Art to People

さぁて、どうするかな・・・・

2016 日本の旅

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]

ふるさと熊本 3

イメージ 1

2016年4月29日 撮。
ぼろぼろになった熊本城天守閣。瓦は落ち、しゃちほこもいくつか無い。

下の写真は震災6日前の城内入り口付近。
きれいなお堀で、誰もがここでカメラを構える。

イメージ 2

下は震災後の同じ地点。
立ち入り禁止となっていたので定点撮影できなかった。

イメージ 3

城のすぐそばにある熊本大神宮。
城の石垣に押しつぶされた。

イメージ 4

城内の名物にいくつもの櫓がある。
武器や食料の倉庫であり、兵士の集合場所であり、戦の際の最前線の防衛拠点。
ある櫓は近代になって復元され、またあるものは当時のままで残されていた。
しかし土台の石垣が崩れたのではどうしようもない。
西南戦争で西郷隆盛軍の猛攻撃にも落ちなかった名城は崩れた。

イメージ 5

下の写真は5月1日の益城町での一枚。
周りは崩れかけた住宅や農家が広がっていたのだが撮る気にならなかった。
ただ、春のこの地域の自然は相も変わらず美しかった。

イメージ 6


**********
**********

私のカメラのメモリーには多くの戸惑いと焦りと迷いが詰め込まれることになった。
2016年春の日本。九州から東京、そして一度は行ってみたいと思っていた岩手県花巻、盛岡へ。桜前線を少し遅れて追いかける楽しいはずの旅だった。
その途上で、ふるさと熊本が揺れた。
何の技術も知識ももたない私だが、役に立たないならそれも良しという気で被災地のボランティアに参加した。
被災現場への道に迷った私を拾い、車で送ってくれたご夫妻は、夫婦ともに実家が全壊し幼子を連れて車中泊を続ける人たちだった。何の役にも立たないでしょうがと言う私に、いいえ、絶対に役に立ちます、と言ってくれた。
畑で採れたばかりのキャベツをどうしても土産に持って帰れと言ってきかなかった親父さんは「出荷どころの騒ぎじゃないんで」とつぶやいた。
爪が割れ、腰は痛み、帰りの電車の中で汗のすえた臭いを遠慮しながらも、がれきの片付けを手伝うくらいならまだできるという自分の体に気づいて嬉しかった。
泥に汚れた作業靴のまま、疲れ果ててぐったりとした若い女性のボランティアは、バスの中でうつむいたままだった。
チームを組んだボランティアたちは互いの身の内を紹介しあうことなく「ありがとう」と言い合ったまま毎夕を別れて散っていった。
どれもこれもがいとおしい。
東南アジアにまた、さらにまた飛ぶということを繰り返してきた私だったが、他の地へ体を移すということにいったい何の意味があるのかわからなくなった自分がいる。
うしろ髪をひかれる、という感覚を、私はこの春、知ってしまった。
                        記    2016/05/02

ふるさと熊本 2

イメージ 1

2016年4月29日。朝8時半。
熊本市の繁華街のど真ん中、辛島(からしま)公園。
ここが一般ボランティアたちの集合場所だった。
全国組織である社会福祉協議会の災害ボランティアセンターが一手に仕切り、被災者の日常生活に密着した案件、つまり、がれきの片付けや救援物資の仕分けなど、あまりプロの技術が必要とされない作業にボランティアたちを采配する。

私はコンビニから買ってきたにぎりめしを食いながらこの写真を撮った。
周りの雰囲気はお祭り騒ぎに近い。 良いことだ。
写メを撮りまくり、明るい声が飛び交う。
一般人がボランティアをやるときにはこうでなくてはならない。
もしこれらの人々が皆、悲壮感にあふれた静かな群衆だとしたら、逆に救いようがない事態に見舞われたということだ。そんなときには一般人がボランティアなど出来はしない。プロのみにしか出来ない、という事態だ。

私が振り分けられた仕事はここから歩いて20分ほどのAさん宅。落ちた屋根瓦の片付けと屋内の掃除だった。年寄りしかいない家庭なので手伝いがいないとどうにもならないというお宅だった。公園で作られたグループは全員男性の5名。正式に派遣されたボランティアである身分証明書代わりのステッカーを腕に貼り付けられて出動した。

イメージ 3

澄んだ水が流れていたはずの市街の水路。水が涸れて、濃緑の藻たちもすっかり枯れている。一見すると水底の石たちのように見えるが、ついこの間までは涼しく揺れる長い藻だったはずだ。

イメージ 2

白川。
水の色が変わっていた。上流の土砂の色だろう。
春の釣り人もいなかった。

イメージ 4

いったいどういう揺れだったのだろう。
ちょうどそのとき私はふるさとを離れて東京にいた。
東京と横浜を結ぶ電車の中で友からの電話を受けた。
「矢野、おまえ熊本だよね。今テレビでニュースが流れてる。震度7って言ってるぞ」
彼は私の気持ちを察してすぐに電話を切ってくれた。
満員電車の中で周りの非難のまなざしをちらちら浴びながら実家に電話をかけた。
通じなかった。
あのときの気持ちは二度と味わいたくない。

