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1945年 Sの記憶

一月。神社で無事帰還祭を行い、出征する友を見送る。戦争は終わりを迎えるどころか、全国の都市の殆どが連日B29の空襲で大きな被害を被っている。日米開戦の年に入営した兄からの手紙は来なくなった。ほんの数年ほど前に面会しに行った時には、シンガポールの陥落の頃で街は提灯と旗行列の祝いで一杯であったのに。

男子は屈強な者は次々と出征していく。

見送りには軍歌が歌われる
天に代わりて 不義を打つ
忠勇無双の わが兵は
歓呼の声に 送られて
今ぞ出で立つ 父母の国
勝たずば生きて 還らじと
誓う心の 勇ましさ

或いは草に 伏して隠れ
或いは水に 飛び入りて
不死恐れず 敵情を
視察し帰る 斥候兵
肩に掛かれる 一軍の
安危はいかに 重からん

三月。東京で何百もの敵機が来襲し、甚大な被害を与えた。東京にいたHさん一家も仕方なく疎開してきた。

六月。まだ寒く、今年は大凶作になりそうだ。去年と同様、I先生に「ちょっと芋をわけて欲しい」とお願いされる事になりそうだ。また供出米の割り当てを完納できずに、組合長と警察の捜索が入るのだろうか。

七月。いよいよ本道もB29の空襲圏内に入り、防空壕掘りが始まった。我が家も形式的に掘ってはみたのだが、豆腐屋のNさんが「まぁみてくれ」といって見せてくれたのには驚いた。なんと深さ6尺で、しっかりと板壁を貼り付け、床板・畳まで敷かれている。青年学校も、教練どころではないので防空壕掘りで忙しい。

八月六日。新聞には「敵落下傘式新型爆弾、広島市に投下す、広島市相当の被害」。

八月一五日。天皇陛下のラジオ放送があったが、家にはラジオがなく、聞かなかった。母が市外で聞き帰ってきたが、「何が何やらさっぱり意味が分からなかった」とのこと。しばらくして隣のKさんが「とうとう日本が負けたらしい」と教えてくれた。それでもこの日まで「敵の損害甚大、我が方の被害甚だ軽微」と報道し続けられていたのだから、どうもピンとこない。

八月下旬。青年学校で学科中に異様な音が聞こえ先生・生徒ともに窓に駆け寄る。上空に銀色をしたB29の姿がはっきりと見えた。噂によれば、米軍の捕虜に食料入りのドラム缶を投下するため飛んできたらしい。

八月三十日。H君が復員。体も精神面も大人びていた。帰宅の車窓から眺めた内地の情景はひどいもので、各都市は殆ど壊滅状態だったという。軍隊生活は腹が減って仕方がなく、飯さえ食わせてくれればどんな辛抱でもしてみせるとか。

一一月。役場の戸籍係Kさんが兄の戦死の知らせを届けてくださった。

兄Iは入隊後わずかではあったが手紙と葉書を送ってきていた。

最後の手紙
父母上江
 愈々待ちに待って居りました出動の時が参りました。Iは喜んで征途に上がります。日本男児の腕を発揮する時が来たのです。毛頭生還は期して居りません。アツツ島のあの壮烈を想起し、例い最後の一兵となるとも飽迄戦い、故Yの分もご奉公致し軍人としての名誉を汚さぬ事を茲にお誓いする次第であります。思えば今日迄御生育に預かりました父母様に対し何ら御恩に報ゆる事なくして死することを御詫び致します。又、入隊以来、良き上官に一入り可愛がられて今日迄至りましたことを何より喜んで居る次第であります。又神佛の御加護及び父母上の御祈りに依りてか一日も病に着いたことなく演習に励まして戴いたことを感謝すると共に、自分としては又自慢とするところであります。何卒今後は呉々も御体に気をつけて無理な仕事は絶対になさらぬ様、余生を安楽に過ごされん事を御祈りして止みません。では最後に思いのこす事は何もありません。Iは天皇陛下万歳を三唱して死んだ事を、誓って信じてください。
  
N子江
 I兄さんも待ちに待って居りました第一線に立つ時が来ました。喜んでください。兄として碌な事ができなかった事を残念に思って居ります。今後は只一死戦って戦って御恩に報います。何卒N子も十分体に気を付けて、良き家に嫁ぎ、父母上に孝養を尽くして下さい。兄として最後の願いであります。I兄さんは喜んで笑って一片の肉と散った事を信じて下さい。何も悲しむ事はないのです。強く大きく何時迄も。時間も無き故之にて。

S君江
 I兄さんも愈々第一線に立つ時が参りました。兄さんは喜び勇んで征途に着きます。帝国軍人の本分を遺憾なく発揮する時が来たのです。故Y君の分も一緒に働いてきますから安心して下さい。Y君も死す時はどんなにか残念だった事でしょう。きっとその分は働きます。S君も特に体に気を付けて家業に励み、父母上に孝養を尽くして下さい。兄として最後のお願いであります。又、兄の様に共に皇国の為に働かん事を待って居ります。

        征途に際して Iより 昭和18年8月26日夜書
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Sは数年前に死んだ。今は20代のままのIと昔話でもしているかもしれない。

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この手紙は本心だったのでしょうか。
「このような手紙しか書けない環境だった」とすれば、それもまた恐ろしい環境、そしてまた、今も大筋で変わっていないのかもしれません。
形を変えて、またやってきているように思います。
銃剣の代わりにパソコンを叩き、資源の代わりにお金を求め、今また同じ事をしているように思えます。

2009/8/17(月) 午後 3:00 Yada

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難しいですね。変な話(極論ですけど)、こういう文章は「暑中お見舞い申し上げます。」みたいなもので、出征する兵士たちが皆書いたような内容ですし。名前だけ変えればどの家にあってもおかしくない遺書です。検閲もあったろうし、どこまでが本心か…

よく兵士は死に間際「母ちゃん」と言ったとか「ちくしょう」だったとか聞きますけど、手紙に勇ましく書いても、死ぬ時はやっぱり無念だったのは確かと思います。

2009/8/17(月) 午後 7:38 Yasaiman

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父母そして妹さんに宛てた兄さんの手紙を拝読して感激しました。このような方々の犠牲の上に現在の平和があるということを肝に銘じなければいけませんね。日本人は平和ボケしていますがしっかりしないといけませんね。感激のポチ!TBさせてください。

2009/8/19(水) 午前 11:39 [ star☆tk ]

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TBありがとうございます。僕も読ませていただきました。

歴史教育とか半分政治化したような歴史問題も大事ですけど、前提として「自分たちの」先祖がどう生き・死んだか、或いは敵を殺したか、という事を知らないといけないと思うんです。そういう気持ちがないと結局他人事で、毎年ただ火垂るの墓をみてかわいそうだなぁーなんて思っておしまい程度になってしまいそうな気がします。

Sは僕のじいちゃんです。もう片方の爺ちゃんは実際に戦地に行って戦い、戦後シベリア抑留されました。占守島ではないですけど、記事を読んでまた爺ちゃんを思い出しました…

2009/8/20(木) 午前 0:15 Yasaiman

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