2004年の10月にはテレビなどで活動する23歳のタレント、ケイティ・リーと再婚、話題を呼んだ。2005年に未発表曲やレア曲を中心としたコンピレーションBOX『マイ・ライヴ』をリリースし、それに合わせ本格的なライヴ活動を再開、マディソン・スクエア・ガーデンでは12公演連続ソールドアウトの新記録を打ち立てた。以降、欧州、南アフリカ、オーストラリアツアーを経て2006年11月より8年振り10度目の日本公演に臨み、全盛期と変わらぬパフォーマンスを繰り広げてファンを熱狂させた。 2007年2月27日、クラシック作品を除けば14年ぶりとなるオリジナル曲「All My Life」をリリース、3月17日付のビルボード・シングルセールスチャートで初登場1位を記録した。
1977年11月、エミリー・ブロンテの小説『嵐が丘』のTVドラマを見て作ったシングル『嵐が丘』 (Wuthering Heights)”でデビュー。全英4週連続一位を記録、同曲を収録したデビュー・アルバム『天使と小悪魔』 (The Kick Inside)も40万枚というセールスとなり、一躍大きな注目を集めた。
その後1978年に2ndアルバム『ライオンハート』 (Lionheart)を発表するも仕上がりが1枚目と同じく気にいらず、自分も裏方の仕事であるプロデュースをしなければと決心する。この後、西ヨーロッパでツアーを行い(映像ソフトがその後1981年に発売)、1980年の3rdアルバム『魔物語』 (Never For Ever)では共同プロデュース、1982年に『ドリーミング』では録り直しをして膨大なレコーディング費用がかかりレコード会社から嫌がられた事もあったが単独プロデュース、1985年『愛のかたち』 (Hounds Of Love)も自分でプロデュースをこなした。
1986年には初のベスト・アルバム『ケイト・ブッシュ・ストーリー』 (The Whole Story)を発表。またこの間にはピーター・ガブリエルやロイ・ハーパーなど英国の奇才ミュージシャン達との交流もあった。ベスト盤という区切りの後に彼女の新章を告げた作品が1989年発表の『センシュアル・ワールド』。これで初めてUSAでメジャーになった。ここでケイトはブルガリアン・ヴォイスの一員だった女性アンカ・ラプキーナ率いるトリオ・ブルガルカと共演。ボックス・セットの発売やエルトン・ジョンのトリビュート盤『トゥー・ルームス〜エルトン・ソングス』への参加を経て、次の彼女自身のオリジナル・アルバム『レッド・シューズ』が発表されたのが1993年のこと。ジェフ・ベックやエリック・クラプトン、プリンス(同い年のミュージシャン)などが参加した話題作だったが、母の死によってリリースが1年延びたものでもあった。 アルバムは全英2位と好セールスを記録し、シングル・カットされた曲もそれぞれヒットした。しかし、このアルバム以降のケイトはトリビュート作やチャリティ・アルバムへの参加、他アーティストの作品へのゲスト参加などはあるが、自身の作品をリリースすることなく90年代を終えた。
『レッド・シューズ』以降、オリジナルの新作が発表されないまま長い時間が経過し、ファンが待ち望む中で幾度か新作発表の情報が流れては消えた。ようやく新作の2枚組アルバム『Aerial』(エアリアル)が店頭に並んだのは、前作から12年ぶりとなる2005年11月7日(日本発売は2日)のことだった。第一弾シングル『King of the Mountain』も英チャート4位にランクインし、ファンはまだ彼女を忘れていなかったようだ。新作では休止期間中の1998年に生まれた息子アルバート(ケイト達はバーティーと呼んでいる)のアートワークをフィーチャーする一方で、これまでになくやわらかい空気にあふれた世界を作り上げている。
1.THE KICK INSIDE(天使と小悪魔)(1978年)
2.LIONHEART(ライオンハート)(1978年)
3.NEVER FOR EVER(魔物語)(1980年)
4.THE DREAMING(ドリーミング)(1982年)
5.HOUNDS OF LOVE(愛のかたち)(1985年)
6.THE WHOLE STORY(ケイト・ブッシュ・ストーリー) - ベストアルバム
7.THE SENSUAL WORLD(センシュアル・ワールド)(1989年)
8.THIS WOMAN'S WORKS(ディス・ウーマンズ・ワークス) - ベストアルバム(1990年)(8枚組)
9.THE RED SHOES(レッド・シューズ)(1993年)
10.AERIAL(エアリアル)(2005年)(2枚組)
フラメンコ界の巨匠で、かつメンバーのレイエス兄弟の父であるホセ・レイエス(Jose Reyes)が、息子達と『ホセ・レイエス & ロス・レイエス(Jose Reyes y Los Reyes)』というグループを組み、地元フランス南部のプロヴァンス地方で活動していたのがはじまり。 以後、レイエス家と親戚関係にあるチコとバリアルド兄弟が参加し、現在のグループ名となる。
マドンナ(Madonna 本名:Madonna Louise Ciccone)1958年8月16日)は、アメリカ合衆国ミシガン州出身のシンガーソングライター、女優、映画監督、文筆家、実業家。愛称は代表曲から来た「マテリアル・ガール(Material Girl)」、近年では「ポップスの女王(Queen of Pop)」とも言われる。2008年には、ロックの殿堂入りを果たしている。
父は、GMのデザインエンジニア。実母はマドンナが6歳の時乳癌で逝去し、父はほどなく再婚した。母の死や後の父・継母との確執は彼女の精神性に大きな影響を及ぼし、「Promise To Try」「Oh Father オー・ファーザー」などの楽曲で歌われている。弟や妹の面倒もよく見ていた。そんな中でも、多くの習い事を幼い頃からしており、最初はピアノを習っていたが、父親に「バレエを習いたい」と懇願し、変えてもらう。その後、モダンダンス、ジャズダンスなど、ダンスを多く習い始める。