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「無」という漢字をひとつの絵画、あるいは図形として見てみる。
そうするとこの字には四方を線で囲まれた六つの部屋があると想像できる。建物として捉えるなら二階建てだ。ちゃんとベランダもあるし屋根の庇もある。けれども、それらを支える土台の部分は四本の斜めにかしいだ頼りなげな柱でしかない。
これが「無」の意味を表象しているのだとすれば、必ず部屋を替え続ける人間の一生は「無」の一文字で描き出せることになる。
生まれた瞬間の部屋の様子を人は憶えない。家族と一緒の部屋があり、ある頃から自分だけの部屋をほしがる。家族から離れた一人暮らしが始まった部屋があり、誰かと一緒の部屋ができる。そして最期の部屋を人は覚えないままその生を終わる。と、こう考えれば人の一生は6部屋で完結するのだし、それが「無」なのだと肝じることもできる。
最近の私は孤独死というやつを恐れて止まない。
あるタイ人が言った。「マイペンライ。三日もたてば臭いがする。まわりから人が集まってくる。片付けてくれるよ」
それが嫌だから怖がっているのに、「無」の最終形は「マイペンライ」なのだそうだ。
少し救われた。
いま、どういうわけか、私の周りでこのタイを離れて次の部屋へ旅立つ人が相次いでいる。この人が、あの人が、そしてその人が。次の部屋に入るために、その部屋を目指して、かの人たちは動いていく。
私はいまのこの部屋で見送るだけだ。
好きだった人たちが次々に去っていく今年の今頃。
どうかその部屋がその人たちに力を与えてくれますように。
私は久しぶりに本気でそう願う。
2015・8・27
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タイで生まれた
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ロケ現場からの帰り道を、共演している俳優さんの車で送ってもらった。 助手席に座っていてふと気づいた。運転席の彼の左手がしょっちゅうギアチェンジのためにハンドルから離れるのだ。マニュアル車だった。 問いかけると彼は言った。
「こいつでないと運転してる気にならないんだ」。
その通ぉぉり! 停まった状態の重い車を1ミリ前へ動かすこと、ゼロから動を生み出すことがどれだけ難しいかをマニュアル世代(?)は知っている。 クラッチを踏む。ギアを入れる。アクセルを少し踏み込みながらゆっくりとクラッチをつないでいく。 エンジンが苦しそうだと感じたらアクセルをわずかに踏み込み、左足のクラッチの動きをちょいと止めてやるか、踏み込んでもう一度やり直す。この按配を使いながら車を動かしはじめるのだ。坂道か平坦な道かを感じながら、同じ操作を繰り返してギアを上げ、エンジンのふかし具合とスピードの調和を図りつつ巡航速度にのせていく。
こういう具合だから運転のすべての責任は自分にあったし、車と一体になれた。
オートマチック車はダレでも動かすことができる箱だ。エンジンやギアと話さないですむ運転者は車が動くということに何の驚きも尊敬も抱かない。バンコクの道路は動く箱に乗った「動かす」ことを知らないドライバーであふれている。
いつまでどこまでわたしたちはスピードと便利を求め続けるのだろうか。 スピードと便利を求めたが故に、わたしたちは平安を犠牲にした。 まだ遠かったはずの危険が私たちにいつ襲いかかるかわからなくなった。 ネットの世界などその最たるものだろう。 2014・11・21 |
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もうずいぶん昔のことになるが、あるところのパーティでタイ語の歌を歌ったことがある。昔といっても相当に昔で、まだCDがなかったころのことだ。わたしの部屋で好きなときに好きな歌を聴くにはミュージックカセットテープしかなかった。ガチャッ、ポンッ、キュルキュルキュルッと巻き戻してもう一回、というあれだ。
当時、在タイ日本人にも受け入れやすいメロディーラインの、いってみれば演歌調のタイの歌が流行っていた。何という名の女性歌手か忘れたが、その歌手のその歌を歌ってみたくなった。職場のタイ人同僚に今でいう「カラオケ」を作ってもらった。この場合のカラオケとは、歌詞をタイ語ではなくローマ字表記で書いたものだ。映画やテレビの台本を誰かに読んでもらってカタカナに書き直したものも撮影現場ではカラオケと呼ばれる。まあ、とにもかくにも、
