上から順に、深い青色の層は上層大気で、地上から見た空が青いのはこの層の青さが原因だ。その下の薄い黄色の層は約50キロ上空までの成層圏で、実際には乾燥しており雲もほとんどできない。
オレンジ色に輝く層は対流圏で、地球上空にある水蒸気のほとんどすべてがこの層にある。画像右側の黒い筋のように対流圏の色にばらつきがあるのは、雲や浮遊する微小な粒子の影響だ。質量にして地球の大気の80%が上空6キロから20キロまでの対流圏に存在している。 そして、一番下に広がるのがインド洋である。 National Geographic |
サイエンス
[ リスト | 詳細 ]
概要
1971年8月14日から1971年8月20日まで、アメリカ・スタンフォード大学心理学部で、心理学者フィリップ・ジンバルドー (Philip Zimbardo) の指導の下に、刑務所を舞台にして、普通の人が特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動してしまう事を証明しようとした実験が行われた。模型の刑務所(実験監獄)はスタンフォード大学地下実験室を改造したもので、実験期間は2週間の予定だった。 新聞広告などで集めた普通の大学生などの70人から選ばれた被験者21人の内、11人を看守役に、10人を受刑者役にグループ分けし、それぞれの役割を実際の刑務所に近い設備を作って演じさせた。その結果、時間が経つに連れ、看守役の被験者はより看守らしく、受刑者役の被験者はより受刑者らしい行動をとるようになるという事が証明された。 Wikipedia 実験 実験を終えた研究者らはこの事件を分析し、まず一連の問題の原因が、少なくとも集められた被験者の性質によるものである可能性を除外した。何故ならば、そもそも実験に参加した24人の被験者は、新聞広告の募集によって集められ、選りすぐられた70名の被験者候補者の中から、更に情緒的安定性を基準にして選考された心身共に健全な人々だったからである。更にまた、囚人と看守役はそれぞれ全く無作為に、コイントスによって決定された。つまり役割の選考においても何らかのバイアスがかかっていたとは考えにくかった。 暴動 そして一日目はまるで穏やかにすぎたが、実験二日目、早くも事件が発生した。囚人らは監獄内で看守に対して些細なことで苛立ちはじめ、やがて暴動を起こしたのである。彼等はストッキングと張られた番号をはぎ取り、ベッドを立てて監房の内側からバリケードを作った。そして看守らはこの事態を重く見、補強人員を呼んで、問題解決にあたった。しかし暴動は一向に収まらず、最後には囚人に向けて消火器を発射して怯ませ、その隙に監獄内に突入、全員を裸にした上で、暴動を主導した人物らを独房へと送ったのである。 更に看守らは今後の暴動を抑止するために心理的攪乱作戦を開始した。まず暴動に関与していない囚人のグループを”良い”監房へ収容して彼等を丁重に扱い、そして関与した囚人のグループを”悪い”監房へと送り、過酷な扱いを行うことにしたのである。そして半日程が経過すると、今度は一部の囚人を、理由を教えずにそれぞれ交代させ、囚人らを混乱に陥れた。つまりこの交代によって悪い監房に残された囚人らは、良い監房に移動した囚人が看守に何らかの密告を行い、その褒美で良い監房へと格上げされたのではないかと推測したのだ。そしてこの巧妙な看守側の作戦は見事に功を奏し、たった二日目にして、看守と囚人の間のみならず、囚人内部でさえ、対立が発生した。 しかしこれも、その後に続く事件へのほんの始まりにすぎなかった。看守らははじめの暴動に肝を冷やし、囚人の反抗を恐れた余り、それ以降、必要以上に加虐的になったのである。一時間ごとに全員を整列させて員数調査を行うことを決定し、その都度、態度の悪い者に体罰(腕立て伏せなど)を課した。また一部の囚人の入浴を禁止し、トイレを監房内のバケツにさせるといった嫌がらせも行われた(看守らはそれを捨てることを拒否し、囚人らに一層のストレスを与えた)。