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フィギュアスケートのNKH杯が終わった。羽生結弦選手は総合第四位、なんとかグランプリファイナルへの進出を果たした。スケーティングそのものは本来の力の半分も出せていないように感じたが、それでも出場し第四位になり、目標であったグランプリファイナルへの出場権を獲得したことは、彼にとって良かったと思う。ここから少しづつ心身の調子を取り戻し、グランプリファイナルでは圧倒的な演技を見せ、金メダルを掴んでくれることを祈りたい。
負傷した中国大会。羽生選手のフリー出場の是非を巡って日本中で議論が沸騰した。私は前回のブログで、あの時点で羽生選手が決めたことを最大限尊重すべきであることを中心に伝えた。
NHK杯の出場時の会見で羽生選手はこう語った。「自分の意思を尊重してくれたコーチと協会に感謝している」「自分の限界に挑んでいる。ある意味、死と隣り合わせ。ここにいる事自体、奇跡に近い。自分の体に感謝している」と。
私も先のブログで書いたが、あの時点で不祥事の明確な出場規定がなされていない以上、最終的に判断できるのは選手だけなのだ。それも生半可な覚悟ではなく、世界のトップとして、人生をスケートにかけてきた羽生選手は、すべての責任を自分で背負うという覚悟で決断したことなのだ。中国大会でも、NHK杯でも羽生選手のスケーティングは万全ではない。ただ、羽生選手自身、そのことについては、すべて自分の責任として言動を行っている。若干19歳の彼が、自分の言動にすべての責任をもって、競技に臨み、人生を歩んでいる凛とした姿は、ユズリストと呼ばれる羽生ファンだけでなく、多くの日本人に清々しい気持ちを与えている。
昨今、モンスターペアレンツ、モンスターカスタマー、モンスター患者など、羽生選手よりも人生を長く生きている人達が、自分の都合だけで無理難題を言うケースが増えている。自分の言動に責任も持たず、覚悟もなく、自分の都合に合わせた権利主張ばかりをしている。若者の中には、一つのことをしっかりとやり切ることもなく、夢物語や評論ばかりを繰り返して、ソーシャルメディアやブログで目立とうとしているものも少なくない。
羽生選手は東日本大震災の際、被災地のことを考えると、スケートをしていて良いかどうか悩んだ時期もあるという。オリンピックの金メダリストという世界一を成し遂げた彼でも、自分のことではなく誰かのために何が出来るのかを考えたのだ。
羽生結弦選手を見ていると、今の日本人が忘れているもの、取り戻さなければならないことを思い出させてくれる。相手のことを尊重すること。自分の言動に覚悟と責任を持つこと。単に演技の良し悪しではない大事なことを羽生選手は伝えているのだ。
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2014年11月30日
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