|
11日、名護のキャンプで入団テストを受けていた岩下修一投手(元オリックス)の入団が決定した。
年俸は700万円、背番号は「69」。 岩下投手は72年生まれの33才、浜松工高から三菱自動車岡崎を経て99年のドラフトでオリックスに入団。 01年7月には急性骨髄性白血病にかかって入院するも、02年には見事に復帰登板を果たした。 05年オフに戦力外通告を受けてオリックスを退団し、今キャンプではテスト生として入団テストを受けていた。 プロ通算は95試合に登板して、3勝0敗0S、防御率4.83と目立った成績は残していないが、左サイドからシュートやスライダーなどの変化球を駆使する技巧派の投手である。 |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2006年02月13日
全1ページ
[1]
|
9日、藤田元司さんが心不全の為、享年74才で都内の病院で死去した。 藤田さんは元巨人の監督でもあり、元エースでもあった。 愛媛・西条北高(現・西条高)から慶応大、日本石油を経て、57年に巨人に入団すると、いきなり17勝を挙げての新人王。 翌58年には29勝を挙げてMVPを獲得すると、59年にも27勝で、最多勝とMVPを獲得した。 現役は実働で8年ほどと短かったものの119勝88敗の成績を残した。 引退後には投手コーチとして川上哲治監督の下でV9を支え、川上監督勇退とともに辞任した後は大洋のコーチに就任。 その後は長嶋茂雄監督の解任に伴って81年に巨人の監督に就任するといきなりの日本一に輝くなどし、通算7年でリーグ優勝4回、日本一2回の記録を残した。 80年のドラフト会議では原辰徳(現・巨人監督)をクジで引き当てるなどし、1次政権時には江川卓、西本聖の2枚看板を作り上げ、2次政権時には斉藤雅樹、槙原寛己、桑田真澄の先発3本柱を育て上げ、投手王国を確固なものとした。 92年末に監督を勇退すると、その後は巨人OB会の会長を務めるなどし、96年には殿堂入り。 昨年末から体調を崩して入院しており、今回の訃報となってしまった。 1度目の監督就任では長嶋監督が、2度目の監督就任時には王貞治監督がチームにそれぞれ問題を残すような形であったが、いずれもそれを解決するとともに「強い巨人」を作り上げた名将だった。 謹んでお悔やみを申し上げます。 後日改めてアップします。 |
全1ページ
[1]



