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ひとつの思い出深いイメージと、いま目の前にある現実が何かの拍子にきつく結びついてしまうことは、時に不幸だ。
バンコクの棲家のベランダから見えるビルの谷間の巨大なLED広告のスクリーンがそれを教えてくれた。
夕日がビル群を影絵に変える頃、その広告塔は輝きを増し遠慮会釈なくここまで光を飛ばす。それを見た私はといえば、この四月、岩手の花巻を訪ねてきたばかりだった。
バンコクとちがって背の低い街だった。地平を山の稜線に囲まれ、緑のなかに北上川を流す町。春はどうやらここに飽きてもっと北へと足を伸ばしたらしく、用意してきたマフラーは一度も使うことがなかった。
ここから太平洋岸の釜石まで釜石線が延びている。旧岩手軽便鉄道だ。この鉄道の始発駅跡は花巻駅から数十メートルしか離れていない。
この距離をはさんで小さく熱く、そしていじらしい恋物語があった。
宮沢賢治作「シグナルとシグナレス」。
東北本線付きの立派なシグナルと、軽便鉄道付きの質素で華奢なシグナレス。地面から離れることのできない二人は夢のなかでだけ、この数十メートルを越えて間近に顔を寄せる距離に立つことができた。
話は現実に戻る。この二人がお互いを意識していたはずの信号灯の明りのイメージが、私の頭の中で勝手にあの広告塔の明りの印象と結びついてしまったのだ。絶対にちがう、と思った。バンコクのあの明かりが恋心を結ぶ夜霧の中の淡い信号灯と通じるはずはない。
私は舌打ちをしてビル街から目をそらし、東の暗い空を眺めた。
そこにうずくまっていたのは、バンコクをかすめて去った雨季の雨雲だった。
2016・06・18
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タイで生まれた
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いろんな写真とか、タイで活字として発表したエッセイなど短・長文の数々を、発表時期不同で。
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このあいだのパリに続いて、ベルギーの首都ブリュッセルで多発テロが起こった。どちらの町も昔たずねたことがある。だから、無力なひとりとして、夜の話をしたい。
パリの夜の細い石畳の坂道は濡れて街灯に光っていた。ただそれだけが記憶に残る。けれどもブリュッセルの夜は違った。欧州の夜ということなら、いや、これまでに見てきた幾千の夜のなかでは、ブリュッセルの夜が最も鮮烈な印象として残っている。何故なのかはいまだによくわからない。たった一夜か二夜を過ごしただけなのに、あの町の夜の美しさはタイからの旅人である私からアジアの残り香を一気に拭い去った。
石橋の下を流れる川、その暗い水面に映る暖色の街灯。建物も壁も歩道も石造りがほとんどだが、冬のさなかでも寒さを感じさせなかった。夜のなかですべての陰翳がさして広くも大きくもない空間を誇らしげに演出している。それは伝統の時間がもたらしたものなのだろう。明るさよりは光のあたらないおぼろげな蔭が多い。
その蔭たちこそが石造りの通りや広場のあたたかさをつくっていると思えた。
その広場の向こうに一件のレストランがあり、客は多いと見えたがなぜかその周りに人影もなく車の往来もなかった。ただ人々は夜の宴を楽しんでいるのみで、野外の風情はほったらかしなのだった。
旅人がそれを美しいと思ったり平和だと思うのは勝手だが、蔭を大切にしていると感じられるこの街は「夜を売る」ことができる稀有な街なのだと思いながらレストランの前に立った。
中に入ると人々の静かな息づかいに包まれた。
2016/03/24 |
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30年前のタイのある田舎町。町をつらぬく幹線道路はあか土だった。長い乾季のうちにアスファルトは土ぼこりに隠され、ひどい凹凸だけが目立ち、私の眼には舗装道路とは映らなかった。
高い建物などどこにもなく、ただその道路だけが乾いて白く、その町を無視するかのようにまっすぐに伸びている。ただ去るだけの道なのかとさえ思えた。地平を覆っている森の影は遠くて低くて薄く、前景の畑がいまどれほど乾いているかを物語るだけだった。
