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2009-3-31
100年に一度の経済不況だと言われる。確かにどこの中小企業も軒並み大変な状況にあることは間違いない。先を読もうにも「未曾有」となるとなかなか難しい。しかし経済事象を考察する場合にはもう少し冷静になる必要があろう。非常に不確実の時代が来たとか、きわめて不安定な状況にあるとか言うが、ある一つの経済事象は多数の要因によって引き起こされるものなのだから、まずはその要因を数え上げて考えてみる必要がある。そして、例えば為替レートを動かす要因が今仮に10あったとする。しかし、10の要因を単純に並べたてただけでは何の意味もない。重要なことはある一つの経済的な事態を引き起こす要因がこれだけありますという羅列ではなく、今現在のわが国、あるいはわが社においてはどの要因が一番効いているのかということなのである。10の要因の間に順位をつけることである。今一番効くのはこれであるということを見抜く能力が必要なのだ。これは経済統計の理論が教えてくれるものではない。だから混乱期には理論家の言うことが少なくとも短期的にはあまり当てにならないのである。
次に、これが一番効く要因だということがわかったとしても、政策担当者あるいは自分自身がこれをコントロール出来るのかどうか、あるいはそれを読むことが出来るのかどうかということが問題となる。猫に鈴を付ければよいということがネズミの会議で決まったとしてもだれが鈴を付けるのかという段になって皆黙ってしまうようでは意味がない。そこで、順位的に第一位の要因であったとしても自分でコントロール出来ない変数であれば、順位は二位以下でも自ら制御出来るものを遅滞なく選んで実行に移すことが、問題解決に立ち向かわなければならない人間にとっては肝心である。 通常、経済予測をする時、われわれは出来るだけ多くの説明変数を考えて、そのデータを包括的に集めて、これを詰めるだけ詰めていく。しかし、上述のとおり、物事にはコントロール出来ない変数というものがある。これがどう動くかということに関しては理論的根拠が全くないというものがある。しかし、経営者や一国の政策担当者であれば、たとえ根拠がわからなくても、やるのかやらないのか、右か左かを決定しなければならない。これがデシジョンメイキングを行わなければならない人間の辛いところでもある。 この点をもう少し深く考えてみよう。結局、社会事象や経済事象においては、自然科学の世界と異なり、人間が介在するために、数量化できるものの他に数量化できないものが数多く存在するのである。従って、ホワイトヘッド(哲学者)の「数学的計算が長くかつ正確だからその結果の現実への適用は絶対的に確かである、と想定することほどよくある誤りはない」という言葉が正鵠を射たものとなる。ケインズは『一般理論』において投資の説明変数として期待(expectation、日常用語の意味とは異なる「投機」に近い意味を持つ)という量化できないものの役割を強調したが、それもこのような考えに基づくものであった。そこでは経済人がどのようにして期待を形 成するか、そしてこの期待がいかにくずれやすいものであるかを示し、これに依存する投資の変動しやすさを論じている。彼は量化可能なリスクと、信頼しうる情報の欠如から生じる量化不可能な不確実性とを明確に区別している。将来は基本的に不確実であるから厳密に合理的な行動は不可能である。にもかかわらず、われわれは意思決定を行い行動しなければならないから、一般的には、現在の状況を不比例的に高く評価して期待を形成する。このことが悲観が一層の悲観論を呼び、楽観が一層に楽観論を呼ぶ、という不況期やバブル期特有の自己増殖的な現象の基盤にあるのだと思う。 したがって、経済の勉強をする場合、現実の経済事象には理論で説明出来るものと出来ないものとがあり、それを見分けるために理論の勉強をしているのだという認識をしっかり持つことが大事であろう。理論を勉強して、ただ単にデータをたくさん集めてコンピュータにぶち込んで計算するだけでは学者の論文にしかならない。政界においては「一寸先(約3センチ)は闇」とよく言われる。しかし、政治の理論に通暁している人には10センチくらい先を見通すことが出来る人は結構いるようだ。経済の見通しでも数年先を理路整然と読む人はいる。しかし、不況がいつ来ていつ回復するかを当てる人は少ない。多くの場合、正しい理論であったとしても、それは時間をか けて貫徹するものである。嵐の最中に「未だかつて止まなかった雨はない」と言っても操舵する人にとっては当面何の意味もない。しかし、少なくとも希望にはなるかもしれない。理論を勉強する意味は、急激な変化の中で、いたずらに刹那的に右往左往する心にブレーキをかけることにあるのではないだろうか。 もう一つ、経済の混乱期において先を読む際に留意しなければならないことは、自分の思考における固定観念的な前提条件を取り払うことである。昔、バナナがまだ貴重品だった頃、これが自由化されるということになった。