ふるさと熊本 1

今回の日本の旅、私は4月19日に始まる東北、岩手への旅から語りはじめたが
実際には4月3日にタイから九州熊本の実家に着いていた。

4月8日、熊本市内で高校の同窓生たちと会うことになった。
もちろん夜の飲み会だ。
そこで
昼間のうちに熊本市に入り、熊本城に登ってみようという気になった。
熊本県人でありながら、この歳になるまで登ったことがなかったのだ。
なぜ急にそんな気になったのか、今もってわからない。
虫の知らせ と言いたい。

私の実家から熊本市までは普通電車で約40分。
午後早くに着いてゆっくりと城内を歩きまわり、そして天守閣へ。

天守閣から眺めた熊本市内の写真。
この位置と高さから撮る、震災直前の熊本。
私にとって最初で最後の景色となった。

イメージ 1

震災6日前の熊本城。
カウントダウンは始まっていたのだろう。

イメージ 2

今年の京都

2016年4月25日。友が運転する車で福島から横浜へ戻る。
4月26日。夜、高校時代の同級生と会い、まだ放火事件のあとの焼け跡の匂いが漂う新宿ゴールデン街で吞み。
その夜11時発の高速バスで東京を離れ京都へ。

2016年4月27日。朝6時前、京都駅着。
東京からふるさと九州まで一気に行くかどうするか、迷ったのだがやはり京都を素通りする気にはなれなかった。

2014年の京都の旅は痛かったが、どうやらあのときの経験で抵抗力はできたらしい。足がすくむこともなく、思い出に押しやられることもなく、ただ、山を見たい、と思いついた。

四条通を東へ。
先斗(ぽんと)町を過ぎ、

イメージ 5


イメージ 1

坂を延々と登り、そして清水寺。

イメージ 2

清水の舞台から京都市街を望む。

イメージ 4


イメージ 3

そこから北へ。
もっと東山に近く、比叡山のふもとまで。
人のいない山の懐まで。

叡電に乗った。

イメージ 6

イメージ 7

叡山口から八瀬童子の里、終点駅八瀬へ。
そしてもうひとつの路線の終点、源義経ゆかりの鞍馬へ。


イメージ 8

ただただ電車に乗り続け、車窓から山を見上げて時を過ごした。

イメージ 9

町へ戻り、思い出深い鴨川のほとり道。
桜はもう散り、雨の夕刻になった。

イメージ 10

イメージ 11



清水の舞台に設置されていた募金箱。
そうだな、そろそろ九州へ戻ってもいいだろう。あれから2週間近くが経つ。
ふるさと熊本もボランティアを受け入れる態勢ができているはずだ。
九州行きの高速バスは確か、京都駅発夜8時だったな・・・。

イメージ 12

南相馬 2

2016年4月24日。
福島県南相馬市小高区。

震災から5年。
今も続いているボランティア活動センターへ友に連れて行ってもらった。

イメージ 1

通称「ボラセン」。
この地域でのボランティアを希望する人は朝、ここに集まる。
そして指示を受けて現場へと散る。

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

5年の月日と活動の積み重ねがこの場所を作っている。
「できる人が、
  できる時に、
   できる事をする」
というのがここのスローガンだ。

イメージ 5

掲げられたパネルは手書きのもので、
「木の伐採といわれたら」
「パイプハウスの解体といわれたら」
「チェーンソーの掃除について」
「木の枝払い、玉きりについて」
「南京(トラッカーズヒッチ)の結び方」
などなどで、

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

何もできない私などを勇気付ける一言、「出来る事を増やしましょう!」とも。

私たちは4人組で行ったのだが、ここでの活動経験のある者は一人だけだった。
チェーンソーを使ったことのある者も一人だけ。
与えられた仕事は竹の伐採。
放射能除染作業のために伐採しなければならないのだが、行政は伐採まではやってくれない。そこで民間の出動となる。
プロの人々の後に付いていき、あまり技術のいらない力仕事などを担当。

イメージ 9

イメージ 10

住人が避難して久しい無人の人家。
その裏山いっぱいの竹の林。ここを丸裸にするのだ。
根元の直径15センチ、高さ10数メートルあろうかと思われる竹がチェーンソーで切られて急な斜面に倒れ落ちてくる。われわれがそれを引きずって枝打ち場所へ運び、2メートル位ずつに切り分けて積み上げていく。
道具はチェーンソーとバール、そして鉈だけ。ほかはすべて人力だ。
切られた竹はまたどこかに運ばれ、機械にかけて細かく砕かれる。
もったいない気もするが竹自体も汚染されているということだから仕方がない。

イメージ 11

私は40センチほどの鉄の鉈を借りて枝打ちを担当した。
鉈の使い方を習った。
鉈は両手で持ち、刃が入ったところでぐっと腰を入れるとスパッと切れる。
刀でいう袈裟斬りか上段斬りだ。1000回は振ったと思う。
次の日、腰と腕と首と肩が痛み、握力はなくなっていた。
腰の痛みにいたってはこの6月まで悩まされた。

この文章を書いている今、南相馬の大部分の避難指示が解除されたとのニュースを知った。
『帰還の対象となる住民は1万人を超え過去最多となるが、故郷での生活を再開させる人は少ないとみられる。』とニュースは伝えている。

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事