全体表示

[ リスト ]

イメージ 2
 
大川小学校の悲劇の因果構図は先のブログで述べた通りで整理列挙すると次の通りです。
<悲劇の根本原因群>
(1)不適切表現の津波ハザードマップの問題点
  ●国が各市町村単位で津波ハザードマップを作成し、津波防災に供するように  作成マニュアルまで準備して県と市町村で共作するよう指示。しかし発意と
    モデル設計は国の専門委員会であり、実際に作成される市町村の津波ハ
    ザードマップを防災及びリスク管理の立場からチェックしたのかが問題。
  ●県と市町村で作成し、広報・配布された津波ハザードマップは過少想定の浸  水域(この点は作成マニュアルでも陥らないよう警告されていた)で、マップ上 の説明不足で浸水域の外は安全との安全神話が生まれた。
  ●しかも作成マニュアルで要請されているバッファエリアの設定で避難範囲を広
        げることがなされていない不完全津波ハザードマップであった。予想浸水域と
    垂直緊急避難場所及び津波避難所の関係が適切にマップに記述されていな いのが大きな問題。
  ●川地区の津波ハザードマップには短波長の海溝プレートスリップの津波であ
        る昭和三陸津波の浸水域を津波ハザードマップに参考表示した。昭和三陸
        津波陸地深部まで浸水しないタイプの津波で、不適切な事例表示であ
        った。作成マニュアルによれば貞観津波を考慮して避難域を広げたバッファ
        エリアを設定すべきであった。
  ●しかもこの新北上川は旧北上川の洪水を低減させるための分岐河川で既存
       河川の川幅を広げ、深く浚渫した津波を呼び込みやすい河口形に昭和初期
       に改造が完成されていた。昭和三陸津波発生時の河口工事状況や地形、
   土地利用がさだかでないので昭和三陸津波の浸水域表示は適切か問題が
   ある。
  ●しかし河口から4kmという距離が不完全津波ハザードマップ起因の安全神話を鵜呑みにさせた。
(2)津波避難所の指定の問題点
  ●津波での被災者の宿泊所である津波避難所の選定対照は公務員が運営
    する公共施設で、ある規模以上の収容力があれば、津波ハザードマップの浸水域外であれば指定された。否、浸水エリアでも周辺に適切な公共施設がなければ指定されている。これはそうした選定対象になる公共施設がどうしても
   市街地に集中するの止む得ない側面もあるが、垂直緊急避難場所と混同する
   と大変危険なので住民の確実な理解の徹底が必要だが、それがなされていな
   かった。
    ●大川小学校は学童の安全迅速な高台(垂直緊急避難場所)避難が必要で
   あるにもかかわらず避難所に指定され、周辺被災住民を収容し、避難所運営管理をせねばならない矛盾に置かれていた。しかも避難所運営管理マニュアルと体制つくりは早くからその確立が急がれていたが、先送り、先送りで、結局最後は現場の学校がババを引く羽目になる。
  ●その大川小学校は問題ある津波ハザードマップは浸水域からわずかに外
   れているものの標高1mで一級大河川の新北上川の堤防から200mの津波防災専門家からみれば危ない立地であった。
 <津波避難所指定問題の補足>
   市の防災行政で市内各地の津波避難所を既存の公共建物の状況を調べて指定していっている。津波避難所とは津波被災者が一時的に宿泊できる建物である。この指定にあたっては公共施設であること、一定規模以上の収容能力があること、収容管理主体(公務員)が存在することであった。津波被災は二の次であった。津波で被災してなければ使うという前提である。これは考え方として妥当性がある。しかし緊急避難場所ではない。事実北上川を挟んだ大川地区対岸には津波避難所が当時の津波ハザードマップに表示されている。
       中央公民館
       役場会議室
       追波公民館
       釜谷崎生活センター
   ではこれらの津波避難所の位置は津波浸水マップ上どの位置にあったかというと次の通りである。
   中央公民館   0-1m浸水予想エリア内、昭和三陸津波の浸水エリア内
   役場会議室   1-2m浸水予想エリア内、昭和三陸津波の浸水エリア内
   追波公民館   1-2m浸水予想エリア内
   釜谷崎生活センター 1-2m浸水予想エリア内
   大川小学校  標高1mだが浸水予想エリア外
   大川小学校を含めこの地区のほとんどの避難所が東日本大震災津波で被災し、跡形もないものもある。これらの津波避難所は津波ハザードマップに避難所として大々的に表示されていた。この当時の津波ハザードマップを見れば誰でも大津波警報がでれば逃げ込む場所と勘違いしかねません。
   加えて大川小学校を津波避難所に指定する不適切な判断として<大川小学校は公務員でも危機判断の出来ない学童の安全を確保しなければならない>という重大な任務があります。小学校の先生は大津波警報が出たら真っ先に学童の避難誘導が大優先責務です。津波避難所「大川小学校」に来る避難住民の方の宿泊の世話などやっているどころではありません。
 