その時、日本のリンゴ農家など業界の人たちは、バナナが自由化されるとリンゴは全く売れなくなるとしてこの自由化に反対した時期があった。この考え方の基盤には、暗黙のうちにリンゴをバナナよりも劣った果物だとする固定観念があったようだ。しかし、現実には、バナナが自由化されて大量に入ってきたらどうなったか。時の経過とともにリンゴの品質も改良され、高級ブランドものも登場してきた。バナナの皮で滑って転ぶというギャグが なくなるととともに、優等財と劣等財のレッテルは入れ替わった。この場合、バナナが外国から大量に入ってくることでリンゴの良さが再認識されたとも言えよう。 グレープフルーツの自由化の際にも同じようなことがおきた。当時の日本では柑橘類の主役は蜜柑であった。蜜柑農家が大変なことになるということで、業界をあげて大きな反対運動が起きた。しかし自由化後どうなったか。グレープフルーツが柑橘類の王様になることは一度もなかったように思う。むしろ、いろいろな新しい種類の国産柑橘類が登場してわれわれを楽しませてくれるようになったのではないだろうか。 国内においてはものづくりを主体として輸出立国を図ってきたわが国の場合、経済的混乱のきっかけは今回の金融危機のように、心理的には、黒船的な「青天の霹靂」で海外から来ることが多い。その場合、これを「ショック」と捉えて、自分の思考の範囲内で拘縮してしまう傾向が企業にも家計にも強い。消費者はそれでもよいかもしれないが、経営を行う企業家がこれではだめだろう。混乱期においては、限られた地域や思考の範囲内の論理で考えていても妙案はなかなか生まれない。自分の発想の拘束条件となっている地域や業界の枠を取り払った上で、この世界、この国、この地域、この産業の中で自社が生きていく方策を考えることが重要だろう。「経済は時間の中におかれており、時間は取り消すことのできない過去から未知の将来へと一方通行で流れて行く」というロビンソン(経済学者)の言葉に「企業は空間の中で活動しており、時間の流れの中で、その思考空間のフロンティアを未知の領域へと拡大して行かなければならない」という言葉を付け加えたい。 |
中小企業随想録
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早稲田大学商学学術院教授 鵜飼信一先生の中小企業論を含めた随筆です。
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2009-2-28
米国の金融危機に端を発した今回の経済危機はとりわけ大田区や川崎市などの機械工業関連の中小企業を直撃している。小生の知っている町工場も何軒かが会社を閉めざるをえない状況にある。ある程度の数の従業員を雇用しているところ、工場を借りているところ、昨年前半までにかなり設備投資をしたところなどが大変だ。1,2月の売上高が対前年で50%減というところは普通で、70%減も結構あるようだ。
2月2日には、経産省の「全国の元気なモノ作り中小企業300社」にも選ばれた大田区のプラスチック成形加工品製造業のM社が民事再生手続開始を申し立てた。この企業は、東北に2ヶ所の工場を設置し、中国でも現地法人を設立するなど積極的に業容を拡大して、平成20年3月期には年商約21億円をあげていたらしい。 さらに、この原稿を書いている最中の2月25日に、同じく「元気な300社」の1つで、かつて大田区の高成長企業でもあったI社が東京地裁へ民事再生法の適用を申請したというニュースまで飛び込んできた。同社は当初から光造形システム、3次元CAD・CAMで注目を浴び、ITを駆使した高い技術力が評価されていた。その後、大田区内での生産活動を卒業して新潟に立派な工場も建て、丸の内に本社を構えて従業員数を400名にまで拡大した。近年は自動車産業向けの金型製作に関するコンサルティングも行い、2007年12月期の年商は約104億9300万円と言われていたが主力先の大手自動車メーカーからの受注が著しく減少したことで、急速に資金繰りがひっ迫したらしい。 他方で、家族だけで働く小さな町工場(土地建物を所有している場合)や台東区や墨田区などに多い雑貨などの消費財を生産する小規模企業は、大変ながらも、まだ何とかなっているようだ。これらは影響が出てくるのが遅いのかもしれないが、やはり、自動車や精密機器・家電の大手が危機的状況になった時に真っ先に影響が出るのは、機械工業の集積地である大田、品川や川崎などの地域なのだろう。 わが国は基本的に多品種少量生産の方向に進んでいるが、機械工業においてある程度の人数を抱えて企業を成長軌道に乗せていくためには、量産的な仕事を取る必要がある。また、金型や試作などの多品種少量的な仕事も、よく考えれば(国内で生産するか否かは別にして)量産の生産活動を前提としている。量産の自動車産業がくしゃみをすれば、多品種少量の工作機械産業が真っ先に風邪を引く。半導体メーカーや液晶テレビメーカーが咳をすれば、半導体製造装置や液晶製造装置を作る企業が寝込む。