|
今日は夏期クラスの最終日でした。ネイティブの方が来てスピーチを
するのでその訳をするという設定です。
タイトルにもしましたが、「不実」な訳だしが私にありました。また、
私の人間性に関して、心ををえぐられるような気持ちになりました。
それは先生の指摘がまずいとかでなくて「私」という人間の
本質を指摘されたような気がしたからです。それもストレートに。
たとえばこんな状況です。スピーカーは4−5文しゃべった。
話の前後の流れがわかってても、1文だけなんとなく理解が飛んだ。
文の中の2−3のキーワードはメモしてある。こういうときに、私は
「何となくこんな感じだろう」と前後の流れに合うっぽいことを、
「えいっ」とばかりに訳だしをしてしまいます。
しかし今日の教訓はそれが一番良くない、ということです。
それこそが「情報の歪曲」でなのです。スピーカーに
たいしての不実と、聴衆に対する不実です。もしその点に関して
質問が出たら、結果として自分の首をものすごく締めることになります。
「そんなこと言ってないですよ」「いや、言いましたよ、通訳の人が」
では、話にならない。外交なら戦争になりかねない、責任問題になります。
汚い話で申し訳ないのですが、通訳の考えや主観が訳に混入するのは、
カレーにう●こを入れて売るようなものだと思います。それくらい悪です。
さらに、そもそも前提部分の「前後の流れがわかってて」が、
思い込みだったりしたら、目も当てられません。もしその「こんな感じかな」
という軽い気持ちで出した訳が、話の中でものすごい飛躍をしていたら?
自分のわかってなさをさらに情けない形で目立たせてしまいます。
「テストのときは黙ってるよりはとりあえず言ってみたほうが」
というレベルで考えていた自分が恥ずかしいのと、性格的に
自分がそういうことになったときになんとなく自分も他人も
だましてきたこと、仕事とかで似たようなことをして怒られたり
したこと、そういうことがものすごくフラッシュバックされて、
かっこ悪い自分を見せつけられたように思いました。
わかったふりをするのがどれほどの害悪かを、再認識しました。
本当に通訳としてやりたいならあくまでも「人と人が円滑に
コミュニケーションするためのツール」としての役割に徹すること。
自分の思い込みや先入観を捨て、聞いたことのみを淡々と、
言った事以上でも以下でもなく純粋にそれだけをただ伝えること、
それが基本にして至上命題という事を改めて感じました。
できないなら、通訳という資格はないでしょう。気をつけたいです。
|