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2016年4月23日。
花巻を離れて南下。福島を目指した。 宮城県小牛田(こごた)から仙台へ向かう東北本線車内で撮った写真。 電車の揺れをものともせずに車内アナウンス中の女性車掌さん。 その姿がとても頼もしくて美しかったので思わずパチリ。 仙台で乗り換えて福島で友人たち3人と合流。車で南相馬へ走る。 一見のどかな田園風景と間違えそうだが、 あれから5年。 津波の跡のつらいメモリアルの後景に菜の花が広がる。 |
2016 日本の旅
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(日にちはちょいと前後するが) 2016年4月20日、夕刻。
この日、イギリス海岸を離れた後、手持ちの観光地図を見ると、最も近い鉄道駅は釜石線の似内(にたない)。花巻の次の駅になる。 歩いた。 これまた遠い。 この日は朝8時から夕方5時まで歩きっぱなしだ。 イギリス海岸から似内までさらに1時間歩いた。 やっと鉄道らしきものが見えたころ、そこを電車が行き過ぎた。 いやな予感がしたが、それは当たった。 誰もいない小さなその駅に着くと、さっき見えた電車が17:56分発。私は2分遅れてこの駅に着いたのだった。 じゃあ、次の電車は、と時刻表を見ると、19:46分発。 この釜石線、平日は上下線とも1日に10本ほどしかない。 上りも下りも昼間は3時間に1本だ。 ではこの狭い、数人しか入らない待合室で1時間40分を過ごすのか。 周りにコンビニなどなく、喫茶店も食堂もない。静かな夕食前の人家があるのみだ。 では、この周りを歩いてみよう、と思った。 どういうわけか、知らないところを旅するときの私は放浪癖がもろに出る。 駅を離れ、国道へ出てそこを渡り、土手を下りて伸びている畑のあぜ道に立った。 畑の中をまっすぐに伸びているあぜ道。遠くの突き当たりは森になっている。 歩いた。 突き当たりまで行ったが、その向こうには川の気配がする。 他人様の畑だが、仕方がない。最後まで、行けるところまで。 靴を泥にとられながら畑の向こう縁まで行った。 まだ先へ行けそうだ。 小さな道を見つけ、頭を低くして雑木の葉を掻き分けながら 出た。 ここへ。 もうこの道からそれて川まで出る道はないと思えた。 けれども、川の気配だけは濃く流れてくるし、日は急に暮れて、 まわりは見る間に暗くなった。 見上げると、春の夜のうすい雲の向こうに月があった。 電車に乗り遅れた私はその偶然に感謝した。 乗り遅れていなければ、私がここに立つことは一生なかった。 冷たい空気、流れてくる風、中天に月、何かが寄ってくる気配。 このとき初めて、私は声に出してつぶやいた。 賢治の名を。 ただ、「賢治さん」と言ったのか、「賢治先生」と呼んだか、あるいは「お久しぶりです」とだけ言ったのか、憶えていない。 1時間後、私はまた駅に向かい始め、 足元も見えなくなりそうなあぜ道を歩いた。 さっきの森が遠くなるのを振り返り、振り返りながら。 再び空を見上げると、 月夜のでんしんばしら。 |
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2016年4月22日。 花巻からJRで40分。盛岡に着いた。 駅で田沢湖線に乗り換え15分、小岩井へ。 びっくりするほど小さな駅だった。 トイレはまだ汲みとり式だったし。w ********* わたくしはずゐぶんすばやく汽車からおりた
*********そのために雲がぎらつとひかつたくらゐだ (「小岩井農場」 出だしの2行) さて、ここへ来たのは 591行という長詩、いや、心象スケッチ「小岩井農場」で語られたあの道をたどりたかったのだし、少しでも間近に岩手山を見たかったからだ。 駅近くの道端から望んだ遠くの岩手山 それよりもこんなせはしい心象の明滅をつらね
(「小岩井農場」パート1 より)すみやかなすみやかな万法流転のなかに 小岩井のきれいな野はらや牧場の標本が いかにも確かに継起するといふことが どんなに新鮮な奇蹟だらう ********* パート10まである「小岩井農場」のうち、パート3までが 小岩井の駅からの道のりとして駅前の掲示板に描いてあった。 よし、歩こう。 車も人通りもほとんどない。 賢治の詩を読みながら「このあたりがそうかな」などと つぶやきつつ周りを眺めて歩いている人がきっといるぞ、 なんてイメージしていたのだが 誰もいなかった。そりゃそうだ。世の中、暇人はそう多くない、と。 それでいい。それがいい。 そうしたければ誰でもひとりの時をえらぶだろうし。 もし私がそういう人に出会ったなら、私は単なる通りすがりを演じてあげよう。 ファンの心理には不思議なものがあって、 誰もがそれなりの賢治をもっている。 どんな著名人や文学者が賢治の作品とか生き方をどう説明しようが解説しようが、 自分が感じた賢治だけを大切にする。 だから私もそうしたい。 花巻の一日目で箱モノを嫌いはじめたのも、そこに求めるものはなかったからだし、 本でいえば「まえがき」や「プロローグ」や「目次」に過ぎないと気づいたからだ。 「本編」に入ろうと思うなら、歩きまわり、立ち止まり、また歩くしかない。 光と空気と音、そして自分自身。 賢治が感じて言葉にしたものを、もう一度自分の五感と第六感で現実化すること。 賢治に会うという作業には、それしかない。 掲示板に記されているのはここまでだった。 写真データを調べてみると、小岩井駅からちょうど1時間歩いている。 ここから先は国道219号線を歩き、両側にときおり広がる農場やその施設を眺めながらの歩きになった。前方に常に岩手山が見える。 