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2011年05月23日
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マツダは、1991年に日本車として、またロータリーエンジン搭載車として初めてルマン24時間レースに優勝した「787B」を、ルマン24時間レースが開催されるサルト・サーキットでデモ走行を行う。
このデモ走行は、レース主催者のフランス西部自動車クラブからの招待を受けてのもので、レース開始前の6月11日12時30分頃(現地時間)に実施する。 また、レース開始前日の10日には、ルマン市内で行われる恒例行事「ドライバーズパレード」にも同車で参加する。今年のルマン24時間レースは11日15時〜翌15時まで開催される。 なお、マツダは「787B」の修復整備や、ルマンでのデモンストレーションの模様をFacebookやYouTubeのマツダオフィシャルページにて随時公開していく予定。 Car Watch Mazda 787B マツダ・787BはグループC・カテゴリー2規定に則り、ル・マン24時間レースのために作られたマツダのプロトタイプレーシングカー。 イギリス人のナイジェル・ストラウド(Nigel Stroud )により設計されたマツダ・757を起源にし、マツダ・767を経てマツダ・787へと発展した。順番から考えるとマツダ・777であるが日本語として言い難いと言うことから787となっている。750PS以上を発生する4ローターのR26Bロータリーエンジンを、剛結ではなくサブフレームを介して搭載している。1991年のル・マン24時間レースで日本メーカー初(かつ2009年現在は唯一)、及びロータリーエンジン車初(レシプロエンジン以外で初の快挙)の総合優勝という快挙を挙げた。また、あまり知られていない事実だが、カーボンブレーキ装着車として初めてル・マンを制した車種でもある。 ブレーキシステムサプライヤーのブレンボからは、「仕様書通りの開口面積を確保したブレーキ冷却ダクトを装備したのはマツダだけだった」と評価される。ミッションは、ポルシェ・962Cの5速マニュアルミッション(Hシフト)ものを上下逆にして装着し使用した。 1991年用のマツダ787の改造版。ストレート重視からコーナリング重視にマシンコンセプトを方向転換し、トレッドの拡張(メカニカルグリップ向上)/リアカウル形状変更/カーボンディスクブレーキの採用/タイヤ径の18インチ化/リアシャーシにエンジンストラットロアを追加/サスペンションアームの形状変更/駆動系の補強/冷却性能の強化/ハーネス配置の最適化/光学式車高センサの搭載等の約200項目に関する改善を実施した。その結果ベンチレーション/居住性/ハンドリング特性が向上してドライバー負荷の軽減が可能となった。2台が生産されたのちに、ルマン優勝車を保存することになり、その穴を埋めるべく追加で1台生産された。 1991年のル・マン24時間優勝について 787Bは、1990年の787に前年の経験からストレート重視からコーナリングスピード重視のマシンにするためにトレッドの拡張(メカニカルグリップ向上)などの変更を加えた改良型であり、ルマンには787Bが2台(55号車、18号車)、前年型の787が1台(56号車)参加した。55号車はレナウン・チャージカラー、18号車と56号車はマツダワークスカラーだった。55号車は、フォルカー・バイドラー、ジョニー・ハーバート、ベルトラン・ガショーにより運転された。 レースは、新SWC規格マシン(3.5リットル自然吸気エンジン搭載車(最低重量などでレギュレーション上大きな恩恵を与えられた)が、初参加の走行ということで次々とトラブルを起こしてリタイヤした。結局、メルセデスベンツ・C11勢(1号車、31号車、32号車)が序盤をリードしたが、55号車は夜になってメルセデス勢の後、1周遅れの4位につける。その後、メルセデスの31,32号車はトラブルから後退した。 早朝、34号車、35号車のジャガー・XJR-12と2位争いをしていた55号車はジョニー・ハーバートに2シフト連続担当させる勝負に出て、これに成功。単独2位に浮上、しばらくこの状態が続いた。 しかしレース終了約3時間前の12時54分、2位55号車に3周差をつけて長らくトップを走っていた、1号車メルセデスベンツ・C11がトラブル(ウオーターポンプのプーリーが破損したことによるオーバーヒート)で緊急ピットインし後にリタイア。午後1時4分、55号車はトップに上がった。その後周回遅れの2位ジャガー・XJR-12の追撃を受けるが、無理をせず抜かせてかわした。最後のドライバーはベルトラン・ガショーの予定だったが、コース状況を良く知っているジョニー・ハーバートが引き続き運転、3シフト連続してドライブした。その後トラブルなくレース終了まで走りきり、首位を守り抜いた(レース中に消費するロータリーエンジンの潤滑用のオイルは燃料の水増しではないかと他チームにクレームを付けられる場面もあったが、主催者によって退けられる)。結果、55号車が優勝、18号車が6位、56号車が8位に入った。55号車は、コースを362周走行し、距離にして4,923.2kmを走った。マシンがマツダピットに戻ってきたとき、ハーバートは長時間の運転による脱水症状で倒れ、表彰台にあがれなかった。 1991年限りで、グループCレギュレーション変更のためロータリーエンジンが参加できなくなったので、ロータリーエンジンが参加できる最後の年に初の総合優勝を果たした(1993年から再びロータリーエンジンは参加可能になった)。 Wikipedia Mazda 787B in Mine
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