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さぁて、どうするかな・・・・

バングラデシュ

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B村

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わが村へようこそ。これ、用意しといたの、美味いよ、もってって。

あ、すんません、ありがとう、見ず知らずの訪問者のために、大変ですね。
村長さんからの指示を受けたんでしょお、ほんとにすんません、貴重な作物を。
……アジア風の田舎の歓待。
だんだん大げさになっていくんだよ。

さて、今回のバングラデシュ訪問の目的は、日本のNGOのプロジェクト開設のための調査。
バングラのことを何も知らない私が酒に酔って手を挙げたら、「よし、行け! あとは任せる」となった。ちょっと待て、そのプロジェクトのこともよく知らないのに、酒の上でのジョークだよジョーク、と言ってもあとの祭り。

昔の大手のNGOというのは、私が若いころ働いていたNGOもそうだけど、いまとなっては傷を見つけて絆創膏を貼って給料もらうというだけのサラリーマンになってしまった。
けれどその失敗を見てきた経験豊富な人々が作るイケイケ系のNGOっちゅうのはほんとにやるらしい。
バングラデシュでのNGO登録は認められたものの、そのプロジェクト自体、いまのバングラデシュではまだやっちゃいけんことでしょ。それでもやるのね?
あ、そう、よっしゃ、やりましょ。みたいなノリ。

さて、この村はビルマ系少数民族アラカン族の人々が住む村。
バングラデシュとはいえ、東も南もほんの20キロほどでビルマと接する地点にある。

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もともとの住民と、ビルマの圧制を逃れてバングラデシュへ入ってきた「難民」たちとが混住している。

9割以上の住民がアラカン族で、ほとんど全員が仏教徒。
難民としての保護措置など何も受けていない。
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が首都ダッカにあるが、村人のうち難民認定を受けているのはほんの数人だけだ。鉄条網に囲まれていない難民たちなのである。

ビルマのアラカン族の活動家は国連に期待は出来ないと述べた。
なぜなら、首都ダッカの国連スタッフのほとんどはベンガル人イスラム教徒だからだ、と。 仏教徒のために動くはずはないというのである。
難民に認定されたからといって、補助金やその他のサポートがあるわけではない。単に「難民」という身分を証明するカードを与えられるだけだ。

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さて、どうするか。

とりあえず住民たちとの協議をもった。

やってみたい、と彼らは言った。
ただし、今回の調査を踏まえて日本側がどう判断するかはまだわからないよ、と釘を刺して協議を終えた。

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生活の糧を彼らの多くは日雇い労働で得ている。アジア開発銀行が入ってプランテーションが各所にあり、樹木の伐採などの仕事もある。が、低賃金のその日暮らしだ。

写真中央の少年は、伐採作業のさなか、倒れてくる樹に足をつぶされた。
治療するための金などない。日本円で5千円。
この彼は家族のなかでの重要な稼ぎ手だったはずだ。
「何とかならんだろうか」と、バングラの仲間が言う。
日本人の強み、円高の強みを発揮させてもらった。
「日本人が出したと言うな。あんたからの寄付だと言え、頼む」
5千円に相当する金を渡した。
日本から預かった調査金のうち、5千円が当初の目的にそぐわない金として消えた。勘弁してもらえるといいが。w

それから4日後、彼は治療を受け、手術後の経過は良好との知らせを受けた。

山の朝

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その日、泊まったゲストハウスのベッド。
政府が建てた古いハウスで、なかなかの雰囲気だった。
泥のように眠った。
そして、朝。

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ベランダへ出てみると外は朝靄に包まれていた。
鶏の鳴き声。どこからか子供たちの声が聞こえるが姿は見えない。
煙草に火をつけた。
朝食の用意が出来たぞ、と仲間が部屋のドアをノックした。

朝食をとって出発。
農が広がる景色。
すれ違う人々。
最初の訪問地まではもうすぐだ。


丘陵地帯へ入る

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景色が変わった。人の顔も変わった。

2011年12月11日、バングラデシュはチッタゴン丘陵地帯の中心ともいえるバンダルバン州へ。
山続きでビルマに接する地域だ。
自然といい、人々の顔つきといい、ここはもうベンガルではなくアジア、ビルマ系の人々が住む地域だ。

ラマという名の地方にある孤児院の開所式に参加。
小高い丘の上に僧侶たちの手で建てられた孤児院だ。
親の無い子、親が子供の面倒をみれる余裕の無い子、境遇はさまざまだが、仏教教育を根底に置きながら、青少年への職能技術訓練センターとしての機能ももつ予定だ。

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実のところ、この開所式本番は数日前に終わっていた。

私はバンコクからここへのフライトに乗り遅れたのだ。本番には間に合わなかった。

飛行機に乗り遅れたのは生まれて初めてだった。
なぜそうなったのか今もよくわからない。バンコクの空港に着いたとき、まだ時間はあったのにビーマン・バングラデシュ航空のカウンターは閉じられ、他の航空会社用に使われていたのだった。バンコクの空港に専門カウンターを持たない航空会社だったのだ。知らなかった。

だから、この写真の子供たちは、遅れて来たわたし一人のためだけにこうしてもう一度式を挙げてくれたのだった。知らなかった。

ここへ連れてきてくれた僧侶たちも、私を驚かそうと思ったのだろう。車の中では「もういちど開所式をやるからね」なんて一言も言わなかったのだ。
お茶目といえばお茶目だが、こちらの立つ瀬はない。

