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三春屋催事場で今月はじめからスタートした冬の北海道物産展も終わりました (。・_・。)ノ あとは年末までお歳暮ギフトセンターです

今回は前後半入れ替えありの2週間と長丁場でしたが、全体に厳しい状況だったようですね。

個人的に北海道物産展はラーメン屋さんが楽しみなんですが今回は前半後半でそれぞれ違うラーメン屋さんが来ました。

しかも前半戦ではあの海老そばの「縁や」さんが約4年ぶりの出展との事。

イメージ 1

はじめ、このチラシを見たとき正直驚きました。

えええええええええ!縁やさん? まじか?

屋号は同じでも今は経営している会社自体は変わったのですが、当時からのスタッフである「龍くん」が札幌本店の店長を勤め当時のままの美味しさを継いでいます。

初日を前に準備に入る前日、さっそく会いに来てくれました。

ラーメン食ってる時間は無いんだけど、とりあえず挨拶に・・・って。相変わらずのシュッとしたイケメンですw

初めて会った時はまだ10代だった彼ですが20代半ばとなり、結婚してお子さんも生まれ「頼れる店長」って感じになってました。

縁や 海老そば 塩 大盛り

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なんか、「息子の成長を見ているようだ」と言えば多少語弊があるかもしれませんが、そんな気持ち。

期間中2回誘い出して焼肉と飲み会に行きましたが、話せば話すほど彼の縁やの海老そばに対するプライドとラーメンに対するまっすぐな想いが伝わってきて余計に応援したくなりました。

実際、社員店長ですから自分のやりたいことが全て認められる訳ではない環境の中、本当に精一杯頑張ってると思います。

ある意味「広告塔」であった野本社長が退いてその暖簾を引き継ぐことは大変なプレッシャーだと思いますし、野本氏が居ない事で「味が変わった」とも言われるでしょう。

ただ、龍店長が率いる「縁や」の海老そばも間違いなく美味い!

東京にも支店が出来たんだそうで、今は札幌と東京を行ったり来たりしてるらしいのですがこれからもずっと応援しています。

期間中休憩時間には毎日うちのラーメン食べに来てくれました。

今度は逆に俺が札幌の「龍くんの縁や」に行ってみたいね♪


そして一週間で入れ替えがあり後半戦のラーメン屋さんは「麺屋 響」さん。

イメージ 3

せっかくなのでこちらも食べに行ってみたいと思いつつも行けるタイミングってのは、うちの開店時間11時前の30分しかありません。

ラーメン茶屋は10時半からなので、朝の仕込みと開店準備が早く終われればササッと行って来れるのですが、毎朝やることいっぱいでしていつもギリギリ・・・

ちなみに、縁やさんには3回行けたのですがそれはなんでか?って言うと龍店長の気持ちでチラシにはラストオーダー6時って書いてますけど6時半ぐらいまで受け付けてくれてたからなのね。

うちがラストオーダー終わってから急いで4階に行って「まだ行ける?」って聞くと「大丈夫っすよ!」ってw

ちなみに「すみません・・・」って時もありましたw

彼は「後片付け等で三春屋さんにご迷惑にならない範囲で出来るだけ来てくださった方には食べていただきたいから」って言ってました。

・・・彼らしいと言えば彼らしい。

そんな訳で響さんにはなかなか行けなかったのですが、最終日の10時45分w やっと行ってきました♪

札幌 麺屋 響 味噌ラーメン

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美味しかったですよ。

安定感のある札幌味噌ラーメンに隠し味のスパイスが効いた風って言えばいいか。

チャーシューの上にちょっと乗っかった生姜がいいアクセントになってて、ほかのメニューも食べてみたくなりました

…が。

残念な事に最終日ですから。

ちなみに食ってる最中にほかの催事出展者(毎回北海道物産展ではうちの常連さんw)に

「のすけさ〜ん!あと10分しかないですよ〜ww」

…とか冷やかされながらの高速食いでしたけどねw


三春屋に7年もいると催事の出展者さんたちもうちの事を覚えてくれて、毎回来てくださる方もいらっしゃいますし、一緒に飲みに行ったりするぐらい仲良くなってる方々もいらっしゃいます。