(3)市の防災行政の問題
  ●石巻教育委員会は津波防災を真摯に考えず、各学校から毎年提出される防災の計画・マニュアルを受領するだけでチェックし、指導するなど全く行っていないし、市防災当局と連携し、組織を活用することすら行っていない形式だけの防災素人集団であった。
  ●大川地区での津波防災訓練が過去どう行われていたかが問題。釜谷地区の
    70%の人が亡くなっているが、大津波警報が発令された際に垂直緊急避難
    場所も決めてなければ訓練も行われていなかったのではないか。近隣住民
    の方が大津波警報発令で津波避難宿泊所即ち津波避難所指定の大川
    小学校や隣接する釜谷交流会館に避難で集まっていることから地域全体で
    混同・誤解があったことは明らか。
  ●大川小学校の当時の校長は学校責任者として不適切な言動で関係者から顰
       蹙をかっている人物。震災前年には防災研修を受講したにも関わらず防災計画を率先して立案することをしなかったし、防災訓練も実施しなかった。
       教育行政における学校管理者の人事に疑問がある。選任とその後の業務
   監査に問題があった。
  ●当時の大川小学校の教諭の8割は着任初年度かやっと2年目の他校からの転勤者で、大川小学校周辺の地勢状況に全く疎かったのではという指摘が第三者検証委員会報告書では説明されている。
   註:しかし、もっとも傾斜が緩やかな裏山の斜面の登坂ルート(シイタケ元栽培地)は先生方も児童との屋外授業活動でよく知悉しており、実際、51分の校庭での避難待機中も何人かの先生は教頭にこの登坂ルートでの高台避難を進言していたとの話もある。教頭が知らなかったということは考えにくい。勿論、男の子たちは遊び場でもある裏山を知っているし、簡単に登れるのを知っていたので何故裏山に避難しないのか訴えていたとの話がある。ただ校庭から三角地帯へ移動する経路(行き止まり)はあきらかに間違っており、これは教頭の指示なので教頭が知らなかったことは否定できない。裏道とは言え、学校の周辺の地理事情を知らなかったのは事実。大川小学校で津波を想定した津波緊急避難計画立案と避難訓練さえやっておれば例え周辺事情に明るくなくても全く問題なかった。
(4)当日の学校管理体制の問題点
  ●校長(問題はあるとはいえ)は当日不在で、代行責任者の教頭は立場上、既存ルールや関係に縛られ、柔軟な判断が出来ない状況にあった。
   ●しかしこうした状況はどの学校でもありうることであり、校長不在時にでも
   緊急事態には計画と訓練に従い淡々と動ける状況を作っていなかったこと
   の方が問題というべきだろう。
(5)地区防災行政体制の問題点
  ●地域防災を担う河北総合支所も本部と広報車の情報連係体制が不十分で刻々深刻化する津波情報が広報車に伝わっていない。15:23という被災10分前にも河北総合支所からの公用車は「避難所として体育館は大丈夫ですか?」と学校に立ち寄っている。この立ち寄りが避難決断を遅らせた大きな
   原因になっている。
    ●大事な通信機器の故障は修理していないし、緊急時広報の訓練に不備があったと思われる。遠くまで拡声器の声が届かない機材を広報車に積んでいなか
   ったのも問題。
  ●以前から問題になっていたことであるが、津波が松原を乗り越えてくる状況
    であれば広報・伝達の言葉が当然変わってくるし、そう訓練されていな
    ければならない。
      ケース1:(紳士的に落ち着いた声で)住民の皆様、只今津波が海岸松原
             を抜けました。至急避難してください。
      ケース2:(ヒステリックに)大津波だ!高台へ逃げろっ!ここにいると死ぬ
            ぞっ!
    当然ケース2だが実際はケース1のようだった。
 
