|
フィギュアスケートGPシリーズ中国大会。ショートプラグラム2位から優勝を狙った羽生結弦選手。フリー演技直前の公開練習の際に、中国の選手と衝突するアクシデントが起きました。衝突した直後顔からリンクに叩き付けられた羽生選手。2分もの間リンクから起き上がれず、頭と顎からは流血していました。リンク外に運ばれた後も、足を引きずっていたことから、足を痛めていることも明らかでした。会場にいた人のみならず、テレビの前で中継を見ている人達の誰もが、羽生選手の身を案じ、棄権した方が良いと思っていたことでしょう。しかし、羽生選手は再びリンクに登場し、フリーの演技を滑りました。
コーチのブライアン・オーサー氏が「ヒーローになる必要はない」「身体のことがもっとも大事だ」と羽生選手に伝えながらも、羽生選手は「跳ぶ」と言ってフリーの演技に出たのです。顎には血のにじんだテーピングをし、頭にも大きな包帯が巻かれている状態の中、羽生選手の演技は始まりました。4回転ジャンプは成功させたものの、5回も転倒し演技を終えました。演技を終えてリンク外のウェイティングスペースでは、ほっとした安堵の表情を見せていましたが、点数が表示されて自分が暫定トップであることがわかると号泣して立てなくなってしまいました。それまで心身を気力だけで支えて来ていたのでしょうから、解放されて心身ともに立てなくなってしまったのでしょう。コーチに両脇を抱えられ退場し、その後は車椅子で会場を後にしました。結局、羽生選手の後に滑ったロシアの選手が優勝し、羽生選手は銀メダルとなりました。
■ 羽生選手の出場への称賛と批判
怪我をおして銀メダルを獲得した羽生選手ですが、その出場に関しては称賛ばかりではありません。あれだけの怪我であり、2分も立てなかったほどの状態なのだから、結果はどうであれ出場させるべきではなかったという批判をする人も少なくありません。意見を言うのは個人の自由ですから、そういう意見があっても良いでしょう。私もブライアン・オーサーコーチのように、中国戦だけにこだわる必要はなく、身体を大事にして休むという選択もあったと思います。ただ、ブライアン・オーサーコーチも言うように、あの時点で羽生選手の身体のことは羽生選手しかわからない状態です。明らかなドクターストップを除いては、選手自身が「やる」と言ったらコーチは止めることは出来ないのです。コーチとすれば「自分自身でやると言ったからには責任をもってやりなさい」ということでしょう。フィギュアスケートだけでなく、テニスなどもそうですが、一度リンクやコートに入ったら、誰のアドバイスも聞けず、自分を自分がコントロールしなければならないスポーツはあります。羽生選手が「やる」と言ったからには、羽生選手の判断を信じて待つしかないのです。厳しい言い方をすれば、それで選手生命に影響が及ぶようなことがあっても、選手自身が判断したことなのですから、まわりがとやかく言えることではないのです。したがって、本当は棄権した方が羽生選手のためと私は思っていましたが、出るからには最後まで泣き言を言わずに滑り切って欲しいとも思っていました。5度も転倒しようと最後まで滑り切った姿は立派だったと思います。この後、帰国して精密検査を受けることになっていますが、大事ではないことを心から祈ります。
■ なぜ羽生選手の演技は、多くの人の感動を呼んだのか?
傷ついた羽生選手の演技が、なぜあれほどまでの感動を呼んだのでしょうか。それは”無理なこと、無謀なことへ挑戦する姿勢”は人の心を引きつけるからです。多くの批判にあるように、確かに羽生選手の身体のことを考えれば、念には念を入れ棄権をした方が良かったのでしょう。しかし、多くの人が「棄権するだろう」と考えていた中で、出場したからこそ、今回のように世界中に大きな感動をもたらしたのも事実です。演技終了後に、歩けない姿を見て、人はこう思います。「そこまで酷い状況だったのに、最後まで諦めずに演技をし、4回転ジャンプまで成功させてすごい」と。特に草食系男子と言われるように、最近の若い男性に力強さを感じることが少なくなった日本では、ルックスは中性的とも言えるのに、意志の固さ、やり切る力強さを持った19歳の羽生選手の姿は、余計まぶしくうつったのです。
羽生選手の”無茶なこと、無謀なことへ挑戦する姿勢”こそが多くの人々の感動を呼んだのです。
■ ”無茶なこと、無謀なことへ挑戦する姿勢”が感動をもたらした例
登山家の三浦雄一郎さんが80歳でエベレスト登頂に成功したことは、私たちの記憶にも新しいと思います。この時にも、あえて80歳になってまでエベレストに登頂しなくても良いではないかとか、そもそも挑戦自体に何の意味があるのだという声もちらほら聞かれました。しかし、登頂成功は、私たちに大きな感動をもたらしました。
また同じように、登山家の栗城史多さんはエベレストへの無酸素単独登頂に挑戦しました。残念ながら失敗に終わり、凍傷で指を損傷する事態になりましたが、これも私たちに大きな感動をもたらしました。挑戦しなければ、指を損傷することもなかったでしょうが、栗城さん自身は登頂を後悔していない様子です。羽生選手もそうですが、無茶や無謀と言われようと、自分自身で決めたことに責任を持ち、最後までやり切る姿が、多くの人の感動を呼だのです。
■ 時代を切り拓く人とは挑戦し続ける人
いつの時代も、時代を切り拓いて行く人は、周りから無謀や無茶と言われようと挑戦し続けて行く人です。そして、そういう一握りの人が、多くの人を感動させるスーパースターになっていくのです。前述の三浦雄一郎さん、栗城史多さん、メジャーリーグに挑戦した野茂英雄さん、15歳でブラジルへ渡ってプロとなり、Jリーグ開幕の主役となり、セリエAにも挑戦したサッカー界のキング、三浦知良さん。無謀だ、無茶だと言われても挑戦してきたからこそ、多くの人に感動を与え続けることが出来たのです。
羽生選手は東北出身です。もしかすると羽生選手の心には東北の人たちのことが浮かんでいたのかもしれません。東日本大震災の時には、東北の人が苦しんでいるのに、自分はスケートをして良いのだろうかと羽生選手は悩んでいたと聞きます。あのような怪我でも、自分の持てる全力を出し切って滑ること自体が重要なことだが羽生選手は感じていたのかもしれません。自分の演技を通して、どんな時でも”挑戦”し続けることの大きな意義を伝えたかったのかもしれません。
高橋大輔選手が引退宣言をしたのと、ほぼ時を同じくして今回の件が起きました。オリンピック金メダルを獲得も多くの人に感動をもたらしましたが、今回の件で羽生結弦選手はスポーツ界のレジェンド達と並ぶ正真正銘のスーパースターになったのです。
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2014年11月09日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]



