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「BLENDA」「egg」「小悪魔ageha」など GAL誌の休刊が相次いでる。なぜ、今GAL誌の休刊が続いているのだろうか。読者モデル(読モ)を大々的に起用し、世の中に一大ギャルブームを巻き起こしたGAL誌の相次ぐ休刊は時代の必然であり、驚くようなことではない。
理由はいくつかある。例えば、渋谷という街の求心力はかつてより衰えている。109に入っていたGAL系アパレルブランドにも閉店するところも出て来た。がんばって渋谷に行って刺激を求めるよも、地元の気の合う仲間と地元で遊んだ方が良いということで、渋谷に来る若者層が少しづつ減っている。
メディアとしての雑誌の力も衰えている。かつて雑誌とは時代を創ろうとする意気込みが感じられたものだ。しかし現在の雑誌にはその意気込みも力も感じられない。出版社は作業やコスト効率化をはかるため、編集プロダクションに外注することも多くなった。時代を創るというより、世の中で起きていることを後追いすることも増えた。また雑誌によっては、広告主の雑誌離れを防ぐため、記事面での広告主配慮も徐々に増して来た。情報が溢れかえる中、世の中の後追い情報だったり、薄く広い情報では、お金を払ってまで読んではくれない世の中だ。それだったらネットで十分という読者が増えたのだ。
渋谷への求心力が衰えたこと、雑誌への求心力が衰えたことなどの理由とともに、私が大きな理由として考えているのは「読モ」の弊害だ。
ネットとりわけソーシャルメディアが普及してからというもの、一般人と芸能人の距離感が縮まってしまった。以前であれば、テレビや雑誌に出ている人と自分の住む世界は違うという認識があった。だからテレビや雑誌の情報をリスペクトしたり、そこに出演している人に憧れを抱いたりした。しかし今は違う。今、読んでいる雑誌やさっきまで見ていたテレビに出演していた人と、今Twitterで会話をしたりすることもあるのだ。「読モ」が人気になり始めた頃は、一般人でもかわいかったり、きれいな人は雑誌に出ることも出来るんだということで、一般人代表の読モに対して憧れを抱く部分も読者にはあった。しかし時代が進み、芸能人や読モと自分の関係が近くなりすぎたことによって読者の意識は変わるようになった。「この人達が芸能人や読モだったら、私も芸能人や読モになれるのではないか」という感覚だ。つまり、憧れの対象ではなく、自分と同レベルの対象になってきてしまったのだ。自分と同レベルと思っている人達が楽しそうに騒いでいるテレビ番組、かっこつけているGAL誌を見たいと思わなくなってしまったのだ。くしくも、芸能人のプライベート暴露番組や読モのテレビ出演が増えれば増えるほど、今までGAL誌を読んでいた読者から見放されることに繋がってしまったのだ。結果として、テレビは無料なのでスルーすれば良いが、雑誌に関しては「買わない」という選択が増えてしまった。そしてGAL誌は次々に休刊に追い込まれて行ったのだ。
GAL誌の休刊を悲しむのは、GAL誌に出ている読モや、芸能人ライブを満喫しているモデルばかりで、多くの読者にしてみれば、何の問題もないのだ。
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