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私の目はうつろだった(汗)。
いつまでたっても状況が呑み込めなかった(大汗)。

丘陵地帯へ入った、とだけ感じて アジアってすごい、と思った。
ありがとう。

さあ、明日から、また長い旅が始まる。この丘陵地帯を北から南へ。
村を訪ねて。人を訪ねて。
はじめまして、バングラデシュ、チッタゴン丘陵地帯。
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私の頭のなかにあったバングラデシュのイメージは
滞在中の1週間、裏切られ続けた。

それはそうだろう。
私が動いたところはバングラのなかでも特異な地域なのだから。
自然環境といい人々の顔といい、そこはバングラデシュからどんどん離れてビルマに近くなる。タイと同じ東南アジアといってもいい地域だったのだ。

しかしここチッタゴンはバングラのイメージそのままだった。
バングラデシュ一の海港をもつ都会だ。

バングラデシュが本気で中国と手を結ぶようになった近年、
この町の港も近い将来中国海軍に提供される。インドに取り巻かれたバングラデシュは、インドと仲の悪い中国と組むことを選ぶからだ。
中国は念願のインド洋への出口を手に入れることになる。剣呑、剣呑。

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私が抱いていたバングラデシュのイメージとはどういったものかというと、
不衛生、無法、どぎつい、生馬の目を抜く、うんぬんかんぬん・・・・・・。
着いた空港も無事に出られずひと悶着あるはず、なんて思いながら行ったのだったけれど。
もちろん、1週間を現地の仲間に護られるようにして移動したのであったから偉そうなことは言えないのだが、そうした負のイメージは「大したこたぁない」のだった。
なぜかというと、タイも同じだ、という感覚が湧いたからだ。

どうやら、長年暮らしているタイで私のなかには或る「耐性」ができているようだ。
気をつけなきゃいけないことはどこでも同じ。タイと同じような気持ちで歩いていればまずどうってことはない、そう思い始めたのが3日目だった。


すると、不思議なことに
過剰な警戒心は抜けて、言葉が通じるかどうかわからんが、ちょいと話しかけてみるか、てな気持ちも湧いてくるのだった。


結果。
どの人物もフランクだった。
ひとりで入り込んだ路地に迷って、タバコ屋に寄って一箱買う。
料金を払って、行こうとすると、タバコ屋が後ろから威勢よく呼び止める。
ドキッとして振り向くと、向こうが求めるのはお別れの握手だった。
私は多分あっけにとられた表情でその握手に応じ、
あっけにとられたままその場を離れたろう。

その向こうには、
路地の出口にヤギがいた。


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豊かな大地

2011年12月9日、バングラデシュへ飛んだ。
初めて行く国だった。

ビーマン・バングラデシュ航空。
運休や遅れが当たり前なので有名。
案の定、
フライトがバンコクを離陸したのは定刻より3時間遅れ。

バンコクから1時間50分でフライトはチッタゴンへ降りる。
初めての国なのに首都ダッカへは見向きもせず、「チッタゴン丘陵地帯」へ飛んだわけだ。

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チッタゴン丘陵地帯。
ほとんどがインドと国境を接するが、丘陵地帯の南東部はビルマ(今でいうミャンマー 以下ビルマと表記)に接する。というか、もともとはビルマだった。突然の国境設定でバングラデシュになったのだ。このため、古くからビルマ系住民が多く住む地域であり、仏教徒が多い。

バングラデシュという国名は「ベンガル人の国」を意味する。
イスラム教徒が8割以上を占める。次がヒンドゥー教徒。


バングラデシュ政府はこのチッタゴン丘陵地帯に対して同化政策を採ってきた。
ベンガル人の入植政策を始め、政治や経済、あらゆる方面におけるベンガル人優先政策だ。
摩擦が生じないはずはない。

1972年、チッタゴン丘陵人民連帯連合協会という政党が作られ、バングラデシュ軍と20年間にわたる戦闘状態が生じた。
90年代に銃火は収まったものの、基本的な問題は何も解決していない。
そのためこの地域の奥はいまだに許可証がないと外国人は入れない地域となっている。

バングラデシュの同化政策により仏教徒住民は続々とビルマやインドへ逃れた。
またビルマ国内の圧制から逃れバングラデシュへ入った者も多い。
言ってみれば、ここチッタゴン丘陵地帯はバングラデシュのチベットなのだ。

さて、難しい話は置いといて。

バングラデシュに滞在した1週間、わたしの頭のなかを離れなかった言葉がある。

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「なんて豊かな大地なのだろう」

「豊かな大地」。ありふれた言葉だ。
これまでに何度も聞き、何度も使ったことがある。
けれど、目の当たりに「それ」を見たという感覚を味わったのは初めてだった。

どこに行っても河があり水がある。渇きを感じない。
田畑はよく手入れされ、牧畜の牛やヤギがいる。
世界一の人口密度(日本の約3倍)というが、だからこそ人が絶えることなく、どこにも大小の市場がある。
そして世界でも最貧国のひとつである。

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「豊かな大地」
私のバングラデシュの旅はこの第一印象から始まった。

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バングラデシュ1日目、ホテルの窓から撮ったチッタゴン鉄道駅周辺。

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