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8月15日に催しました福島発同時多発イベント連携企画
「ど素人落語会 FUKUSHIMA !」。
多くの方においでいただきましてありがとうございました。
先を取りました立沼幹輔は、そのまくらで、
現地へ行って聴いたこと、として
松本龍は「知恵を出さないと金は出さない」みたいなことを言いましたが、それに対して福島の方々が言ったことは
「ようし、知恵は出してやる。その代わり、絶対に金は出せよ」とマスコミの取材に応えた。しかし次の日、どのテレビ局も新聞も雑誌もそれを報道しようとしなかった、という実話を披露。そして江戸落語「新版 しじみ売り」へ。
それを受けましてわたくしは、
以下のようなまくらを使いました。少し長くなりますが、よろしくお付き合いのほどを。
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さて今回わたしが演目に選びました落語「鴻池の犬」というのは上方落語でございます。上方、つまり関西ですな、大阪あたりを中心にしたね。古典でございます。内容が全部関西弁で出来ております。
実はここにひとつ大きな問題がありまして、私は関西の人間ではございません、
九州熊本の育ちなんです。九州人なんですね。その九州人がむりやり関西弁で落語をやるということなんで。皆さんのなかに上方から来られた方、関西の方、いらっしゃるとおもいますが、わたしの落語を聴いて、どうもこいつの関西弁は気色悪いなとおもわれるかもしれません。そこらはどうぞご勘弁いただきたいのでございます、なにしろ私は九州人ですけんね。
さ、この 私は九州人ですけん、という言葉、ついこのあいだ、毎日のようにマスコミで流れておりました。例の松本龍ですか、復興担当大臣かなんか。たった9日で辞めていきましたですが。当然ですな、被災地の方々や知事さんを目の前にして あれだけの乱暴狼藉をはたらいたわけですからね。ええもうあれは乱暴狼藉としか言いようがありません。
その乱暴狼藉が問題になった次の日でしたか、カメラがバーッとありましてマイクが何本もこう並んでおります前で、あんくそ馬鹿たれがなんて言うたですか
私は九州人ですけん語気の荒いところがある。
あの瞬間でございます、九州全土を大シンサイが襲ったのでございます。この場合のシンサイというのは心の災いと書きます。すごい精神的なショックでございます。どの位のショックかというと、長崎の雲仙普賢岳、熊本の阿蘇山、宮崎の新燃岳、鹿児島の桜島がいっせいにドドドドーンといったっちゅうようなショックだったんです。
あの一言を聞いた瞬間、全九州人が腰を浮かしました。
抜かしたのではありません、浮かしたのです。
私は九州人ですけん語気の荒いところがある。
なぁんば言いよっとか こんつくしょたれが けたくり殺すけんテレビから出て来ぇ!
となったわけです。
あの日を境に九州人は東北をはじめ日本全国、いえ、世界中に頭が上がらなくなりました。
次の日、日本人が多く住んでおりますここバンコクのスクンビット通り界隈をば、
アポロキャップを目深にかぶり肩をすくめて歩いていた人たちは皆これ九州人だったのです。これは間違いございません。福岡県人会、熊本県人会、鹿児島県人会と多くの九州人がタイにおりますが、どの人に訊いても言うことは同じでした。
あれはなかぞ・・・と。
なかでも福岡県人にいたっては、次の日、恥ずかしくて会社を休んだという人たちも多くいたという、もう大変なシンサイでございました。
ま、ここで私が言いたいのは、
どうか東北の皆様、全国の皆様、あれが九州人の典型だとはお思いにならないようこれこの通りお願いします、ということなんです。
さて、このようなことをいつまでも うだうだと喋っておりますと時間が過ぎてしまいます。そろそろ演目に入らせていただきますが
これ、常吉、常吉・・・
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東北地方太平洋沖地震
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2011年8月15日(月) 19:30