道に沿ってそのまま行けば川が流れているという。その流れに出逢うまで歩いてみた。くっきりとした緑を見たかったからだ。
小さな川は短い橋の下を流れていた。木陰から出てきた男がひとり、膝下までの川のなかに入り小さな網を投げていた。投げても探っても、確かな収穫は無さそうにみえたが、彼は飽くことなく網を投げ、引き寄せ、その網の目のあいだを探ることを繰り返した。
幹線道路をはずれてわき道へ入るともうそこは畑だった。
あぜ道をよろよろと辿れば、ひび割れた畑の向こうに屋根だけの掘っ立て小屋があり、そこに横たわっていたのはひとりの老父。ただその姿を遠く見つけただけで私は立ち止まってしまった。
足元の畑は見事といいたいくらいの深い亀裂に覆われつくしていたし、あの小屋にしか影はない。背中を陽にあぶられながら私は畑の土を手にとった。
石かと思えた。コンクリートのかけらかと感じた。
このひび割れた大地から本当に収穫があるのか。
土と人間が織りなす「農」という闘い。
いま、私は机上であのときを思い出している。
2016・04・02 |
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このバンコクという街はときにカメラのシャッターを押す人をがっかりさせる。
熱くて明るく、かしましい昼間光が氾濫する時間帯は、へたな人が使うカメラには露出オーバーかアンダーの写真しか残らない。
かといって建物の陰に陽が隠れ、そろそろ帰宅の人々の足が増え始めるというころになると屋台が灯をともす。色さまざまの蛍光灯であったり、裸電球の尖った光であったり、これまた自信をもってシャッターを押すまでには時間がかかる。
そしてはじめて気づくのは、その明るい場所へと続く細い道たちの暗さだ。
昼間の人の波は屋根の下の影に吸い込まれるが、夜の人の波は大通りの歩道を埋める。そこへ続く小さなソイにある店は昼間の疲れを癒すためにシャッターを下ろす。そのような裏道は帰宅が遅くなった人々には敬遠される。
私は暗ければ暗いほど、灯が遠ければ遠いほど惹かれるという妙な癖をもっているけれど、そんな裏道で実名で呼び止められたことがある。
振り向くと壊れたまま放置された電話ボックスの向こうに女性が立っていた。私の行きつけのバーにむかし働いていたと言う。と、いわれてもそのかけらさえ思い出せなかった。着古したTシャツとGパン、衰えた肩や二の腕、欠けた歯と焦点が定まらないまなざし、目の下の隅は、その後の彼女を蝕んだものを教えていた。
その場所の夜は今、明るい。
夜行性とそうでないものとの境がわからなくなってきたのだ。 昼と夜とのコントラストがあいまいになることを、人は「賑やか」とか「発展した」、と表現する。
得られるものも失われるものも多いのだった。
2016・05・19
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「シェフ(Chef)」という映画がある。
日本では確か昨年の2月か3月頃の公開だったか。
制作・監督・脚本・主演は「アイアンマン」シリーズの監督ジョン・ファヴロー。
もともと役者でもある人だし、自主制作の映画だし主演もできる。
「アイアンマン2」のように100億、200億円とかけてプロデューサーの言うとおりの映画を創ってコケるよりも、制作費は100分の一になっても自分が創りたいものを創る、という作者の気持ちをぶつけたような映画だ。
日本語の副題は「三ツ星フードトラック始めました」。
ロードムービーであり、浪花節ムービーであり、グルメムービーであり、ファミリームービー、シリアスでありつつコメディ、笑わせながら泣かせるという王道を行く。
有名レストランでオーナーに言われるままの料理を作っていたシェフがクビになり、フードトラックで自分が創りたい料理を作りながらアメリカを横断していくというサクセスストーリーであるとともに、その料理の基本がキューバサンドイッチという設定は、キューバとの国交正常化を前にした友好プロパガンダでもあったろう。
この映画の日本版宣伝文句のなかに秀逸な一言があった。
「おいしい人生は止まっていたら見つからない」。
わかりすぎるほどわかる。けれども、実際はそうもいかないさ、という吐き捨ての一言も出そうだ。バンコクで流行るものには世界の動きが映る。 そう思うと、私は人の顔が見たくなる。バンコクで見かけるフードトラックがなにを売っているか、よりも、それをやっている人がどういう人なのか、それが気になる。 2016・02・08 |