『もうたくさん 彼にどれだけ傷つけられたか 忘れるのよ 泣くんじゃないわ 壊れないものなんてこの世にないの 海の潮だっていつかは引くのに 嘘の愛に騙されないで』
というような歌詞のその歌を舞台の上でマイクを握って歌ったのだった。もちろんウけた。そのパーティに出ていた他のどの日本人もカラオケはすべて日本の歌ばかりだったからだ。タイ人の女性が寄ってきて、たどたどしい日本語でわたしに言った。「珍しいです」。今は昔の話だ。
バンコクの夜の街の、どこにいっても、今の日本人はタイ語の曲の1、2曲は歌えるという人が多い。そう思うと日本とタイの親密さはいまのほうがはるかに進んだと感じてしまう。 いいんじゃないかな。 2014・12・10 |
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ルーフトップときいて「バー」につながる感覚は私にはない。 屋上ときいて真っ先に思い浮かぶのはペントハウスだ。ひとつだけポツリと、その建物の余分な腫れ物とでもいいたくなるペントハウス。 私の年代の人なら想い出すだろう。テレビドラマ「傷だらけの天使」全26話。萩原健一と水谷豊がコンビを組んだ伝説の名作だ。誰ももう二度とあの作品を超えることはできないと云われつづけている。主人公二人が住むという設定のロケ現場のそれはいまも「傷天のペントハウス」として残っていると聞くが本当だろうか。
あのドラマと彼ら二人の演技は衝撃的といえるまでに私たちの世代の価値観を変えた。かっこ悪いことが本当はかっこいいのだ、というあり方。前提や大義名分に従うことを良しとしながらもどこかで発散される反逆心。しかし登場人物のだれもハッピーになれない最終話。 おっと、今回のテーマはルーフトップバーだった。なぜ人はそんなバーを心地よいと思うのだろうか、というのを考えてみたかったのだ。高いところへとイメージをもっていくと、こうして書いている殴り書きの文章さえいつしか過去の想い出話になる。 では少し遠い未来へ目線を。 あ、そうかもしれない。高みからの目線が次の展開をつくるから、人はそこに行きたがるのだ。このバンコクを私たちは歩く。重力には逆らえないから底へ沈んで歩く。見上げた視界のなかには建物が複雑に絡み合う景色があって空は狭い。いっそのこと高いところへ浮かび上がってみようかと思う。息をするために。 できることなら、あの人と会ってみるために。 2014・10・24 |
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トンローに小さいが面白い発想の小劇場ができた。
古いタウンハウスを裏の階段から登り、重い鉄の扉を開けるとそこがしゃれた喫茶店になっている。そこから下へ、あるいは上の階へ行くとそれぞれの広さと設備をもつ演劇スペースがある。
この劇場には日本人の女性スタッフもいる。海外への営業を担当するらしい。大学を出立ての、幼くは見えるが不敵な舞台女優でもある。まだ観てはいないが、趣味で舞台に立つ者には絶対にやれない体当たりの演技を見せるとタイ人が言う。トンローにまたひとつ新しい空間が生まれたことで、わたしはこういう日本人もいるのだと知ることになった。
この劇場の喫茶店のベランダから見下ろしたトンローはその本当の姿を見せる。にぎやかできらびやかな表の顔のすぐ裏に張り付いているのは創る側の舞台裏だ。
人の体に例えるならばそこにあるのは体液であり血液であり排泄物である。
汚れを汚れと思わず、腐臭の奥に次の生や清を産み出す芳香をわずかに残しながら、人はうごめき、物は運ばれ、また新しく次がやってくる。享楽や美食や飾りや芸を創る側の、その裏側の汗や埃や汚濁はほんの数メートルの距離をおいてトンローという大動脈と絡み合っているのだった。
人々はここに次々と吸い込まれ、そして吐き出されていく。来てはみたが消えるしかなかった姿も多いだろう。そこに花を創る人がいる。花に呼び寄せられる人がいる。しかし咲かなかった花も咲いた花と同じくらい多かろう、と思ってみる。
斜め上から見たトンローは、次々に生まれては消えていく食虫花の茎である。
2015・08・05
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