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2014 日本の旅

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夢のほそみち

2014年4月23日。
故郷。

すっかり便数が減らされたバスをゆっくりと待って 乗り、
あのころ毎日バイクで通っていた高校への国道の記憶をたどる。

あ、ここだ、と思って降車ボタンを押した。

降りたそのバス停から見る春の景色が 
これほど美しいとは知らなかった。
本当に知らなかった。

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たぶんあの頃、この景色には 気づいていなかったのだ。
あの頃 このバス停から見える景色のすべては 国道を挟んで向こう側の

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ここだった。


バイクを国道に止めて この道を歩くセーラー服の後姿に声を掛けると
彼女は驚いて振り返った。
長いまっすぐな髪が肩を流れる。
手を振ったら 手を振り返すかな と思うと
彼女は深々と 幼いが 丁寧なお辞儀をした。
そういうひとだった。
あのときどんな言葉を交し合ったのか 
憶えていない。


彼女が立っていたそこから先の道は 
それから40年近くのあいだ
わたしにとって絶対に行ってはならない 結界の向こうだった。

しかしもういいだろう。
結界を破ってみよう。

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田舎のみちというのは本当に深い。
勝手気ままに歩いていると 私道に入っているような錯覚に襲われる。
森にぶつかるかと思えばまだその先に小道があり、
竹林を抜けたかと思うと 急に神社の裏に出たりする。
へえ、こんなところに神社がねえ。
と、思ったとき、

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ここにぶつかって立ち止まった。

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2年ほど前、夢に出てきたほそみちだ。
デジャブではない。その夢のこの場所で、私は通りかかった人と会話を交わした。
朝になって目が覚め、その夢と会話をネタに短い芝居の台本を書こうと思った。
だからネタ帳にメモして残してある。
そのほそみちがここなのだった。

老婦人が通りかかった。
夢のなかと同じせりふで話しかけてみた。

やっぱりそうだ。ここだ。
あのほそみちは 現実にある。

では 次のみちへ行くしかない。
いつまでも立ち止まっていると 単なる馬鹿だ。

国道へ戻り、もう一度別の田舎道へ入った。
大きな駅ではなく、無人の鉄道駅から列車に乗りたかったから。

駅に着くころ、夕日は円い形を変えて 
高みへ高みへ 燃え上がろうとしていた。

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明日の今頃は飛行機のなか、
タラップを降りれば東南アジアの暑季の 情け容赦ない暑さに包まれる。

二十日間の
長い夢から醒める。

記憶のあやうさ

2014年4月19日。
熊本。

故郷に帰ると、いつも高校の同級生たちが呑み会を開いてくれる。

夜遅くまで呑み、そしてそのうちのひとりが毎回ほぼ強引に自宅へ泊めてくれる。
帰りは深夜になるし、もちろん奥様は起きておられないけれど、
寝具がちゃんと用意されている。
ありがたいし、
遠慮はしたくとも どうにも逆らえない。

朝、その彼が言った。
霊厳洞(れいがんどう)に行こうか、と。

えっ、と思った。
こっちの気持ちを見透かされているのか、と。
今回の旅で、故郷に着いたならば一度行ってみたいと思っていたからだ。
けれどもそれを言うのもはばかられた。わざとらしくなってしまうから。

ほう、よかねえ、行こか。

で、彼が運転するベンツに乗った。
ベンツで山登り、と。

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金峰山(きんぽうざん)。
わたしのイメージではこの山の向こうが熊本市街。
こちら側はわたし達が住む田舎。
この山に霊厳洞はある。

宮本武蔵が晩年ここに篭って書いたのが「五輪書」。

歴史によればちょうどいまのわたしの歳に宮本武蔵は熊本を最期の地と定めた。
細川護煕元首相のご先祖、熊本の細川家しか彼を拾ってくれる藩はなかったというのが実情だろうか。

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この洞のたたずまい自体はその頃と変わっていないという。
奥には観音像が祀ってあるというが、格子に囲まれてよく見えない。

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自分は生涯60数度闘ったが一度も負けたことがない、という有名な自慢で始まる五輪書だが、京都での吉岡一門との対決、巌流島での佐々木小次郎との決闘などなど有名な事件はどれも虚実あい混じるもので、いま私たちが知る宮本武蔵のイメージはほとんどが小説からきた虚像だという。

武蔵の実像はどうあれ、
五輪書というのは殺人剣のマニュアルだと解していいだろう。
しかし武蔵の殺人術はあの時代、もう必要とされなくなっていた。
下克上の時代は終わっていたからだ。

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霊厳洞は霊厳禅寺というお寺の裏にある。
かなり危ない路を登ったり降りたりしなければならない。
わたしは小学校4年の修学旅行でここを一度訪れている。

と、思っていた。
ところが実際今回行ってみるとずいぶんイメージがちがうのだ。

洞にたどり着くまでの危ない路や途中にある五百羅漢などもまったく記憶にない。
もしかして
ここを訪れたというのはわたしの間違った記憶であり、
その記憶のなかの洞の景色は夢で見たものだったのかもしれない。

小学校の同級生に会ったら一度聞いてみようと思う。

記憶は あやうい。

ふるさとで酒

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2014年4月17日。
昇ったばかりの陽光に照らされた海峡を渡る。

九州に 入った


昼前には故郷に着いた。
知らされたのは母校の完全な廃校。
前回の訪問まではまだ生徒がいたのに。


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跡地は地区の子供たちと父兄の 公園代わりに使われていた。
取り壊して整地するにも弱小市の予算が膨大にかかるし、ということらしい。