俺は再会が嬉しかったり、その方々が初出店された方を連れてきてくれたりってのがあるので再会や出会いがあって嬉しいのはあるのですが、逆に一般のお客様には毎回同じような感じになっちゃってるマンネリ感は否めないのでしょうけどね。

お歳暮かぁ…

あっという間に年末が来ますねw

タイヤ交換もそろそろですかね



毎日いろんなことがあってあっという間に過ぎていく。
そして帰ってきて飯食って酔っ払って寝る。
その繰り返し。
特別なことは何もないけど、それでもたまには再会の喜びもあるし自分で作ったのではない美味しいラーメンを食べられたりもするし、上等な人生なのだろうなw
そう言えば今月のWellにうちの常連さん十日市秀悦さんの長根リンクの思い出コラムが掲載されてました。
偶然ながら今月ののすけ通信で長根リンクのことに触れたばかりw
やはり八戸市民にとってあそこは大事な場所なんだよね。
俺は大会の時カーブで転倒してそのままリンク外のコンクリートに落下して腰を悪くしたんだよな…歩けなくなって親父におんぶしてもらってそのまま病院へ行ったんだ。当時小学生の大会ではウレタンの壁みたいなブロックは無かったんだよねw 今はどうなんだろ?
もうすぐ冬になるね

























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商売やってるといろんな業種の広告勧誘電話が来ます (。・_・。)ノ 基本的にお金のかかる広告はしてませんw

今日もそんな電話があったんですけど、今の時代にお金をかけて広告する必要ないと思うの。

ほとんどの一般のお客様はネットや雑誌での広告を見て来るわけじゃないと思ってますから。

ほんと。

皆さん写真撮ってから召し上がる時代ですw

一般の方がSNSやネット上に投稿するのが一番の宣伝だと思います。

逆にお金をかけて宣伝する予算があるなら原価に回すべきと思う。

今の時代の口コミですね。ほんとね。「ババスタグラム」で「#のすけ」って拡散してんじゃないかってぐらいばあちゃんたちもいっぱい来てくれます。

そんな一昨日、テレビの取材がありました。


イメージ 1

放送は今月22日の予定だそうです。

青森朝日放送の夕方のニュース番組「スーパーJチャンネル」の中のラーメン大百科っていうコーナーで。

多分放送自体は5分ぐらいだと思う。

ただ、今回も4時間かけて撮影していきました。

前に取材してもらった時もそうなんですが、彼らの「いい画を撮りたい」っていう貪欲な想いにただただ感服です。


取材依頼を受けて今回ご紹介するのは「おらほの中華そば」

絵的に華がないこの普通のラーメン。

どう紹介されるのか楽しみです




時間の合う方は是非。








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のすけ小学2年生

初心忘るべからず (。・_・。)ノ のすけちゃんです。

数日前に「11月のはじめって何かあったような…」って思ってたんです。

とりあえず、業者さんへの支払いやその他の業務にも支障なく「なんだったべな?」って思ってたんですけど、アレでしたね。

創業記念日

2010年の11月6日土曜日に白銀町三島下90-3でなんの告知もなくひっそりスタートしたのがのすけの最初の日。

すっかり忘れてましたw

それまで同地で約4年間営業してきた「風林花山新湊店」を10月末で閉店し、たった1週間の準備期間でスタートしたんです。

告知みたいなことは何もせず、店頭に「土曜日ぐらいからやれるように頑張ってます」みたいな張り紙をしてただけだったのに、予想以上の来客数で2時ぐらいで1回閉めてそれからまた仕込みして夕方再開店したという、今となっては笑い話のスタート初日でした。

その1週間ってのは今でも昨日のように思い出せるぐらい濃密。ホントに寝ないで準備してました。

朝の6時ぐらいまで今も使ってるメニューの木札をマジックで書いてたり、当時使ってたメニューブックを作ってたりとかして、3時間ぐらい寝たら店に行って看板の撤去とか店内のレイアウト変更とか、試作して仕込みして試作して仕込みして友達とか業者さんに食べてもらってやり直して写真撮り直してまたメニューブック修正してw