量産の仕事と多品種少量の仕事は連関していることが多い。したがって、一見すると、自動車などの量産の仕事が少ない大田区において影響が深刻なのである。 このような不況の中で、下請仕事が中心で戦略の選択肢の少ない、受身の立場にある中小企業は、今や取引先1社に依存して売上を持続的に確保することも、1種類の仕事量だけで持続的に売上を確保することも困難である。特定の取引先・仕事の量は小さくなり変動幅は大きくなっている。したがって、取引先と仕事内容を多様化するなどして、こまめに小さな仕事でも何箇所から集めてきて、売上高を持続的に確保しなければならない。そのためには新たな取引先を探したり、初めての仕事をやる必要が出てくる。 そこで、取引先を見つけるためにも、新たな仕事をこなす生産体制構築のためにも、他企業との情報交換や連携が必要となるのである。変動の激しい多品種少量生産の時代においては、中小企業1社だけでは生きていけない。 2月に入ってある町工場の経営者から興味深い話を聞いた。経営が傾いた仲間の工場の設備を買い取り、それを置く貸工場を借り、その設備を動かす従業員も引き取ったというのだ。外国製の高度な設備もあったと聞く。経営が行き詰まったほうの従業者数は7名くらい、引き取ったほうは30名くらいの規模である。この時期、たくさん従業員を抱えて設備投資額も大きい企業の方が大変だと思うのだが、しっかりした企業理念と堅実な経営ビジョンを持つこの会社は、新規の設備投資も行っている。 このような一種のM&Aは産業集積地において時折耳にするが、このようなことが可能になるのも、当事者である二つの企業が日常的に交流し、仕事の上でもある程度連携していたからこそである。顔の見えるネットワークの強みと言ってよいかもしれない。「100年に一度」とまで言われる不況の中、産業集積から技術力ある中小企業が消えていくこともあろうが、このようなかたちでM&A的なことが行われることは、企業1社が消滅してもその企業のコア技術を体化した設備と人間は仲間の中小企業の中で生きていくことになるのだから、わが国のものづくりにとっては歓迎すべきことだろう。 また、別のある町工場は高額の3次元測定機などを各種取り揃えているが、これを仲間の工場に無料で貸したりしている。その一方で、大手メーカから受注する際に、例えば「5面加工機を持っていること」という条件がついている時は、これを保有している仲間と共同で受注するなどもしている。さらに、宇宙航空関係の仕事を受注するために技術力ある中小企業を探し出して連携を図り、お互いに守秘義務契約を交わして、メーカーからの認証を受けたりもしているようだ。この企業のいき方はある意味で「ものづくりにおけるサービス業的ないき方」なのかもしれない。中小企業同士のフラットな連携を前提に、多品種少量で超精密でしかも高度な品質保証を求められる機械工業系の仕事に対応する、というわけである。極端な話、今後は品質保証だけに特化する中小企業というのも出てくるかもしれない。 中小企業がこのようないき方をする場合、互いに自発的・自律的に交流を行い、連携を創り出していくこと重要となる。では、どのような連携や取引連関を創り上げていくべきだろうか。基本は、多品種少量生産に対応したものづくりを行うための連携ということである。量産の時代における企業城下町などの特定大企業を頂点とした生産ピラミッド型生産システムを前提とした取引連関・連携とは違うものを創り上げなければならない。 多品種少量生産の時代の連携は、「よいものをつくりたい」という価値観を共有している人たちによる連携がコアとなるべきだろう。ものづくりに傾倒し、これを天職であるかのように捉えている人たちによる連携である。本来、ものづくりの取引連関においては、発注する側は「よいものが欲しい・つくりたい」と思い、受注する側は「よいものづくりをしたい」と思うべきものである。二者をつなぐものは「よいもの」という価値観の共有である。取引連関において当事者たる企業がこの価値観を共有することでそれぞれの組織の中において、ものづくりに関する真っ当な知識が身体 化されていくのである。現在の大企業中心の上意下達によるコスト削減・品質管理至上主義的な生産システムにおいてはこれが一番欠けている。 このような連携の中で企業は「次工程はお客様」というだけでなく、「前工程が付加価値源」とも考えるべきだろう。その基本思想は「元から作る」というものである。これは必ずしも、全てを自分で作るという意味ではない。出来うる限り素材に近いところまで工程を遡って技術・技能を理解することによって、自分の担当する工程の付加価値を高める、ということである。そのためには自社の工程を流れるワークの本質を、のめり込むように徹底的に把握することが重要だ。各社がこのように行動することで取引連関の中で相互に「よいものづくり」という共通の価値観が出来上がっていくのではないだろうか。 特定の加工機能に特化したタイプが多い中小企業の連携は、そこに参加する企業がそれぞれ「自社でやること・育てるものは何か、他社に求めるものは何か」ということを明確に意識していなければならない。