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台風26号は伊豆大島に甚大な被害をもたらしている。そして、また台風27号、台風28号が近づいている。大島町では、希望者に離島する施策を実施した。大島町は以前にも離島を経験している。それは1986年の三原山大噴火の際の全町民離島避難だ。今回は40人弱、1986年は1万人と人数の違いはあれ、住民は本当に大変な思いをしている。
三原山大噴火の際に、当時の大島町長が気にしていたのは、地域のコミュニティを崩さないことだったそうだ。避難した人の中には親族を頼れる人ばかりではない。中には島外には身寄りの無い人もいる。そういう人達にとって、周りに知っている人がいるのといないのでは大きな違いがある。どうやっても気を遣う生活の中で、一人でも多くの知人友人がそばにいるのといないのでは精神的な負担に大きな差が出るからだ。だからこそ、当時の大島町長は、避難にあたって地域コミュニティをそのまま避難先でも作って欲しいと要望したのだ。
場所は変わるが、私は先月、石巻を訪れた。まだ東日本大震災の爪痕が至るところに残っている。ガレキはないが、仮設住宅はいまだに乱立しており、倒壊した家などが撤去された地域はだだっ広い空き地になったままだ。住宅を買うにも、土地の買い取り価格の問題。高齢者にしたら住宅ローンを組む問題など、住む地域の問題、最低でも7mの堤防を海や北上川沿いに数十キロメートルに渡って設置しようとしている問題などが重なっており、買うに買えない状況があった。
もともとあった地域をそのまま再生させることは難しいと現地の人達も薄々感じているのだろう。地域のコミュニティは元に戻れそうにない。そして、すでに仮設住宅にいる今、コミュニティは崩壊している。なぜなら、三原山大噴火の時の大島町長のように、住民は地域のコミュニティごと仮設住宅を割り当てて欲しいと希望したそうだが、結果的にはバラバラにされてしまったのだ。それは、住んでいる地域だけではなく、家族構成などを配慮して、抽選をしたことで、仮設住宅が配分されてしまったからだそうだ。心細い中で知り合いがいないだけでなく、全く知らない人の生活の音や声が丸聞こえしてしまう状況は、人々の精神をどんどん蝕んでしまう。余談だが、そのこともあり、新しく出来たパチンコ店がストレス発散のためか大繁盛しているほどだと言う。震災前はそういうことは少なかったようだ。
地域にとって、コミュニティはとても重要なものだ。私を含め、東京に住んで、生活しているものにとっての感覚とは違う。そして重要性も違う。
今回の台風被害が、これ以上出ないことを祈るとともに、地域のコミュニティを維持し、人々の不安を少しでも和らげられることを心より願いたい。
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