居酒屋 田舎っぺ2階
スクンビット ソイ33 バンコク
入場無料
演者・演目
立沼幹輔 『新版 しじみ売り』
矢野かずき 『鴻池の犬』
福島からの呼びかけに応え、バンコクもなにかやらなくては、ということで
落語を聴くのは好きだが 人前で演ったことはないという二人の
駆け込み企画…。
福島の観光をアピールする記事取材から帰ったばかりの立沼幹輔
東北に憧れつづける九州人 矢野かずき
一杯やりながら寝転がって聴ける
あの町内の「寄席」をここバンコクで! |
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小松左京が亡くなった。
小松左京という名を知ったのは「日本沈没」が最初だった。
SFというものにあまり興味のなかった私にとって、あのジャンルの、そしてあれだけのページ数を一気に読ませられた最初の本だったといっていい。
あのときから今まで、何回か読み返すたびに、やはり止められずに夜が更けていく。
この小説を初めて読んだ人は誰もがつぶやくと思う。
なにものなんだ、この作家は、と。
多方面にわたる科学の知識、そして哲学や地政学、心理学、あらゆる方面の「学」を総動員して日本を「物理的に」沈没させてしまうのだから。
阪神大震災のとき、それから今回の大震災。
「日本沈没」は何度も何度も読み直され、再版されたのだったけれど、
結局、誰もあのSFに学ばなかったのだという思いが強い。
数年前、私は芝居仲間に「いちどはあのSFを読んでおけ。いざというときに日本人がどう動くかを予言し、政治がどうあるべきか、現実はどうなるか、すべてが書いてあるから」と薦めていた。
自分で言うのもなんだが、私がこれまで書いて上演してきた芝居はほとんどすべてが「難民の物語」だ。
インドシナの難民たちを垣間見てきたなかで、いまも私のなかにある疑問。
「果たして日本人は彼らのように執拗に生きることができるだろうか」。
その答えをしっかりと書いたのが小松左京という作家だと思う。
「日本沈没」だけで私は小松左京を人に薦め続けたい。
いくつかのプレートが同時に動いて大きな震災となる、というところからこのSFは始まっている。
国民がなにかおかしいと思い始める「京都大震災」から続けざまに起こる日本沈没へのスケジュール。
書いてある通りに、今回の震災を日本人は、いや、東北の人々は反応し、全世界から日本の美徳として賞賛を浴びた。
けれども、政治では小松左京が描いたような宰相は出なかった。
この現実を見せられながら、小松左京はそれでも「日本の復興を信じている」と言って逝ったという。
合掌。
なお、わたしがここで言っている「日本沈没」は70年代に出版されたもののこと。
最近のものはプレートを破壊して結局沈没を止める、というものらしいが、
映画同様、第1作にすべてがある。 |
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私は九州、熊本の出身です。本籍は福岡にあります。
なんでオレが謝らなければならないんだ、と思った経験はこれまで何度かあるけれど今回くらい理不尽だと思ったことはない。
見ず知らずの人間のためになんでオレが謝らなければならないんだ!
でも謝らずにはいられません。
松本復興相の今回の発言と態度の数々。
東北の皆さん、九州の人間はみんなあの発言や態度に激怒していると信じます。
お願いですから あん糞が九州人の典型だとは どうか思わないでください。
わざとらしく九州弁いれながら
「自分は九州人ですけん語気が荒いところがある」だと?
あん馬鹿ったれが よりによってこぎゃん時に九州ば貶めやがって
「語気の荒さ」と「話す内容」は別もんぞ!
知事が会見に自分より遅れて来たつは良かこつじゃなかとか?
そっだけ走り回っち がんばりよらすとぞ。そんくらい分からんか!
九州ん人間なら
知事に対して「遅れさせてすんまっせん」くらい言え、こんクソ馬鹿たれが!
わっが大臣でおらるっとは誰んお陰か、こら。
おったちが選んでやったけんぞ。
そん恩ば返すった今しかなかっじゃなかとか、こんつくしょたれが!