すなわち、それぞれの企業理念に基づいて、自社のコア技術をどう進化させていくかについての明確なビジョンを持っているということが前提となる。その上で、設備はどこまで、人はどこまで自社で持つか、受注するロットの範囲はどこまでか、他社に頼むのは何か、などを明確にしていくのである。このような企業理念にもとづいたビジョンをしっかり持つことが、同時に、この嵐が過ぎ去った後の、次回の不況を乗り切るための礎石を作ることにもなるのではないだろうか。 「足ることを知るものは富めり」(『老子』小川訳注、中公文庫、第33章)。「止(とど)まることを知れば殆(あや)うからず」(同、第44章)。 |
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2009-1-31
本年度も早稲田大学井深大記念国際ホールで「北区未来を拓くものづくり表彰式・受賞企業研究発表会」(第4回)を早稲田大学産業経営研究所と北区との共催で開催した。三つの表彰部門のうち、新製品・新技術部門で6社、技能者・技術者部門で5名(うち若者枠1名)、地域協働・地域貢献部門では2社が登壇した。そこでは小生のゼミの学生たちが受賞企業・受賞者について書いた報告書をもとに企業を紹介し、それに応えて企業の方達がスピーチを行った。
金融危機に端を発した経済混乱の中で、今回の表彰企業は規模の小さなところがどのようにして生きていくかのお手本を示すかのようであった。より正確には、規模の小さいところだからこそ生きていくことが出来ることを示す事例が多かったと言える。 そのパタンは三つある。まず第一に、北区に典型的な小さな開発型企業。いわゆるファァブレス企業もある。第二に、社内にユニークかつ高度な生産技術をコア技術として保持している企業。これらは機械工業集積密度の高い大田区の企業に勝るとも劣らない実力を持っている。第三に、職人的な技能・ノウハウをコア技術に頑張る企業。家族で頑張る生業が多い。以下では、報告書を一部抜粋しながら、そのいくつかを紹介しよう。 開発型企業の代表例としては、(株)エスマックと電子磁気工業(株)が挙げられる。このうちエスマックは、船舶冷却水固液分離装置を開発して受賞した。これは冷却用に取り込んだ海水と混入したクラゲ等の固体浮遊物を分離する装置で、分離した後のクラゲは生きたまま海に戻される。機械科出身で海運や造船に関連した商社に勤務し、オイルフェンスやタンカーの洗浄装置等の海洋汚染防止機器を企画し製作してきた経営者により考案された装置である。 同社は2000年に創業された従業員4名の会社である。ビルの1室で、経営者が考案したオリジナル商品の企画・販売、船舶・産業機械のエンジニアリングや関連した装置や材料の販売を手掛けている。同社は産学協同等も積極的に活用して製品開発を行い、製造は外部である。例えば、JAXAのロケットエンジン燃料噴霧器を応用開発した超微細ミスト発生ノズル。これは従来の噴霧ノズルに比べ、より微細なミストを発生させることができるため、今まではノズルに詰まってしまって出来なかった薬剤等の散布が可能になる。これを院内感染防止用の加湿器やアスベストの固形化工事に使うノズルとして商品化している。最近では断熱・遮熱効果のあるガラスコーティング材料の開発も行っている。とにかく次から次へと開発を行う会社で、経営者は「製造業は創造業」という。 もう一方の電子磁気工業は、3次元ガウスメータで受賞した。電子磁気工業は磁気応用装置のトップメーカで、この製品は磁界強度を3次元ベクトルで見えるようにした測定器である。近年、モータは携帯電話のなかにある超小型モータのように小型化が著しい。このモータのなかに組み込まれた、さらに微小な磁石の磁気を正確に測定するためには検査プローブの開発にも苦労する。同社で開発したプローブの先端には磁気を計測する3個のホール素子が組み込まれている。 同社は1957年に創業され、米国から導入された磁気応用技術を独自に進歩させて、様々な磁気応用分野の装置を開発、製品化してきた。この3次元ガウスメータの前身である1次元ガウスメータは同社が国内で初めて製品化し、これがガウスメータのJIS規格になったという。従業員数86名の開発主体の会社で、製造はほとんど外で行っている。磁気を入れ、磁気を抜く技術に精通した経営者は正に磁気が見えるかのような人物である。 次に、ユニークかつ高度な生産技術をコアに頑張る企業として、(株)内村製作所と(有)フジテックが挙げられる。内村製作所は、高性能な超重量用キャスターの開発などにより受賞した。同社のキャスターは回転性の良さと荷重性に優れている点に特徴があり、半導体工場や自動車工場で部品の搬送ワゴンを支えるキャスターとして多くの工場で使用されている。表彰対象となった超重量用自在型キャスターは、直径150mmの車輪で許容荷重が800kgという強くて軽いキャスターだ。他社の同サイズ製品の2倍から3倍の重量にも耐えられる上に、初動性や旋回性にも優れている。 