バイクのクラクションもなく、屋台の裸電球達は妙に目立って輝いていた。その明かりの下に色とりどりの飾り物が並び、かがみ込んだ客も店主たちもささやき合っているかのように見える。
まるで紗のかかった舞台を見るようだと私は思った。役者たちの服はいずれも黒く、余計に夜の闇を呼び込んで街路が暗い。見上げると建物の陰に隠れて月は見えず、ただどこからか天空の光は降ってくる。
一人の国王がもう二度と味わえないと思われていた祭夜を実現したのだ。
巨大な満月の下、花火のあがらない、霊的といっていいほど厳かで静かな、美しい、と書くしかない、原点に戻ったロイカトンの祭夜を。
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タマサート大学構内で行われる政治芝居に私も出演する。
その芝居のポスターの撮影をある公園のなかでやった。
広大な公園の一角、緑の草が広がるなかに一本の大樹があった。幹は太く、数人が手を広げてつないでやっと囲めるほどだ。根は地のなかに収まらず、うねり踊りながら土に割れ目をつくって這い出していた。しかし周りは静かで、遙か向こうに見える高速道の音は全く届かない。
演出家から指示が飛んだ。樹の前で全員が並び、目の前に現れた恐竜を見上げろ、という。恐怖、おののき、諦め、防戦の決意・・・、私たちは次々と演技を続けた。カメラのシャッターが息もつかず切られる。
そんなことをやっている私たちのすぐそばには園を巡る遊歩道があった。そこにかなりの数の人々が一度立ち止まっては去って行く。
ただ、彼らは私たちのおかしな様子を見るのではなかった。手にしたスマホを一心に見ていたのだ。この大樹がポケモンGOとやらのポイントになっていた。
虚構を演じる私たちと虚構を追う者たちが機を一にして樹の回りに集っていた。
そしてもう一人。制服警官。彼は一度カメラマンに身分証の提示を求め、そのまま少し離れたベンチに座ってじっと私たちを観察し続けた。なるほど。スマホの中の虚構を追う者たちは個人個人でばらばらだが、樹の下で十数人が集まって演劇という世界を作るとそれは監視の的になる。
そう、演劇とはこの国ではそんな扱いを受ける現実なのだと、私は改めて覚悟した。のどの渇きを覚え、見上げると大樹の枝葉は無言で陽光を遮っている。
ふっと涼しい風が吹いた。
2016/08/13
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「お客さん、どちらまで?」
そう尋ねられて、私への問いかけだと気づくまでに数瞬があった。
今年の春、岩手の遠野を訪ねた時のことだ。JR釜石線遠野駅前からそのバスに乗った私はまるで異邦人だった。周りで明るくはじけたり、独り言のようにくすんだ東北弁でおしゃべりをしていた老人たちが病院の前で降りた。
バスはいま市街を離れて田畑と、そして遠く望める山並みの道路を走っていた。山々が近くなり、また遠くに離れて景色が開けた。私は車窓に顔をくっつけてぼんやりとそれを眺めていた。
「お客さん、どちらまで?」
「え、・・・あ、○○まで」
「ああ、あそこね」
車内を眺めると乗客は私ひとり。最初に乗った客はあの老人たちと私だけだったのだ。私は少し緊張した。
「このあたりが一番景色がいいと聞いたもんで、バスに乗ったんです」
運転手さんの背筋が伸びた。
「そうそう、ほら、左手に、向こうの方に見えるのが早池峰山。いちばん高いんだ、岩手で」
「登るの大変でしょうね」
「いや、そんなこたねぇ。ふもとから車で行きゃいいとこまで登れるな」
遠くの方にまだ雪をかぶったその山があった。山頂の雪の淡い白さが春のかすんだ空に突き立っている。
悠々と。
運転手さんの言葉でその景色が私の中にかっきりと印刷された。
のぼせた私は行き先を変えた。
「河童がいるっていうのはどこでしたっけ?」
「河童? ああ、あそこね。もう停留所は過ぎたよ。ここからならちょっと歩くね」
ますます嬉しくなった。
大丈夫です、歩きますよと私は答えた。
「じゃ、次で停まります」
運転手さんが応じた。 2016/07/30
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日本人会青少年部演劇サークル。
日本人学校に通う生徒たちのためのサークルのひとつだ。
さして大きなサークルではないものの、ひとつの劇場を借り上げていちどに250人ほどの観客を集める舞台を作り上げるには地味だが大きな労力がこれでもかというほど必要とされる。
それは最初、母親たちによる台本の選定とキャスティングから始まる。建築でいえば地固め、鳥の子育てでいえば巣作りだろうか。私は「指導員」とやらを承っているのだけれど、稽古が始まり、最初にお呼びがかかったときには絶対といっていいほど台本に目を通していない。
どんな台本にせよ、子供たちがどう読んでどう解釈し、どう動こうとしているかを知ることが面白い。舞台に立つ俳優は私ではなく子供たちだ。
彼らにまず叩き台を提示してもらう。でなければ私は出動したくない。
最近の台本に朗読劇のシーンが入っていた。稽古が始まった。ひとりの子が朗読し、それに合わせて他の子が演技をする。私は思わず息を静めて目をそらし、耳に神経を集中した。朗読の声が生きていたからだ。言葉が素直に届いてくる。情景が目に浮かぶ。終わりと始めのあいだの沈黙にそれでもまだ胸を叩く余韻がある。
思い切って目を上げると、そこには朗読の子と演技をする子らとの見事なコラボレーションがあった。
産み出したのだ。
卵だとばかり思っていたのに、子供たちはいつの間にか舞台の上で大人の掌を離れ「産み出す者」に変わっていくのだった。彼らのこの魔法が発現する瞬間を誰よりも早く目撃できることを、私は「幸せ」と呼んでいる。
2016 07 21
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