まだブログを書き始めてない頃なんでその時のリアルな日記は残ってないんだけど、正直納得いくものが出来ての開店では無かったのは間違いない。

それからほんとにやりましたね。

毎日のように試作改良の繰り返し。

当時から全く変わってないのは「しおのすけ」ぐらいのもんで、あとは大なり小なり変わってます。

からのすけもにぼのすけも無かったんですからねww

あれから8年だそうです。

なにか面白いネタがないか当時の記事を見てきましたが、ネタだらけですw ついうっかり2011年の1月2月全部読んじゃいました。

当時はホントにヒマでしてね。

ヒマでお客さんが来ないからどうしようかいろんなことやってた中でやり始めたのがこのブログだったりもするんですよw

とにかく知ってほしい。

美味しいラーメンがあるから知ってほしい。だけど広告を出すお金の余裕は無かったの。

だからやれることはなんでもやろうと思った。俺自身のため。従業員や家族のため。

その後、震災があってこのブログが俺の人生に大きな転機をもたらす事となるのです。

ブログ書いてなかったら多分ラーメン屋は夢半ばで廃業してたんじゃないかな…

全国から多くの方々の応援をいただき店を再開したのが2011年の6月17日。

こっちのほうが気持ちの上で鮮明に熱く覚えてる日だったりするんですけどねw

当初は元の場所で再営業することを目標に頑張っていましたがそれも叶わず、「いつかは路面店!」と言ってはみても日々の営業に追われる毎日で早8年。

その日の朝。久しぶりに懐かしい腕組みポーズで写真撮ってもらいましたw

イメージ 1

まだ開店前なのに顔半分下が灰色ですねw

これもまた年輪といえば年輪。死んだ親父も顔の下半分灰色でしたからw


未だに路面店の夢は持っていますが叶わずにいます。

ただ、以前と少し考え方が変わってきて路面店に出ることが最終目標ではないという気持ちになっています。

次の一手は永続的に営業すること。

最近あるお客様から言われた言葉です。



「俺ら客は一週間休み無くのすけが食べられる事よりも週休二日でもいいからずっと長くあのうまいラーメンを作って欲しいって事を望んでる だから、のすけちゃんはもういっぱい頑張ったしちゃんと休んでちゃんと遊んでそんでちゃんとうまいのをこれからも食わしてくれ!」



一番大事なのは場所ではなくて俺が元気で変わらないのすけラーメンを作ること。

そのために必要な手段の選択肢の一つとして路面店があるだけの話であってテナントであろうがなんら気後れする事はないし、なんならリヤカーの屋台だっていいんですよ。

俺が美味しいと思うラーメンを作れるならば。





あれから8年かかりましたが従業員さんには社会保険と厚生年金をかけてあげられるようになりました。

俺にとって、この事はすごく大事なことなんです。

最低限の福利厚生をしてあげたいってずっと。ホントにずっと思ってたんです。

やっとそこに手が届きました。

次は俺の福利厚生ですかねw 

休みたいとは思わない。

ただ、仕事以外でやらなければならない事は毎日たくさんあるのだけど、やりたい事が無い事が悲しい現実。

そしてのすけ8周年。

3年で潰れるラーメン屋が多いと言われる中で8年 有名店での修行経験も無く、しかもデパート5階という立地でw

本当に支えてくれたスタッフや仲間やお客様に感謝の思いしかありません。

10年目までに次の方向性を決めないとな…

いや。今も模索中ではあるんですけどねw




俺はラーメン屋になって12年。
運転手を18年やったからまだ年数でその歴史には敵わない。
だけど中身は違う
俺が明日交通事故で死んだとして「彼はラーメン屋」ってなるだろう。
トラック稼業を否定してるんじゃないよ。あれも俺にとって大事な時間だった。
でも明日もラーメン屋として頑張ろう。
俺の個人的な考え。

「男たるもの何者かになれ」

俺はラーメン屋になりました。ミュージシャンでもレーサーでも男としてこの世に生まれた以上は何者かになりたい。
これからもいろいろ頑張りますので末永くよろしくお願いいたします























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毎度ご来店いただきありがとうございます。

寒くなってきましたね〜もう朝晩はストーブが無いと…(笑)

三春屋催事場では1日から北海道物産展があって「秋の…」ってやつかと思ったら「冬の北海道物産展」だとか。

勝手なイメージですが「秋の…」といえば美味しいものがいっぱいな気がしますけど「冬の…」って言われると雪と氷に閉ざされた感じがするんですけど…






とは言え11月は晩秋ではなく初冬なのでしょうから仕方ない(笑)