<根本原因群が生み出す二次的な悲劇の原因群>
(1)大川小学校に具体的津波避難計画なし
大川小学校では津波防災計画が立案されず、当然垂直緊急避難場所の設定の論議もなかった。即ち大川小学校こそが安全な避難場所という指揮者教頭の認識。
大川小学校に避難してくる場所であり、逃げ出し、他所へ避難するところではなかった。
(3)先生方の津波情報収集熱意の欠如
津波ハザードマップと津波避難所指定から先生方は大川小学校は安全地帯との先入観が積極的にテレビ、ラジオから津波情報を得ようという姿勢を妨げた。(校庭指揮台の上にラジオをかけっぱなしにしては居たが、情報担当を決めて系統立てて収集する体制ではなかった)
そうした行動は先生方に見られず、結果として、緊迫する津波情報は防災無線の警報、子供引き取りに来る父兄、集まってくる避難住民、そして河北総合支所からの広報車の放送であった。職員室に戻ってラジオ、テレビを持ちだす行動はなかった。尚、公共放送でもAMとFMがあり、ラジオ1台では聞き逃すリスクがあった。例えば大津波警報が当初14:52の波高6mから10mに気象庁で変更されテレビで報じられたのは15:14だが、ラジオでは15:21でFMでは15:32であった。
また津波目撃して引き返した広報車の放送内容を聞けば、斥候として先生のひとりを目の前の斜面に登らせ、津波の到来の監視させるぐらいの機転が利いて
いいはずだったがしなかった。(これはもしやっていたら皆、斜面に登ったはず)
(4)大川小学校に集まって来た釜谷地区の区長や避難住民が論議に加わり混乱
区長が避難所の大川小学校に来て、教頭と避難について議論して時間を失っていたが、教頭も区長も津波避難所と垂直緊急避難所の正しい認識になく、三角地帯が垂直緊急避難先として妥当かの判断材料を持ち合わせてなかった。
(5)周辺地理に疎い教頭が三角地帯への避難経路を県道を避け、行き止まりの裏道にとった結果、路地を通って結局危険な県道側に向かわざるを得なかった。
   これは教頭が裏道の状況を知らずに避難ルートを決めたことが原因。
(6)河北総合支所からの大川小学校の避難所として使えるかの調査
河北総合支所からの公用車の学校への立ち寄りと大川小学校は避難所として
建物は大丈夫かとのお尋ねで、ますます「やはり大川小学校は避難先として
大丈夫なのだ」という認識を教頭先生にうえつけた。津波被災の10分前だ。
 
<そして生まれた状況>
14:46に地震発生し、数分後には2次避難先の校庭に先生、生徒は集合したが、防災無線、広報車以外に集まってくる人々からも迫り来る津波情報を得ているにも関わらず、大川小学校の教頭以下先生方は50分間3次避難所(垂直緊急避難所)への緊急避難の決断どころか、直前まで寒がる子供のために焚火を起こす準備をするなどしていた。広報車の広報内容から移動決断し、移動開始したのは被災1分前になった。津波が松原を抜け、こちらに押し寄せて来ると走りながらの広報車からの警報から7,8分後である。その移動先も、津波で被災する三角地帯だった。
 
<大川小学校訴訟のYashinomi判決
 
大川小訴訟の争点は次のようである。津波の予見性、校舎裏山への避難、校庭での待機が争点とされているのだが、Yashinomiの上記の因果律論法より一見整理されているようで、実は真実の因果構造から相当ずれてあいまいになっており、あいまいな争点土俵ではあいまいな論争の場となり、本来追及されるげき官の責任があいまいさゆえに免罪となる可能性が大である。疑わしき(あいまい)は罰せずである。
 