近づきたくて ただ歩いた。 建物といえば農場関係のものしかなく、 ガソリンスタンドにも出会わなければ(出会ったのに見てなかったのか) 歩く奴が休憩できるような施設もない。(あったのに見てなかったのか) 小便がしたくなり、仕方ないから林の中に逃げ込んだ。 そしてだんだん不安になってきた。 このまま岩手山を目指して、というか、もっと近く、もっと近くへ、 なんて吸い込まれるように歩き続けて、いったいどこまで行くのだろう。 小岩井の駅まで還るには時間と体力の関係もあって、折り返しということを計算に入れないと・・・。 と、思っているうちにこの国道の、この景色に出会った。 目の錯覚を誘う眺めだ。 ここはゆるい上り坂になっている。 だから、岩手山の山頂付近だけが前に見える。 もうまるで山のすぐふもとまで来ている気になってしまうのだった。 しばらくすると腹の調子までおかしくなってきた。 小便ならまだしも大きい方となると、森の中で不審なものに飛びつく春先の蛇君とか出てきやしないかと・・・。 へこたれそうになったとき、ここに歩き着いた。 小岩井農場の「まきば園」。どちらかといえばお子様向きの遊園地だ。 けれども、岩手山には真正面から向き合えるし、 子供向けのアトラクションを逃れれば、なんと小岩井農場の現役の施設まで入って見学できる。 とうとう最後までその全容を見せてはくれなかった。 |
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と
2016年4月21日。 朝一番の電車で遠野まで足を伸ばし、ぶらぶらとさ迷った後、 また花巻まで戻った。 午後、駅前からバスに乗り、県立花巻農業高校へ。 ここに、あの建物が移築されている。 大正15年に設立された「羅須地人協会」だったあの建物。 というより、 「下ノ 畑ニ 居リマス 賢治」 あの建物だ。 誰もいなかった。鍵さえかかっていなかった。訪れた人々は自由に中に入り、また電気を消して去る、という。教師や生徒や同窓会によって管理されているのだろうが、あくまでも訪問する人々の善意を信じる、というやり方なのだろう。 私はたったひとりで、椅子に座ったり、壁に触ったり、畳の上に大の字で寝転んだりした。教室風の部屋、廊下、居間、便所、浴室、隅々まで何度も歩き回った。 この春の花巻の、ガラス戸や障子を通してこの建物の中をうずめる空気や温度や色や影、そして匂いと光の具合。 それはその昔、賢治が見て感じていたそれと時を隔てても同じなのだと 信じたかった。ほんの少し垣間見て感じただけだったけれど、信じたかった。 賢治のファンは、二度のステップを経て、賢治を忘れることができないようになる。 少なくとも私はそうだった。 一度目は賢治の童話や詩を読んで。 二度目は賢治が農学校教師を辞め、この建物に移り住み、独居自炊の生活に入って「羅須地人協会」を設立し、農村の文化活動や肥料設計に奔走し、自らも百姓として生きようとし始めた大正15年からのことを知ってから。 ※※※※※※ 云わなかったが、 おれは四月にはもう学校に居ないのだ 恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう (「告別」 大正14年10月25日 より) ※※※※※※ 生徒たちにそう告げ、 ※※※※※※ 陽が照って鳥が啼き あちこちの楢の林も けむるとき ぎちぎちと鳴る 汚ない掌を おれはこれからもつことになる (「春」 大正15年5月2日 より) ※※※※※※ そう覚悟を決め、そのように生きて倒れた賢治のその後を知ってから、 人は賢治を忘れられないようになる。 ふつう、作品と作者は別物だ。 しかし作品の中で謳ったことそのままを生きた作者、宮沢賢治という人間がいたことに 人は圧倒されるのだ。 では、わたしはこれからどうしよう。 とりあえず、花巻駅まで戻った。そこからまたバスに乗る。 行き先のバス停の名は「賢治詩碑前」。 前述の建物が建っていたもともとの場所だ。 詩碑の下には賢治の遺骨もおさめられているというが、 それはあとから知ったことで、手を合わせることもなかった私だった。 わたしは詩碑に目もくれることなく、その低い丘から遠くを眺めた。 「下ノ畑」というからにはすぐ下にあるのかとイメージしていたが 遠かった。 直線距離で500メートルは離れている。 そこは北上川のすぐほとりで やはり誰もおらず、 風が吹き、鳥が啼き、水の音が聞こえ、 そしてここで、 賢治は泥のついた農具を洗ったのだと そう信じた。 |
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2016年4月20日、午後。 賢治記念館、イーハトーヴ館、童話村を訪ねた後、 花巻市街に戻るために私は「歩き」を選んだ。 箱モノから逃れるために自分の足を使った。 観光地図をにらみながら。 観光地図というのはたいていの場合、距離や縮尺が詳しくは描いてない。 とにかく、方向さえ間違えなければそのうち北上川にぶつかるはずだ。 そこから上流へ歩いてイギリス海岸へ行こう、と思い立った。 道のりでいえばそれは大回りだと後で気づいた。 けれども引き返すにはもう歩きすぎていた。 このあたりがイギリス海岸、というところまで来て、 川の水量が少ない季節にしかあの景色に出会えないことを知った。 川べりに腰を下ろして、空を見上げたり、風に吹かれたり、川の音や鳥の鳴き声を聞いたりしながら、「賢治に会う」ということがどういうことなのか、私が期待していたことは何だったのか考えた。 川のなかほどに一羽の鳥が。 身じろぎもしない。 このあたりも浅くてね、時期がよければここも海岸なんだよ、と教えてくれた。 |




