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2014年4月15日。
朝6時過ぎ、バスは駅に着いた。 昔の駅はもう無い。 初めて見る新しい京都駅。 街はまだ目覚めてすぐで、駅のロビー風喫茶店も開いていなかった。 70年代後半、私はこの街の大学を選んで九州の田舎から出てきた。 もしあの頃、日本の歴史に今程度の興味があったならば この「歴史の街」で過ごした数年はさぞかし楽しかったことだろう。 けれどなにより あのときの京都は あの彼女が住む街 だった。 私はこの新しい駅で3時間、動けなかった。 どうしていいかわからなくなったからだ。 この都を囲む山々の姿はまったく昔のままだった。 それをビルの谷間から見た瞬間 私は昔の私になった。 懐かしさなど一かけらも無い。 あのときの 突然京都で独りになった自分が そのまま今の私になった。 まずは北へ走り船岡山に登って京を眺める そんな予定を立てていたはずだったが 足はちがう方向へ向かった。 新京極から三条大橋へ 乗ってはいけないと思いつつ京阪電車へ。 南へ走った。 あのときの寒い初春のように。 深草の 野辺の桜し 心あらば 今年ばかりは 墨染に咲け 上野岑雄(かむつけのみねお) 大意 「桜の花に心があるのなら、せめて今年ばかりは墨染色に咲いてほしい」 そしてあの頃一生行くまいと決めていた 伏見稲荷へ とうとう。 どこへ行っても、私の数歩先には彼女の後姿ばかりがあって 時おり声は聞こえても けっして振り向いてはくれなかった。 あのときのように。 |
2014 日本の旅
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2014年4月14日。
横浜。 旅の句読点が打てた。 人を訪ね、人に助けてもらい、人に連れていってもらった旅がこの日で終わる。 もういちどの独りが明日から始まる。 その旅に発つ前に どうしても会いたかった女性に横浜駅で会えた。 いつまでも変わらない とても素敵な 句読点のひと。 さあ夜行バスに乗ろう。 明日の朝は あの街に着く。 |
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2014年4月13日。
仙台から72km、宮城県大崎市鳴子温泉 この温泉は相撲でいうなら 東の横綱といわれているそうな。 フアンに言わせると、「ここの鄙びた風情と湯に浸かるともう・・・他では我慢ができなくなる」のだそうだ。 昔はさぞかし賑わった温泉街だったのだろう。 つぶれた風呂屋や湯宿も多いが、それでもいくつかの名湯は守られている。 福島の南相馬を中心に各地にある仮設住宅から 特に自治会長さんたちに集まってもらい この温泉への日帰りツアーを楽しんでもらおうというボランティアイベントに乗っからせてもらった。 常日頃その仮設住宅の住人たちの小さいことから大きいことまで面倒をみている自治会長さんたちを慰労しようという趣旨だ。 しかし、ついていっていいんだろうか。 料理を手伝おうにも包丁の使いかたは知らないしなあ。 運転免許は持ってないし、温泉のことも知らないし・・・。 でも助かった。お役に立てる場面は見つかった。 穂波の郷クリニック主宰 「ほなみ劇団」。 この舞台はそのクリニックの患者さんや看護婦さん、関係者ばかりで作り、演じる。 演劇の緊張感や共同作業を治療法のひとつとみるクリニックというから慧眼である。 その劇団がこの日のためにと出張公演をやってくれたのだ。 演技はやりますけれど、劇場自体をどう設えたらいいかわかりません、お願いね、といわれて私と友は生き返った。 二人でここぞとばかり、観客席の設置、照明や音響の仕込み、暖房器具の設置から舞台上での漫才風の前説までと劇場全体を仕切って動き回れた。 お役に立ててよかったよかった。 舞台の上には何人もの名優がいた。 写真中央のおじいさん、苦しい息のリハーサル。普段もいざというときのための緊急医療機器を携えて歩いておられる。ところが本番はもうスーパーマン。 切れのいいアドリブを飛ばし、その場その場を操りながら狂言回しのリミット全開。 一言もしゃべれず、介添えなしでは歩けないおばあちゃんがどんでん返しのヒロイン役で堂々の拍手喝采大歓声を浴びた。 次の舞台が楽しみで生きる力を得る人がいて、舞台をやりはじめたことで場面ごとの対応ができるまでにリハビリが進んだ人もいて・・・。 ほんの少し聞いただけだけど、もっともっと色んなドラマがあるんだろうな。 そんな話を聞きたかったけれど、いかんせんわれらは旅人、時間がない。 春を彩るもうひとりの名優 つくしんぼ。 30年ぶりに出逢えたかも。 バックに見えるのはJR鳴子御殿湯(なるこごてんゆ)の駅舎。 さあ、今夜中に東京に着かなくてはならない。長い陸路が前にあった。 被災地ミッション コンプリート。 |
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2014年4月12日。 南相馬の仮設住宅 人にあうこと それだけが人を変える。 それだけを再び教えられた。 いつか近いうちに稿を改めて。 |
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2014年4月11日。
福島県 南相馬 春に包まれた穏やかな旅は終わった。 友が最初に連れて行ってくれたところは あのときまでは海水浴客やサーファーたちの聖地ともいえる海岸だった。 春先の海風は強く そして冷たい。 波の音は高く私たちを包んだ。 津波に剥がされたコンクリートたちはまだそのままで そばの慰霊碑には つい ひとつき前の慰霊祭の跡があった。 津波でやられた火力発電所は いの一番に復旧が施されて電気を供給したという。 瓦礫処理場 いたるところに瓦礫の小山はある。 とっくの昔に プロの手にかかっている 瓦礫の処理を手伝ってみたいとかつぶやく わたしのような甘い手や足はもう要らない。 必要とされる能力は もっと高い。 さて、じゃあホテルにチェックインしに行こう、食事が美味いんだ、と 南相馬に9回目の友は言った。 海風に凍えてたたずむだけの私には ありがたかった。 |