同社は元々は高度な技術を誇るプレス加工の会社であった。ダイヤモンドコーティングした絞り型で、かなり肉厚の鉄板を何回か絞ってプレスする。こうして作られた部品がキャスターを支えるところに使われている。金型製作と絞り加工をコアにした優れた生産技術を活かして製品を作る、大田区タイプのものづくり系企業の経営者は「日本には資源がないから、技術力で勝負しないとね」と言う。 もう一つ、面白いコア技術を持つ企業がフジテックだ。経営者(62歳)とその子息が働くこの会社は、フレキシブルマイクロ波導波管製造の熟練加工技術で受賞した。この導波管は地上デジタル放送、いわゆる地デジ施設には必要不可欠だ。にもかかわらず、マイクロ波導波管のうちフレキシブル導波管という、自在に形を曲げられる導波管を製造出来るのは、国内では同社だけらしい。フレキシブル導波管はその希少価値から1メートル4万円するという。 経営者は以前いた会社でこのフレキシブル導波管の製造に成功し、その後これを製造する専用機械を買い取って独立した。この専用機械、原理はそれほど複雑ではないが調整が難しく、保有していても使いこなせない代物だ。この機械を動かすところを見物させていただいたが、幅10ミリ前後のフープ材(主に真鍮)を折りたたむようにして凸型にして、それを矩形に巻いていき、細長い筒のような形が出来上がる。その際、補強のために銅線を一緒に巻き込ませて後で除去する。完成した矩形の筒に出来た空洞をマイクロ波が通ることになる。周波数によってこの矩形のサイズを変える。この導波管は東京タワー等の鉄塔や自衛隊の船舶、テレビ局の中継車など、アンテナと通信機を繋ぐ様々な場面で活躍している。建物などに合わせて導波管を設置する際、直線の繋ぎ合わせだけではどうしても隙間が出来てしまう。そこでフレキシブル導波管が必要になるわけだ。現在、経営者はこの技術を子息に移管中だ。 北区には職人的な技能・ノウハウをコア技術に頑張る企業も少なくない。中でもユニークなのが、技能者・技術者部門で受賞した(株)酒井造花製作所と志賀食品製造所だ。酒井造花製作所は、歌舞伎や演劇等、我が国の伝統的舞台で使用される造花の製造を手がける会社である。歌舞伎座や国立劇場・新橋演舞場・帝国劇場・明治座・京都の南座・福岡の博多座等など、北は青森から南は沖縄まで、舞台の監督・美術家からの様々な注文に対し伝統的な技術で的確に応えている。経営者は三代目だ。 現場で働いているのは、経営者夫婦と高齢の男性1名およびパートの女性5名ほどである。皆熟練技能の持ち主ばかりだ。造花は舞台ごとにオーダーメイドで作られる。作業は、舞台美術家から渡された、セットのおおまかな完成イメージが描かれた配置図に基づいて行われる。和紙を型抜きし、染料で染め上げる。花びら一枚、元から作るのである。そうしてできた花や草を針金で組み合わせ、それぞれ木や枝につけてから枝振りを整える。数段階にわたるほとんど手作業の工程を熟練と根気でこなして、桜・山吹・牡丹・もみじ・菊・藤・すすきなどを作り上げる。花の種類は100以上になる。知らない花は「図鑑で調べて作る」という。 造花は本物に似ているから良いというわけではない。本物を舞台に置いても舞台装置としては効果がない。「客席から見てイメージできるように作る」ことが一番重要なのだ。「デフォルメして作るその中にリアリティがある」という正に歌舞伎役者の演技と同じ原理でこの造花も創作されているようだ。 志賀食品製造所は、40代の経営者を含めて2名で、値段よりも美味しさを追求した納豆を地道に作り続けている。経営者は先代から手作り納豆の技術を継承してきたが、特に神経を使うのは納豆の味の決め手となる「発酵」だそうだ。季節や天候の違いによって発酵時間や醗酵室の温度・湿度を小まめに調整する。「発酵時間の都合でほとんど寝る間もないこともある。だけどおいしい納豆を作るためだからね」と言う。 ある有名サイトで「ひと粒ずつ食べたくなる。ぜいたく納豆」というキャッチフレーズで、同社の納豆を完全予約販売したことがある。北海道産の大豆を使ったこの納豆は、大粒の「つるの子大豆」を使ったものが1パック90g3パック入り1セットで1,650円、小粒の「すずまる大豆」を使ったものが、同じく1セット1,200円で、各300セット限定だったが、わずか1時間足らずで完売してしまった。このネット販売を通じて、本当に質の良いもの、美味しいものは高くても売れるということ確信した、と経営者は言う。小生もここの納豆を試食させていただいたが、これまでに食べた納豆とは比較にならないほど美味かった。 今回の事例は皆、付加価値を生み出す力を身につけた経営者が、むやみに規模拡大を狙わずに、工夫を凝らして身の丈のビジネスを地道に展開していくことの強みを見せつけるかのようであった。 以上、今年度の表彰企業の一部を紹介したが、学生たちが作った詳細な企業紹介の報告書は「平成20年度北区未来を拓くものづくり表彰 受賞企業概要」(平成21年1月、東京都北区産業振興課)にまとめられているので是非ご一読いただきたい。 |