熊本県荒尾市立第二小学校。
九州の炭鉱華やかなりし頃に結婚した親たちの子弟が通った。
つまりわたし達。
いま世界遺産に暫定登録された三池炭鉱万田抗跡のある町だ。
「月が出た出た 月が出た」の炭坑節の あの町である。

狭い地域に数校の小学校、5つの中学校があった。
経済的に、ある程度の余裕をもった家庭の子供たちが集まり、
県下のこの地域の小中学生の学力は右肩上がりの時代だったという。

そのなかでもトップをいったのがこの第二小学校、そしてその裏にあった第二中学校だったとある市暦書は記す。
え、おれたちがトップだったんだ、ううむ、やっぱりそうだったか、
と思う笑いどころ。


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校庭跡では妖精たちが歓声をあげている。
けれどもあのころの歓声の千分の一だ。

こうやって消されていくのにちがいない。
ここが更地にされたとき、わたしたちの喪失感はさぞかし大きいだろう。
子供時代のいちばん大きな想い出の跡地が消されるのだから。
いまから覚悟しておかなくては。

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昨日までの京都の熱を 私はまだ引きずっている。
玄関を入って ただいまと言ったら

柱にもたれて 酒を飲もう。

平安京の迷路

2014年4月16日。
2日目の京都
また歩く。

北大路通りの船岡山に初めて登った。
標高110mあまり、山というより丘。

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山頂にこの岩がある。

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千二百年あまり前、
ここに登った桓武天皇の使者は眼下に広がる盆地を見て驚いた。

ここから真南に線を伸ばせば甘南備山(かんなびやま)に突き当たる。
これを中心線として眼下の盆地は左右均等に広がって見えた。
しかも
東(青龍)に流水  (鴨川)
西(白虎)に大道  (
山陰道
南(朱雀)に
湖沼  (巨椋池 おぐらいけ 現在はない)
北(玄武)に
高山  (この船岡山)

風水でいう四神相応の地形。

東西南北を
青龍・白虎・朱雀・玄武の四神に守られ、
魔物が出るという鬼門の方角(北東)には比叡山延暦寺を置いて封印する。

真南に伸ばした線に沿って朱雀大路をつくる。
怨霊から身を守るすべを完璧に備えたシェルター 平安京の完成。

ここから京都を一望に見下ろせるはずだったが
春霞か曇りか、さらには木々にさえぎられてよく見えなかった。

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銅版には京都を囲む360度の山稜がかたどってあったが、
これもまたよく読みとれない。
この京都という街はつくづくその全貌を私に見せようとはしないのだった。
碁盤の目をした迷路なのだから。

山を下りてバスに乗る。
これまた初めて訪ねる一条戻橋(もどりばし)。

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平安京はこの西に接していた。
都の内と外を隔てる橋。
現世とあの世との境界の橋。
この橋から先はあの世に通じるとされた。
死者が戻る橋としてこの名がある。
いまもなお、婚礼や葬儀の一行はここを避けて通る。

陰陽師の安倍晴明は式神を戻橋の下の石棺に封じたとされ、予言や占いの際に操ったという。
この橋から200mほど北、
安倍晴明居館跡とされる晴明神社がある。
平安京の北東角、鬼門の方角を守護するためにここに屋敷を構えたのだ。

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闇と 虚構と 信じる心だけに突き動かされていた平安の都
その跡である京都に私は何年も住んでいたのだったが 結局何も知らなかった。

もうすぐ、今夜、
夜行バスに乗り込めば京都の旅は終わる。
なぜ京都を訪ねたのか、もう少しで答えが出る。

京都御所。
昨日この街に思い知らされたことを重々承知で
あえて歩く。

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この長い壁に沿って
歩いても歩いても、砂利を踏む足音は独り。
あのときのように。

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夜、バスが出る。
京都の灯が後ろに流れていく。
私はこの街で何を見たかったのか、
答えがはっきりした。

この街はただの街ではない

あのときのあのひとが

この街なのだ。


とすればわたしは 
もういちど いつかまた この街を訪ねたくなる。


迷路が続く。

満月の京都

2014年4月15日、午後になった。
京都
ぼうっとしたまま南から北へ電車に乗り続けた。
鴨川が高野川と二つにわかれるところまで。
あるいは賀茂川が高野川と出逢って鴨川となるところ、か。
ま、どっちでもいい。

河原町今出川(かわらまちいまでがわ)の交差点
東に見える大文字山。
大文字五山送り火の「大」の字が夏に燃える山だ。
その火をあのころ何回か見ているはずだが

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明るい春の陽を避けて糺の森(ただすのもり)に逃げ込んでみる。

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森の奥には下鴨神社。


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賀茂の河原に戻ってみると、桜の川沿いみち。
斜めうしろに誰かが寄り添う。
ふりむくと ひとり。


あのときのように。

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このままだと危ない
慌てて携帯の電波を飛ばして人の声を聞いた。
電話の向こうの人は、長かった場面が変わる節目だよ、
と優しく、明るく、諭してくれた。

電波は届く。
いまの自分が捕り込まれているのは
やはり妄想の世界ではなく 現実なのだった。

どこをどう歩いたのか憶えていない。
簡単なみちばかりなのに まるで迷路だ。
私が いまこうして 迷っている。

歩き続けて 夜になる。

東山に月が昇った。 
満月。
こんな気分に 春の十五夜。 

やっとわかった
わたしは
この街に からかわれている

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