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迷宮に入ったのかも知れない。 |
バングラデシュ
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2011年12月16日、バングラデシュを離れた。 ちょうどこの日は、戦勝記念日、パキスタン軍の降伏を記念する日だった。 つまり、パキスタンからの独立、バングラデシュという国の誕生を記念する日ということだろう。チッタゴンの街中にはパレードが延々と続いていた。 痛かった。 |
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ある日、この寺に立ち寄った。 同行してくれていた僧たちの母校だという。 孤児院を兼ねている。 僧たちは子供の頃ここに世話になったのだ、と言いながら私を連れてきてくれた。 2年間ここで世話になったので米2表+アルファを寄進するという。 この寺は今も同じ事業を続けている。校長である僧も同じ人。恩師というわけだ。 僧たちは、昔の自分と同じような境遇の子供たちがこの寺で寄宿生活を送っているのを見にきたのだった。 仏道にのっとった物品の寄進が行われた。 これには公安も文句をつけられない。 こうしたルートを繫いで国境さえ越え、天災や人災の際の救援、情報交換や人材交流に役立てる国際ルートがある。「仏教徒パイプライン」と呼ぶ。 ここバングラデシュ、ビルマ(ミャンマー)、カンボジア、ラオス、チベット、そしてもちろん日本。これらの国々で時と事態に応じたパイプラインが動く。 このシステムを発明し、実行に移し始めたのは日本の仏教僧たちだ。 私自身は仏教徒ではない。どちらかというと神道のもうひとつ奥に魅力を感じる。 しかし彼らがやっていることには何の異論もなく賛成できた。実行が伴うからだ。 この寺の裏、僧たちの瞑想堂の前庭にこれがあった。 昔はここで死者を火葬したのだという。 残った骨灰は雨に流され、下の沼地へ落ちて植物のなかへ溶ける。 静かだった。 遠くで子供たちのはしゃぐ声がする。 バングラデシュ、チッタゴン丘陵地帯、2011年12月のある日。 |
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バンダルバン州バンダルバン市。 河のほとりで彼らと出会った。 路地を覗きこむと古い住居が並んでいて、 それに吸い込まれて私は路地へ入っていったのだ。 おじさんと目が合うと、「よっ」という感じの挨拶があった。顔つきがまったくアジア的というか日本的というか、こちらも思わず「よっ」となった。 ビルマ系マルマ族の人。 「どこから来たの?」 「日本。」 「ジャパニーズか!」 なにを驚く。 言葉が継げなかったが、おっさんの家の横に細い路があった。 「ここ、入ってもいい?」と訊くと 「どうぞどうぞ、この先は河だ。案内しよう」となった。 家のすぐ裏は急な土手で、視界がポンッと開けると河が流れていた。 「これは娘だ。息子もいるが、最近船に乗って川遊びばっかりやってる」 向こう岸はジャングルで結構やばいことも起こっててな、大きな声じゃ言えないが、てなことをしゃべりはじめたおじさんだったが、固有名詞がやたら出てきて何の事やらよくわからない。要は民族や村やマフィアや何やかやでこの河の水には時折血が混じりますのさ、というようなことだ。 素直にそう思えた。 聖書みたいな平和なぞどこにあるものか。 気持ちは暗くなったけれど、心はきっぱりとした。 そろそろ、バングラを離れる日が近くなっていた。 |
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2011年12月9〜16日、バングラデシュ、チッタゴン丘陵地帯。
東へ走り、西へ還り、南へ下って北に迷った。 なぜシャッターを切ったのか、もうすでに忘れていたいくつかのシーンがカメラの中に残っていた。 こういう道を上下左右に揺られながら辿り続けた。ああ、そうだったなあ…。
猫と ヤカンと 別に説明なんか要らないのだけれど。 なぜシャッターを切ったのかなぁ。 以上、働く人々、3態。
ビルマ系マルマ族の子供たち。 下の2枚は、街道沿いにただ一軒あったマルマ料理の店。 蟹、買わない? 買わねえよ! 麺をつくる道具。 どうやってやるのか見てみたかったなあ。 伝統の知恵ってやつを。 この丘陵地帯を、外人を連れて夜間に移動するというのはご法度。 でもやってくれました。だって時間がなかったのだもの。 フェリーでここを渡ると、 バングラデシュで一番美しく清潔な町といわれる古都ランガマティ。 確かに美しかったけれど、 マフィアと政治が絡んで毎日のように発砲事件が起こっている町だった。 仁義なき戦いというやつだ。 水面にいくつもの島が浮かぶ。 シンメトリーの早朝。 のどかに見えるが、実はダム湖だ。 湖底にはビルマ系古王朝の貴重な遺跡や街が沈んでいる。 高い土地へ逃れた人々はダム湖の中の孤島となった故郷でいまも暮らす。 これが、突然の国境設定とベンガル系イスラム教徒に居場所をとられた人々の 今だった。 |