また時には全員の前である囚人を裸にし、滑稽な真似をする命令を与えて恥をかかせたり、夜には監視カメラを切って(実際には研究者によって別の隠しカメラで監視されていた)虐待を加えたりといったように、看守側の行動は徐々にエスカレートした。 服従と支配 これらの事件が起きる最中、独房においても幾度かの単発的な反抗が発生したが、それは最初の暴動のような、組織的なものには発展しなかった。また途中から入獄したある被験者(彼は途中まで予備の囚人として待機していた)は、看守の態度を知るなりすぐにハンガーストライキを行ったが、逆に罰として真っ暗な独房へと押し込められ、数時間をそこで過ごすことを強要された。そして看守らは他の囚人らに対して、彼を独房から出す交換条件として毛布を渡すこと、より粗末な囚人服に着替えることなどを要求したが、囚人らはそれを拒否し、結果、更なる囚人間の対立を生んだ。そして最終的には、ジンバルド博士自身が仲裁に入り、看守らの反対を押し切って彼を独房から救出したのである(実験のルールとして独房内に押し込められるのは一時間を限度とすることが定められていた)。 しかしこれら実験において不可解であったのは、時折、実験中の施設を被験者の家族や友人といった見学者が訪れて、実験の様子を見学していたにも関わらず、彼ら訪問者の誰もひとりとして、刑務所内で起きている問題に気づかなかったということである。ある時には牧師が施設を訪れ、監房を回って一人一人面会を行ったが、やはり目立った苦情はなかった。 これが一体いかなる為か、真相は定かではない。つまり囚人側は、実験と関係のない外部の人間に対しては、本音を漏らすことや助けを求めることは恐らく可能であったにも関わらず、そうしなかったのだ。また例えば、看守側の人間が決してそうした苦情をもらさないよう、囚人側に命令していた(例えば苦情を漏らした場合は、面会後に体罰を加えるといったように)としても、何も囚人側はそれに盲目的に従う必要はなかったはずである(何故ならば彼等は涙を流してさえ、途中離脱を訴えたのだ)。しかし彼等がそうしなかったのは、恐らく看守の仕打ちを恐れたためであり、それは即ち、彼等の間で実験という枠組みを超えて、看守と囚人という主従関係が、強固に成立していた事を示唆していると言える。つまりこの段階で、既に囚人側の被験者はあたかも本物の囚人のように従順な服従者へと変貌し、そして看守側もまた、日を追うごとに自分たちの”責任”に対して真摯になり、彼等囚人を決して釈放(=途中離脱)させまいと、支配的に、さながら本物の看守へと変貌していたのである。 スタンフォード監獄実験(2/2)に続く・・・ X51.ORG |
情況の囚人
後にこの実験は”残酷な人体実験”とさえ呼ばれ、その倫理性 ― 看守の暴力を研究者は何故放置したのか ― 、そして実験方法の根本的欠陥 ― 研究団は完全に公平な立場であったのか、被験者は本当に”正常”であったのか、人選にバイアスがかかっていたのではないかといった ― を巡って、博士らは多くの批判を浴び、参加者の間にも大きな遺恨が残された。それ故、この実験が人間の行動モデルを研究する科学的研究成果として、果たして一般化しうるものであるのかどうか、今なおその評価は分かれている。例えば近年にも、米軍のアビ・グライブ基地において発生したイラク人捕虜虐待の問題を巡って、擁護側が集団内で発生する暴虐の事例としてこの実験結果を提示し、物議を醸した事は記憶に新しい(つまり兵士等の暴虐行為は、情況が生んだものだったという主張である)。 しかしいずれにせよ、これら実験の結果がその倫理性をよそに、確かに興味深いものだったことは、また否定しがたい事実である。博士らが実験から得たひとつの結論とは、即ち、人はある集団や、環境、社会的情況下において、”驚くべき迅速さ”でその中に適応しようとし ― あたかも情況の囚人として ― その役割を自ら演じてしまうということであった。