写真はネットで拾ったもの
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昔、福井県敦賀(つるが)の美浜原子力発電所で働いたことがある。
1981年(昭和56年)の5月から7月にかけてだった。当時24歳、か。まだ京都で学生をやっていた。
今は亡きうちの父は溶接工で、九州の炭鉱華やかなりし頃は化学工場や火力発電所などの建設現場に働き、原発が建ち始めた時代には日本各地の原発で働いていた。その父が敦賀から私を呼んだのだ。人手不足ということで。
京都から敦賀まではそう遠くない。原チャリでもスピード違反しながら走れば3時間余りで着く。夏休み前のアルバイトにはちょうどいいのだった。
大学と原発を1週間に1,2回、往復しながらの3ヶ月だった。
原発でそう簡単に働けるのか、と思う人もいるかもしれない。
働けるのだ。少なくともあの頃は。
原発で働いている人々は原子力に関する知識をもつ人たちだと思われていたが、とんでもない。
特に「定期検査」などのときは、現場に入るのは「技術者」である。つまり、うちの父のような溶接工であるとか、そのような人たちだ。
私たちは胸ポケットに放射線検知器をいつも入れていなくてはならなかった。それが「ピッ!」とアラーム音を鳴らすような場所にいるのはいつも技術者だけ。美浜原発は関西電力だが、実際の現場で電力会社の人が指揮をとっているのを見たことがなかった。
それはそうだろう。パイプの溶接や内部の掃除、配管などの「現場」の仕事が電力会社の社員にできるはずはない。畑違いなのだ。
その「技術者」とはどういう人々か。
わたしのようなアルバイトが父のグループには3人いた。わたしのほかの2人は敦賀の町から来ていた。喫茶店のオーナーと、今でいうプ−タローさんの2人だ。技術は無いが力仕事で技術者をサポートする。
技術者は、自分の腕が必要なところへはどこでも行くという「渡り鳥」のような人々が多かった。父はそのような人を雇うためにたびたび大阪の西成、あいりん地区へも出かけたという。
さて、雇用が決まるにはプロセスがある。
健康診断や安全教育・講義の類いを受け、ペーパー試験もあった。数時間で終わる。カンニングもオーケー。せっかくの要員をペーパー試験で落としていては仕事にならない。それらのプロセスをクリアした私たちは、しかし放射能や放射線の何ぞやなど知りもしないのだった。そういう意味で、講義や試験など単なる儀式だった。
わたしは原発推進論者でもなければ反対論者でもない。あえて言うなら無関心である。それがここへきて、やはりあの当時のことを思い返し、原発の安全論には嘘があった、とあらためて思う。
アインシュタインが発見した特殊相対性理論によれば、質量には巨大なエネルギーがあり、たとえば1円玉には100ワットの電球を3万5000年点す莫大なエネルギーがある。
そしてその理論を元に原爆を開発した「マンハッタン計画」の責任者オッペンハイマー。アインシュタインにあこがれて物理の道へ入った湯川秀樹。
この3人はアメリカの研究所で同期だったという。
広島と長崎の後、
アインシュタインは自分がルーズベルト大統領に原爆開発を進言したことについて
「私は人生で最大の過ちを犯した」
オッペンハイマーは
「物理学者は罪を知った」
湯川秀樹は
「原子力の問題は人類全体の問題である。この問題の根本的解決もまた人間の心の中から始まらねばならない」
と、それぞれが述べ、3人とも核廃絶運動に余生を投じた。
しかしながら
こうして開けられた核、原子力というパンドラの箱。
パンドラの箱が閉じられたためしは無い。
原発とは付き合うしかない、と思う。
なぜなら、後戻りすることは今の時点では出来ないと感じるからだ。
その代わり、
前も崖なら後ろも崖。
当時つけていたメモ帳をいまも持っている。日付ごとにそのメモを見て、そのままを以下に書き出してみよう。書いてあることをいま読み返してみて、思い出せるシーンもあればまったく思い出せないこともある。
あれからちょうど30年、か。
5・8 午前、敦賀にて健康診断 午後、安全教育、ペーパーテスト
5・11 午後より廃棄物処理作業
5・13 作業安全講義
5・14 側溝掃除
5・18 側溝枠補修
5・19 足場板運搬
5・20 1号機パイプ水抜き
5・21 パイプ切断作業
5・22 T型パイプ取り付け
6・10 ループ室内作業 放射線被曝 線量55ミリレム
6・11 ループ室内ダクトホース運搬・取り付け 被曝45ミリレム
6・12 トレーニングハウス組み立て ループ室内作業 被曝26ミリレム
6・17 ループ室内(マンホール)にて作業 被曝242ミリレム(うち214ミリレムは90秒で被曝)
6・18 同上 25秒で被曝60ミリレム
6・19 外部作業所にて午前中のみの労働 地域の祭りのため
6・22 3号機バルブすり合せ 炉底灰落とし
6・24 BP(バーナブル・ポイズン 新燃料)搬出作業
6・25 パイプ磨き 足場組み立て 被曝1ミリレム
6・26 被曝8ミリレム
6・27 被曝10ミリレム
6・29 新燃料受け入れ準備作業 被曝1ミリレム
7・1 新燃料受け入れ作業 被曝2ミリレム
7・3 一次系配管経年変化検査用足場作り 被曝41ミリレム
7・4 同上 被曝55ミリレム
7・6 被曝28ミリレム
7・8 新燃料受け入れ作業 被曝1ミリレム
7・9 同上 被曝1ミリレム
7・13 ループ室内足場作り 被曝40ミリレム
7・14 同上 被曝9ミリレム 午後から外部作業所にて作業
7・17 二次系薬注配管修繕作業
7・20 ループ室内足場撤去作業 被曝16ミリレム
7・22 ループ室内足場解体 被曝18ミリレム
7・23 午前、血液検査 ホールボディチェック
7・24 再検査
7・25 職場の皆さんに挨拶後、退職
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