イメージ 1
大川小学校の悲劇は官製多重要因災害と呼びたい。原因系の源の不適切で危険な津波ハザードマップと大川小学校の避難所指定が直接以外に間接のいくつもの因果連鎖も経て、50分間の先生方の大川小学校校庭への金縛りを招いたと裁定する。
被災児童の父兄は「なぜ先生方は50分間、あの校庭から動けず、またやっと動き出したら安全な裏山ではなく、死の三角地帯だった」明確な論点を学校、教育委員会、市行政のどこに突き付けても<暖簾に腕押し>の手ごたえといらだつ感想を述べていたが、この多重要因起災構造に焦点を絞らないと暖簾の正体を捉えられない。
犯罪者は多数いて、ひとり一人は薄味の軽犯罪なのだが、全部積み上げると重大犯罪となる。大川小学校被災は全部積み上げられたて実体化した罠が引き起こした官製の災害と云えるでしょう。
ここで裁定上の考え方で重要なのが、一因子災害として攻めるか多因子災害として攻めるかである。あの巨大津波は予測できたかできなかったかで予測できたとすると大川小学校と同様に予想浸水域外の学校の被害をすべて救済せねばならなくなる、そこで
●津波ハザードマップで予想浸水域外にある学校
●国の作成マニュアルに従っていない津波リスク過少評価の津波浸水域表示の
  津波ハザードマップ(バッファエリアの考え方を取り入れていない)
●比較参考にすると津波リスクを過小評価する昭和三陸津波浸水域を掲載した
  津波ハザードマップ
●津波避難所に指定されていた
●小学校である
●標高1mで一級大河川の河口の堤防に近い
●学校防災計画や防災マニュアルで津波の具体的垂直緊急避難先と避難経路
  を設定していなかった
●避難訓練もやったことがなかった
●校長、教頭、防災担当教師が被災前1年間に防災研修を受けて情報を得ておき
  ながら学校の防災体制、防災計画を見直そうとしなかった学校
●それを教育委員会がチェックして、適切な指導を行っていなかった
●周辺の住民も区長も大津波警報が出たらその学校が垂直緊急避難先と勘違い
  していた
●津波来襲の緊迫したときに教頭は三角地帯への避難経路を行き止まりの裏道
  ルートを誤って指示し、避難列の先頭は結局県道の方に路地通じて出る羽目に
  なった。最初から県道へ出ていたら堤防を越流する津波を目撃出来たので全員
  が走って逃げるので三角地帯にはかなりの人数が津波到来前に到達し、河北総
  合支所の所員がかけ上った法面保護脇を通じて難を逃れ得たかもしれない。
●テレビ、ラジオから逼迫する津波情報を得ようとしない先生方
●学校前を2度通過した支所からの広報車が何を言っているか聞こえない拡声器
  を使っているケース
●大被災10分前に学校に支所から公用車で訪問し、「ここ避難所でつかえそう?」  と能天気だが危険なお尋ねをする防災職員
 
もう挙げるときりがありません。多重の所以です。この官製多重要因災害は特徴があります。これらすべてに該当する学校は大川小学校しかないのです。だから国と県・市町村はこの訴訟で敗訴しても官製多重要因災害は他にはまずないでしょうから大川小学校以外に敗訴の場合の厖大な補償金の心配をする必要はありません。
 
もう一度現在の訴訟の争点をならべてみましょう。
  −津波の予見性
  −校舎裏山への避難
  −校庭での待機
この網では国、宮城県、石巻市、教育委員会、学校にすり抜けられ、逃げられるでしょう。官製多重因子災害の責任として行政賠償を目指すべきです。
 
よく産業災害で云われることですが、ひとつの死亡事故が発生した場合、実は事故に至らないが事故につながりそうなヒヤリとする状況が30件のニアミスはその前に実は発生したはずだと云います。大川小学校の悲劇を1死亡事故とするなら、実は30件のニアミスは宮城県の学校であったはずです。
 
この官製多重因子災害はこれからも発生する可能性があります。大川小学校で発生した悲劇の多重因子を整理し、それを試薬として他の地域で防災の抜かりがないか今後調査、検討を行い、回避の対策を講じることが大川小学校の悲劇を無駄にしない鎮魂の業と云えるでしょう。
 
それから誤解があるといけないので確認しておきますが、Yashinomiが教頭の
立場で津波防災に詳しくなければかなりの確率で同じ行動をとった可能性が
あります。テレビ番組で小学校教員の就労時間が世界先進国平均の1.4倍との
こと。授業の時間はむしろ世界平均より少ないのにクラブ活動管理や事務作業が
世界平均の3,4倍あるからだ。こうした忙しい中で緊急性がないと考えられやすい防災などはどんどん先送りされてしまう。即ち、大川小学校の悲劇は単なる津波防災上の問題だけではなく、背景因にはこうした教員就業内容や教育委員会組織問題など日本国の教育システム全体の土俵で改善を図らねばならないということでしょう。
 

この記事に

閉じる コメント(0)

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


みんなの更新記事