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2008-12-30
金融危機の悲鳴が聞こえる中、経営者達は意外に悠然としていた。10月に大田区中小企業の訪問調査をした時も、11月末に電話で金融問題についてうかがった時も。多くの小規模企業経営者達は仕事が減って大変だとは言いつつも、冷静に現状を説明してくれた。以下は10月の訪問調査で印象に残った企業の概要である。
S産業(株)はプラスチック精密切削加工を行っている。ムクの素材から削り出して、機械部品や半導体関連の部品を作っている。ほとんどが小ロット多品種の試作関連である。図面は発注者から来る。エンドユーザーは半導体、医薬、食品関係の大手企業で、生産ラインに入る部品が多い。取引には商社や関連会社が間に入る。従業員数は8名、売上はここ数年順調で年商1億円ほど。ただしこの8月から少し下降気味だそうだ。 経営者のYさん(55歳)は長野県出身で、上京して大手建設機械メーカの営業をやっていたが、その後大田区内の中小企業に転職して営業の仕事をする中でこの業界を知った。平成2年36歳の時に区内で彫刻機1台で創業した。5坪のところだった。その後15坪の工場に移ってMCを導入し、1名雇って仕事を増やした。さらに36坪の工場に移り、現在はここが第2工場になっている。彼は今も工場の2階に住んでいる。 Yさんは借金をして高度設備を導入するという積極経営を行ってきたが、その割には財務状況は悪くない。設備に応じた仕事量が確保出来ているからだろう。プラスチックは膨張するので在庫は置かない主義だという。プラスチックの種類は20〜30ほど。受注ロットは100以下が多い。特定取引先のシェアは多くて20〜30%止まり。切削加工は射出成形加工よりも多品種少量タイプの生産方式なので、国内に仕事が残っているそうだ。現在、区のマッチング事業も活用して若い人を確保しようとしている。高度設備を活用しての高品質・精度・納期(即日もある)が売りなので、若い人材が欲しいそうだ。ただし、それほどの規模拡大は目指さず、人数の上限を20名と考えている。 (株)M製作所はカメラ関係の部品加工を行っている。最大の取引先はキヤノンで、直の取引だ。ニコンやソニーとも長年の取引関係にある。カメラの鏡筒などの試作の丸物加工が多い。試作にこだわっていて、仕事の8割が試作という。旋盤、フライスなどの切削加工がメインで高度な測定器も完備している。定価2300万円の3次元測定器もある。 経営者のKさん(62歳)は青森県出身で、中学を出て上京し大田区の町工場に勤めるかたわら夜学の工業高校に通った。学校から帰って再び12時まで旋盤を動かしていたという。景気の悪い時に機械を買う、手形は出さないなど、彼の明快な経営哲学はこの苦労の時期に育まれたものだろう。彼は昭和49年に区内で1人で創業して、当時区内で急速に伸びてきたN精機を目標に頑張ったそうだ。その後規模を拡大して2年前から区の工場アパートに入り社員は13名になった。若い人も多い。彼らには社長が旋盤を、工場長がフライス盤を教えているそうだ。後継者も社員の中から選ぶという。最近半年間の月商を詳しくうかがったが、この時期にしては順調に推移しており、前年同月比で見ても伸びていた。 (株)O製作所は大型の門型MC6台を取り揃え、金型工場と製缶工場も持つ特徴ある会社だ。経営者のHさん(73歳)は、群馬県出身で昭和28年18歳の時上京し、大田区の町工場に勤めた。もう一つ町工場を経験してから昭和33年に区内で創業した。ベンチレース1台だった。その後次第にプレーナー主体の設備となったが、今はこれを全部売って門型に切り替えた。現在地には昭和45年に来たが、その後土地を4回買い増した。従業員数は3工場合計で27名。仕事内容は鉄を切削加工しそれを製缶溶接して大型の台などを作るというもの。例えば、ホンダの生産ラインの部品(ロボット溶接機を載せる台)など。取引先はホンダ40%、日立(半導体や液晶製造装置の部品)20〜30%、アイダ20〜30%、いずれも直の取引だ。ホンダのエンジニアだった娘婿が後継者だそうだが、なかなか味のある経営者であった。 (株)N製作所は、精密金型を製作して精密プレス加工を行っている。同社は現経営者のNさんの父が昭和33年に創業した。昭和55年法人化と同時にNさんが会社を継いだ。仕事は当初からカメラ(リコー)の絞りバネ(薄さが100分の3)など。現在はそれ以外にバックライト(コンピュータなどのリフレクター、フィルムと金属の複合体)、水晶発振子関連なども生産している。 訪問時はISO14000のセカンドステージを2008年11月に迎えるところだったので、工場内には環境に関するパネルや指示票が工夫を凝らしてたくさんかかっていた。輸出する品物もやっているので対応しなければならないそうだ。工場内は工作機械のあるところも全て木の床であるのがユニークだ。技術と技能に優れた会社で、その技術力を活かしてベローズを開発して区の新製品新技術賞も受賞している。