事実、実験開始前、全く”正常”であった囚人側被験者達は、精神的に衰弱すると、すぐに卑屈に、服従的になり、心身共に監獄の中に捕らえられてしまった。そして同じく”正常”な看守側の人々もまた、囚人達の暴動を警戒するあまり、権力を必要以上に誇示し、囚人の衰弱ぶりにも気を留めず、支配者として加虐的にエスカレートしていったのだ。 つまりこれら実験が提示したひとつの事実とは、ある集団の中の個人が、その個人的性質、行動傾向よりなお、情況下における命ぜられた(または自任した)集団内の役割を ― 意識的にせよ、無意識的にせよ ― 優先し、時にそれが恐ろしい結果を引き起こすことさえままありうるということである。そしてまた、これが刑務所や戦争という特殊な情況下に限られた出来事であり、我々の日常生活にはまるで無関係な話であると、一体誰に断言することができるだろうか。 X51.ORG
|
ディート(ジエチルトルアミド)はほとんどの虫よけスプレーに使われている化合物で、植物の化学成分の研究を基に開発された。病気を媒介するカやダニなどを寄せ付けない効果を発揮する。
研究チームの一員で、イギリスにあるロザムステッド農業試験場の化学生態学者ジェームズ・ローガン氏は次のように話す。「メスが産卵に必要な血液を狙っているときには、普段の食物(樹液や花の蜜)に対して何の興味も示さない。ディートを体にまとった人間は、カにとっておいしそうなにおいがしなくなるのだ」。 しかし今回の研究で一部のネッタイシマカ(学名:Aedes aegypti)が、ディートの虫よけ剤を塗った人からも前と同じように吸血するようになったと判明した。ネッタイシマカはデング熱や黄熱病を媒介する種である。調査の結果、遺伝子の変異により、カの触角にある感覚細胞がディートを感知しなくなっていたことがわかった。 そしてこの変異型同士で繁殖が進むと、ディート非感知型の比率が一世代で13%から50%へ増加したという。研究成果は、「Proceedings of the National Academy of Sciences」誌オンライン版に5月3日付けで掲載されている。 ただし、「無敵の害虫の出現を恐れる必要は今のところない」とローガン氏は注意を促す。非感知型の交配相手はほとんどが従来型で、しかも大量に存在する。「世界中の人間がディート漬けにでもなれば話は別だが」。 National Geographic
|
成果と影響
1990年4月24日、ハッブル宇宙望遠鏡はNASAのスペースシャトル「ディスカバリー」によってフロリダから打ち上げられた。20周年を迎え、ハッブルは天文学分野における最も象徴的な観測機器の1つに数えられている。画像は、2007年1月に公開されたハッブル撮影の星形成領域「NGC 602」。 ピスミス24 地球から約8000光年離れたさそり座の散開星雲NGC 6357の上でシャンデリアのように輝く星団“ピスミス24”。ハッブル宇宙望遠鏡が2006年に撮影したこの画像で、星団内で最も光り輝く星を詳細に観察できるようになった。 以前の観測機器では、太陽の200〜300倍の質量を持つ超重量星ではないかと考えられていた。もし本当だったら恒星の質量限界を打ち破っていただろう。太陽の150倍が安定して存在できる理論的な上限だからだ。しかしハッブルの高解像度画像により、2つの星が接近して周回する連星と決着がついた。それぞれの質量は太陽のおよそ100倍だった。 エスキモー星雲 天体望遠鏡の製作も手掛けていた天文学者ウィリアム・ハーシェルが1787年に発見したふたご座のエスキモー星雲。約5000光年のかなたにあるこの惑星状星雲は、地上の望遠鏡からでも、その名の通り毛皮のフードをかぶった人の顔のようにみえる。ハッブル宇宙望遠鏡は1999年12月にサービスミッション(定期メンテナンスおよびアップグレード)を受けた直後、ハーシェルの時代では考えられなかったほどのレベルで、この星雲の細部を明らかにした。 National Geographic
|


