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15日16時10分、オリックス前監督の仰木彬さん(70)が、呼吸不全の為に亡くなられました。
1935年4月29日、福岡県生まれ。
東筑高時代には4番兼エースで甲子園出場。
1954年からの14年間の現役時代には西鉄ライオンズ黄金時代のメンバーとして活躍。
引退後には西鉄、近鉄のコーチを経て88年に近鉄の監督に就任し、獲得初年度にあの「10.19 川崎劇場」を経験し、翌89年にはリーグ優勝。
94年にオリックスの監督に就くと、95年にリーグ優勝、96年には日本一に輝いた。
04年には殿堂入りし、オフには合併に揺れた近鉄・オリックスが合併した新生オリックスの監督に就任。
今オフには体調不良を理由に監督を退任し、オリックスのシニアディレクターに就任していた。
監督時代には野茂英雄、イチロー、田口壮、長谷川滋利、吉井理人、中村紀洋・・・、メジャーに行った選手だけを挙げていってもそうそうたるメンバーがその教えを受けた。
野茂のトルネード投法、イチローの振り子打法などの個性を決して潰すことなく、登録名にしても、「イチロー」や「パンチ」など、今では多くの球団が採用しているニックネームでの登録の先駆者となった。
その采配は「仰木マジック」と呼ばれ、現役時代の西鉄の監督でもあった三原監督の「三原魔術」の継承者とも言われ、相手によって打線を日替わりでいじったり、対戦途中で投手を交代したりと、相手にとってはやりづらくて仕方のない采配だった。
殿堂入りの祝勝パーティーの際には「オレに関わった奴をみんな呼べ。金は全て出す」と、らしい豪快さを見せ、それを「生前葬」とすると自ら言っていたという。
今季は体調不良をおしての監督就任で、試合中にずっとベンチ裏に下がってしまっていたということもあった。
球団合併に揺れた今年のオリックスの監督に就任できるのは仰木監督しかいなかったと思う。
合併が正式承認される前の04年シーズン終盤はオリックス、近鉄の両球団の選手ももちろん揺れていたし、ファンもまた然りだった。
その心を静め、そしてチームを前に進めることができるのは、両球団での監督経験があり、名将といわれた仰木監督以外には考えられなかった。
「グラウンドで死ねたら本望や」
仰木監督がかねてより言っていた言葉。
それが現実のものとなってしまった。
「あれだけ盛大な生前葬をやったんだから、密葬にしてほしい」との本人の意思を尊重し、葬儀・告別式は家族と近しい人だけの密葬で行われる。
まさに野球一筋、人生を野球に捧げた名指揮官が一人、静かに天国へと旅たった・・・
いくら語っても語り尽くせないほど、僕個人としても仰木監督に対する思い入れがあります。
あの「仰木マジック」をもう見れないのかと思うと、本当に残念で仕方ありません。
誰にも愛され、誰にも慕われ、そして尊敬された偉大な人でした。
あの笑顔をもう見ることができないのかと思うと、寂しい気持ちでいっぱいになります。
体調が思わしくないということはわかってはいましたが、あまりに突然の悲報に、正直今は言葉や文字にはできない気持ちでいっぱいです・・・
野球界にとてもたくさんのかけがえのない宝物を残していただきました。
とにかく、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。そして、これからはゆっくりとお休みください。
現役時代の成績
監督としての成績
所 属 試合 勝 敗 分 勝率 順位
1988 近 鉄 130 74 52 4 .587 2
1989 近 鉄 130 71 54 5 .568 1
1990 近 鉄 130 67 60 3 .528 3
1991 近 鉄 130 77 48 5 .616 2
1992 近 鉄 130 74 50 6 .597 2
1994 オリックス 130 68 59 3 .535 2
1995 オリックス 130 82 47 1 .636 1
1996 オリックス 130 74 50 6 .597 1 日本一
1997 オリックス 135 71 61 3 .538 2
1998 オリックス 135 66 66 3 .500 3
1999 オリックス 135 68 65 2 .511 3
2000 オリックス 135 64 67 4 .489 4
2001 オリックス 140 70 66 4 .515 4
2005 オリックス 136 62 70 4 .470 4
1856 988 815 53 .548
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