従業員数は全体で34名、うち社員21名。平均年齢は50歳と高いが、金型部門に熟練技能者を抱えているので、ここが年齢を引き上げているそうだ。経営理念のしっかりした会社で、社長も1年間手でトイレ掃除をしたそうだ。訪問翌日に社長直筆の丁寧な礼状が来た。 K工業(株)は板金加工の会社だが、近年は開発したダイレスフォーミング加工を売り物にしている。これはプレスをせずに絞って形を作る工法で、樹脂製の型の上に金属板を乗せて挟み込み圧を加えながら上からドリルのような棒でヘラ絞のように擦りあげるようにして押し込んで絞る。金型が不要なので特急の試作加工向きだ。最初にこれで加工したものを見せていただいた時には、どうやって作ったかは全く見当がつかなかった。現在この工法による売上が一定割合を占めるようになってきたそうだが、用途開発をしながら受注しなければならない工法なので、多くの得意先にこの工法を認識してもらう必要がある。得意先で展示会なども行っているという。経営者のAさん(61歳)は大手メーカでIEをやっていたエンジニア系だが実践的なマーケティ ング手法にも詳しい。 この新しい工法とは別に、同社はもともと優れた板金加工技術をコアとしており、高度な板金加工設備も多数保有している。また手作りの工程もあるので技能水準の高い熟練工も多い。得意先はリコー、セイコー、キヤノンなど。従業員規模は20名ほどで高齢の人と若手の組み合わせだ。現在、社長の子息や専務の子息など20代4名のグループを作ってこれを核にして技術と技能を継承し発展させていこうとしている。 金融危機に端を発した経済の混乱はつい最近までわが世の春を謳歌してきた某自動車メーカをも直撃した。派遣労働者をコスト削減とショックアブソーバのために多用してきた多くの大手メーカはここぞとばかりに伝家の宝刀を抜いてしまった。一方で、戦略の選択肢の少ない、受身の立場の中小企業の辛さは首の皮一枚でつながった労働者たちと似ている。しかし、インタビューを通じて、多品種少量生産に生きる小規模企業の経営者たちは、慌てふためく大手企業のトップよりも矜持と変化への対応力を持っているように感じた。規模が小さいがゆえに運転資金や設備投資の負担がそれほどでもなく、現場で働く人たちが高い付加価値を生み出す構造になっているので、目の前の仕事は減っても、なんとか持ちこたえる力があるという自信を経営者が持っているのではないかと思う。 多品種少量生産においては随時生ずる変化に適切に対応することが要求される。そのためには、従来とは異なる「面倒なこと」を背負い込まなければならない。一日の中でこれまでとは異なる作業に時間をとられることになる。しかし、面倒を背負い込むことで自分でも気がつかなかったものが身心から現出して、変化に積極的に対応するうちに自分自身が内側から変わっていくのではないか。確かに、小さな企業の経営者たちは経営学の訓練は受けていないかもしれない。しかし、待ってましたとばかりに内定取り消しや派遣労働者の解雇を行う大企業の経営者たちに比べると、自らの身体化された知識にプライドと自信をもって悠然と耐え忍ぶ町工場の親父さんたちの方が真の経営者としての人格を備えているように思う。 |
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2008-11-30
今年出会った川崎市の技能者の中で興味深かった三人を改めて横並びで見てみた。一人は造園業、もう一人はケーキ作り、三人目は機械工業に従事している。以下でその概要を紹介しよう。
Aさん(60代)は造園業を営み、作図から作庭までの樹種の選定、石組み手法、霜よけ作業、エコ対策にかかわる植生配置などにおいて卓越した技能を保持している。造園業の家に生まれた彼は16歳で近隣の造園業に入って5年ほど修業した後に、実家に戻って働くことになる。50年間余り造園職に従事して経験を積み重ねるかたわら、造園1級技能士として、造園技能検定委員、造園検定主席検定委員や県のシルバー人材センター緑樹講習講師なども務めてきた。また地元中学校で毎年開催される「技能職者に学ぶ」学習にも参画するなど地域社会における活動も活発である。 会社から少し歩いた彼の自宅には造園実習用の場があり、技能検定のための実習なども行われている。そこで見せていただいた実演で、霜よけに使う紐の中に針金を入れて撚り結び目をあざやかに松竹梅に形作る彼の指はまさに職人の指だった。造園における基本的な技は5年ほどで身につくそうだが、たまにしか使わない技もあるのでオールラウンドに出来るようになるにはかなりの年月が必要なようだ。 彼の自宅の庭には別の場所から移植した樹齢150年ほどの大きな五葉松がある。木は土地によって地下水の深さや流れなどにより、根の深さや方向が異なる。ここに移して5年だが、移植には根回しが大事だそうで、ここにも彼のノウハウが活かされているようだ。また、庭の石組みも得意で、小さな石をいかに大きく見せるかが腕の見せ所だという。