もうすぐ雪が降ってきますね…。

私たちは暑ければ暑いと文句を言い寒くなれば寒いと文句を言う勝手な生き物なのですが、そんな事はお構いなしに季節はちゃんと巡って来ます。

氷都八戸って言うぐらいですから冬は寒くて当たり前。来年秋に完成予定の屋内スケートリンク「YSアリーナ」の工事も周辺の道路や歩道も含めて着々と進んでいるみたいですね。

私が毎朝通る歩道も以前よりずっと幅広くなりレンガ敷き風のおしゃれな感じになりました。

今までの長根リンクは今後無くなってしまうのは少し寂しい気はしますけど、天候に左右される事なく国際大会なども開催する事が可能になるというのは素晴らしい事だと思います。

維持費の問題などもいろいろと議論されているようですが八戸がスケートの街として国際的にも主張できる施設なのですから誇らしく思いますね。


そう言う私も小学校の頃はスピードスケート部に所属していました。

冬季間だけの部活動です。

当時は近所の同級生4人ぐらいでグループを作りその親たちが交代で長根リンクまで送り迎えをしていたのですけど、安全に関する事や責任問題まで考えると今では難しい事なのだろうと思います。

早朝から送り迎えしてくれる友達の親にもうちの親にも本当にありがたかったし、きちんと挨拶をする事もこのあたりで学んだ気もします。

送迎グループの同級生の親の中に社長さんがいましてね…


「うちの車と違ってセドリックのリアシートはフカフカだ」


…って言うのも子供ながらに…(笑)

朝ご飯は学校に着いてから食べるのですが家から持っていったおにぎりが冷たいのを通り越して凍ってたりするんです。

今のように電子レンジなどはありませんでしたから、冷たいのは我慢するとして凍るのは避けたいのでおにぎりを梱包用の「プチプチ」に包んで持って行ってた記憶があります。

残念な事に私はスケート自体の成績は大会で勝てるレベルでは無かったので今はいい思い出となっていますが…()





今はどうなんですかね?学校単位でのスケート大会などはあるようですが、今後長根リンクが閉鎖され屋内スケート場になれば貸切使用料や一般開放での滑走料などももちろん高くなるでしょう。

とは言え選手ではない一般市民が気軽に利用できるスケート場ってのはあったほうがいいような気がします。

スキーやスノボをやった事が無い八戸市民はたくさんいると思いますが、スケートはね(笑)

アイスホッケーやフィギュアスケートを子供の頃からやるにはお金もかかりますし親がどう考えるのか?ってのが大きく関係してきますが、普通に滑るだけなら誰でも出来ます。

立派な施設が出来ても逆に一般市民がスケートから離れてしまうのでは本末転倒ですから、今後国際大会などが開催されるようになっても「八戸にはスケート滑れない人は居ない」っていうぐらいの底辺レベルは確保できるような施設運営がなされればいいですね。


小学校の頃はお父さんお母さんと。

中学生や高校生になれば彼女や彼氏と♪

八戸市民みんな長根リンクにそんな思い出はあるんじゃないかな?by店長きむら



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ブログ放置ですみません m(_ _)m もう2週間になりますw

前記事でそろそろかも・・・って書いてた「ウマカラノソレ」なんですけど、今月15日から始まってました・・・

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昨日久しぶりに自分のまかないでお客さんに出すのと同じ本物を大盛りで食べたんですけどね。

自分のまかないってのは試作の試食と違ってメシなんで、商品とはなにかが違う場合が多いのですよ。

例えば白髪ネギの代わりに普通の刻みネギだったりとか、手間がかかる材料は使わない場合が多いの。

極端な話、スープと麺だけって事も多々ある。(←俺の場合ですよ)

ただ、お客様にお出ししているのと同じものを食べてみる事も大事なことです。

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大盛りですw

いやー。美味かった。

久しぶりに本物食べたらやっぱり美味かったわww そんで大盛りは今の俺には多いwww 年だな・・・

今日聞かれたんだけど「いつまでやるんですか?」って。

まだ未定ですが来月いっぱいぐらいかな?