日本の造園は非常に芸術性の高い独特のものだが、Aさんはその技術を基礎から高度の応用まで習得するとともに、その技術を表現し、教育する能力も兼ね備えている。 Bさん(50代)はドイツ菓子を中心とする菓子店を経営し、優れた技を発揮している。彼は山梨県出身で、1967年に静岡県の洋菓子店でこの道に入った。その後神奈川県のドイツ菓子店とスイス菓子店で修業し、1976年から1年間、ドイツの老舗菓子店にて本格的なドイツ菓子作りを学んだ。留学中にはチョコレートの違い(作業しやすく美味しい)を痛感したそうである。帰国後は都内著名店のチーフとして腕をふるい、1982年、31歳の時に独立した。彼の作るドイツのクリスマス焼菓子は開業以来作り続けて高い評価を得ている。地域振興に向けた商品も開発しており、商店街と共同開発した菓子は市の名産品にも認定されている。 彼の店は都内に務めていた時の通勤沿線にあり、3階建て(3階が自宅)のドイツ風な造りになっている。白い外壁にエンジ色で描かれた鮮やかな絵が沿線から眺められる。2階にはこぎれいな厨房があり、28歳の子息が黙々と作業をしていた。 ドイツ菓子やスイス菓子は独特のスパイスブレンドで深い味を出すもので、その見えないところに努力しなければならない点に引かれた、と語るBさんは落ち着いて穏やかで研究熱心な人柄で、商品開発技術に優れている。いわく、バターにこだわりマーガリンは添加剤の固まりだから使わないそうである。日本人は口に合わないバタークリームを食べさせられてきたともいう。彼の作ったクリームは好感のもてるあっさりした味だった。 彼は日本やドイツで菓子作りを学ぶ中で何人かの師匠につき、彼らの特性をしっかりと捉え理解してきた。40有余年の中で自分の特性も客観的に見て、独自のお菓子を味を出すようになったのだと思う。彼は他者の技を観察し評価したうえで自分自身の創意工夫をする能力を持っており、飾り立てるよりも食べて美味しい菓子を作る、という彼のお菓子における自己表現は嫌味のない自然体であるように感じる。技と人柄が一致しているような菓子職人だ。 Cさん(50代)は中小企業に勤務して、ものづくりにおける生産システム設計、治工具や自動機の設計・製作において、優れた技能と技術を発揮している。彼は顧客から来た部品の図面を見て、それを効率よく作るための治具などをCADも駆使して作る。メインの仕事はコピー機の部品だ。こうした部品も量産ものは海外に発注されるが、高機能のもの、多品種少量品、新製品の立ち上がり期のものなど高い生産技術を要する仕事が同社に来る。 Cさんは工業高校を卒業後、1年ほど大手自動車メーカで働いてから同社に入社し、勤続40年ほどになる。入社後しばらくは営業の仕事をしていたが、ほどなくして組み付けの仕事に入り、治工具製作に従事することになる。ここで、必要に迫られながら、ものづくりに関する幅広いノウハウを蓄積して次第に彼の才能が発現していくことになる。 彼の作る治具や省力化機器は、量産のための無人化機器ではなく、人間、それもパートの女性がそれを使って、多品種少量生産を効率的に行うためのものである。例えば、コピー機のブレードという部品を組み立てる作業においては、両面テープを金属に貼り付けてその上にゴムを貼り付けるような作業がたくさんある。彼はこの作業を、ゴムに両面テープを貼り付けてから金属に貼るようにして、効率を大幅に向上させたそうだ。このような発想転換が治工具製作には必要で、ここに彼の才能が生かされているようだ。 誰が何回やっても、同じように、寸法の安定性を確保して正確かつスピーディに、少ない工数で出来るような治工具のアイディアは、作業する人の手の動きを絶えず観察しながらこれを何かに置き換えようとする努力の中から出てくる。治工具の動力はエアシリンダーが多く、スイッチとリレーでシーケンス制御する。電気回りの知識は独学で勉強し、秋葉原にも足しげく通うという。材料加工の精度は百分の2(ピッチ)、組み立て精度はコンマ1から2、だそうだ。そして客の要求はなによりもコスト削減である。 彼のところには顧客から中国で作る製品の治工具の製作打診もあったが、人海戦術で量産を行う中国に適した治工具とこちらの治工具とでは生産思想が違うようだ。彼が作るのは、限られた人数のパート労働者により多品種少量の精密なものづくりを行うための治工具なのである。しかも彼の会社に発注される部品は、同じ種類のものでも絶えずバージョンアップされたものばかりなので、以前のものより一層効率的な治工具を作らなければならない。ここに、絶え間なく自分を磨く彼の力が発揮されているといえる。 Aさんは家業を継ぐかたちで自然に入った道で技とノウハウを身につけて庭造りをしてきた。Bさんは志を立てて入った道で、創意工夫を重ねて新商品を生み出してきた。Cさんは生活するために入った道で自らの適性を見出してこれを磨いてユニークな治工具を作ってきた。Aさんは、生まれる前から自分の道であったかのように、ゆったりと働いている。Bさんは、夢をかなえて、生き生きと働いている。Cさんは、会社の信頼を担って、生き甲斐を持って働いている。 |