のすけ流台湾ラーメン「ウマカラノソレ」期間中に是非♪

・・・ってか。

なにげにだらだら続けてる「ざる中華」もそろそろ終わろうかと思ってるんですけどね。

「年中やって!」っていうざる中華常連の浜谷さんが食べに来たら終わろうか?w




自宅から徒歩5秒で実家があるわけですけれども、そこに住むおふくろは70を越えてもすこぶる元気でそれはありがたい事。

自分で運転して遊びに出かけ、孫(うちの子供たち)の送り迎えなんかもバリバリやってくれてる。

そんで、そのおふくろは洋裁のプロだったんですよ。業務用のミシンがある仕事部屋もあって今でもちょいちょいバイトみたいな事してますけどね。

だから縫い物に関してはおふくろに頼むのですが、店で使ってる前掛けがかなり擦り切れて穴も空いちゃってたんで今夜補修してもらってたんです。

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昔から「つぎ」って言ってましたけど標準語でどういうのかわかりません。

裏からあて布をしてミシンでギザギザに縫い目を入れて補修。

いや。

店には新しいのも買ってあるんですよ。

あるんだけど、使えるうちは使いたいし、直してくれる人も近くにいるしw

ホントは写真のここだけじゃなくもっともっと各部にツギハギだらけですが、遠目に見ればわかりませんし、そもそもホールに出る事はほとんどありませんからw

そんで、その前掛け補修の作業をしてもらっている間に、数ヶ月前に押し入れに入っているのを見つけたアルバムを開いて見たんです。

どこに行ったか自分でわからなくなってたアルバム3冊。

超懐かしい写真や超恥ずかしい写真がぎっしりでしてw

これは’91って見えるから21ぐらいの時じゃないかな?ズボン短いっすねww

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これは自分の車歴で2回目のE23キャラバン。昭和59年式だったはず。

左奥に写ってる青のE24は多分、現TCSパンプキンズRS社長大山のチョップドルーフ。

バニング系の写真もいっぱいあったんだけど、さらに古い写真は17の時のバイクですね。

もちろん当時は現役の学生でしたから、バイトに明け暮れてやっとバイクを維持してました。

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ホンダのVF400F 右2本出しのマフラーとセンターカウルにセパハンバックステップぐらいだったでしょう。

北山崎にツーリングに行った時のものだと思うのだけれど、人物だけの写真もありましたw

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背景から見るに真夏だったんでしょうね。

右から、当時お世話になってた今は無き「長根オート」の長根くん。そんで俺。そんで今でもつながりのあるみっちこと道合さん。左はじの方は思い出せないごめんなさいw

そんな懐かしい写真を20年ぶりぐらいになるでしょうか?

お金は無いなりに車やバイクに明け暮れていた青春だったんですよね・・・

いやね。

当時のバンド写真もいっぱい出てきたんですけど、それはそれでかなりな「ナルシスト感」があって面白いんですけど、そのうちに・・・w

で。

うちの息子が先日16歳の誕生日だったんですけど、そう考えると俺がその歳の頃にはもう原付免許持っててスクーターに乗ってたんです。

今48になった息子の前掛けにミシンかけてくれている70過ぎたおふくろが今の俺より若い頃。

なにかこう、親に心配かけたな・・・って思いと、逆に免許を取ってバイクに乗る事に一切の反対もしなかった親に感謝の思いというか・・・

それがあって今の自分があるわけですから。

子供らには自分がやりたいと思うことはなんでもやらせたい。

誰でも人生は1回ですからやりたいことがあって挑戦したいのであれば。


ちなみにトラックの写真もありました。

イメージ 7

こちらが初代のすけ号。

・・・ホント。

秋田で日本海に沈む夕日を眺めて八戸に戻って積み込んで翌朝気仙沼で太平洋に登る朝日を眺め、次の日の夜明けは函館に居たり。今なら考えられないぐらい寝ないで仕事してた頃ですw







と。
ネタがないので懐かしい写真でお茶を濁して更新した感は拭えないのですが、この年になって若い頃の写真が残ってるってのはやっぱり嬉しいものです。
紙媒体ではなくデータで記録されるようになってからの写真ってのはケータイ変える度にどこいったかわからなくなっててなかなか残ってなかったり・・・


























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