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四国88ヶ所結願し、霊山寺にお礼参りにいった。 その足で急ぎ徳島港からフェリ−に乗って和歌山へ、そして高野山奥の院に向かう。 これで満願、お礼参りも済ませた。 一区切りという感じだが、新たなスタ−トと考えていきたい。 奥の院の帰りに金剛峯寺に立ち寄った。 高野山については、旅行記にて・・・ これで四国遍路はとじたい 附記 むすめ1よ 10月から四国別格霊場への遍路を妻とともにスタ−トさせる予定だ。
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四国88ヶ所結願し、霊山寺にお礼参りにいった。 その足で急ぎ徳島港からフェリ−に乗って和歌山へ、そして高野山奥の院に向かう。 これで満願、お礼参りも済ませた。 一区切りという感じだが、新たなスタ−トと考えていきたい。 奥の院の帰りに金剛峯寺に立ち寄った。 高野山については、旅行記にて・・・ これで四国遍路はとじたい 附記 むすめ1よ 10月から四国別格霊場への遍路を妻とともにスタ−トさせる予定だ。
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第88番札所 ◎医王山 大窪寺(おおくぼじ) さぬき市多和兼割 本尊 薬師如来 結願の寺、第88番札所大窪寺は、ふたたび徳島県に近い静かな山あいにある。寺伝では養老元年(717)に行基により開山。その後弘法大師がこの地の胎蔵ヶ峰の岩窟で虚空蔵求聞持法を修し、薬師如来を刻み安置し、唐から持ち帰った三国伝来の錫杖を納めて結願寺と定めたとある。 土産物屋や食堂が並ぶ参道から二天門をくぐり、石段を登って本堂に向かった。 珍しいと思ったのは本堂の後ろに多宝塔が建っていた。本尊の薬師如来も左手に薬壺の代わりにホラ貝を持っているという。本堂の右手には阿弥陀堂、左手に納経所がある。 大師堂は少し離れて建ち、高野山の御影堂によく似ている。 右隣には「宝杖堂」があり、結願した遍路さんたちが奉納したおびただしい数の金剛杖が納められている。その前には「原爆の火」が静かに灯っていた。 大師堂からさらに左に少し下って進むと四国88ヶ所でも最大級と思われる巨大な仁王門がある。 先達さんから「発願の日に撮った写真と結願を迎えた今日の写真を見比べてみてください。きっと顔つきが変わっていますよ」と言われた。 昨年の9月27日に発願発心してスタ−トした遍路であった。1年以内に結願するつもりでいたので予定通り結願出来たことは複雑な気持ちではあるが、ほっとした部分と達成感をおぼえた。 家族や多くの人たちの協力、励ましを持って結願出来たことに感謝したい。 信仰心の薄い2人ではあるが、88ヶ所を廻る間に勤行をおぼえてしまった。 結願したことを報告お礼参りに9月中に霊山寺と高野山に出向こうと思う。 さあ、次の目標を持たねばならない。 四国別格霊場への遍路を10月からスタ−トできたらいいと考えている。 その次は? ん−、西国への遍路が出来たらなと思うのだが・・・ |
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第87番札所 ◎補陀落山 長尾寺(ながおじ) さぬき市長尾西 本尊 聖観世音菩薩 海沿いの志度寺から町中に建つ長尾寺に向かう。志度寺から五剣山、屋島を望む。 長尾寺は静御前が出家して尼になった寺として知られている。縁起では行基が柳の木で聖観音を刻み、安置したのがはじまりだとか、聖徳太子の開創とかいわれている。 山門をくぐると正面に本堂が見え、その右隣に大師堂が並ぶ。本堂左には静御前剃髪塚がある。 本堂 大師堂 境内では催し物も多く開かれ、正月2日の「三味線餅つき」(三味線のリズムに合わせて餅をつくそうだ)、同じく正月7日には「大会陽福奪」(その年の福男を決める)、大鏡餅つき大三宝に載せて運び力を競い合う「力餅運搬競技」などは有名だ。 また、この地は源義経と静御前の悲恋の舞台でもある。 義経が阿波勝浦に上陸して大坂峠を越えて屋島に向かったのだが、その途中にこの寺にも寄っている。一方、静御前は義経と吉野山で別れ、追って長尾寺まで来るも、女人禁制で寺にはいることは許されず、結局出家し、剃髪して尼となったという。 志度寺から約7キロ
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第86番札所 ◎補陀洛山 志度寺(しどじ) さぬき市志度 本尊 11面観世音菩薩 四国88ヶ所で最後の五重塔がある志度寺に来た。推古天皇33年(625)創建というからホントに古刹だ。山門は運慶作と伝えられる金剛力士像が安置され、国の重要文化財になっている。 広い境内にはいると亀堀があり、架かる太鼓橋を渡ったところに本堂と大師堂が縁側続きで建っている。 本堂 大師堂 五重塔 この寺の縁起に「海女の玉取り」の物語が伝わる。 奈良時代に、かの藤原不比等が父の鎌足を追善するために興福寺を建てようとした頃、唐から宝珠を贈られたという。しかし運搬の途中、志度の沖合で竜神に奪われてしまう。不比等は奪い返そうと志度に出かけたときに知り合った海女との間に子(のちの房前)が生まれる。そして、この子を不比等の跡継ぎにするという条件で海女は命を捨てて宝珠を竜神から取り戻した。不比等は志度の海岸に海女の墓を建て堂宇を建てて「死渡道場」と銘名。後に房前は行基とともに訪れ、寺名を「志度寺」と改め、母の菩提を弔ったという。 境内のすぐ横は志度湾が迫っている。そのそばに海女の墓はひっそりと立つ。 さて、全く関係ないことだが、志度寺の前にある寺に平賀源内の墓があった。彼はこの近くに生まれたということだ。 八栗寺から約7キロ
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第85番札所 ◎五剣山 八栗寺(やくりじ) 高松市牟礼町牟礼 本尊 聖観世音菩薩 屋島寺から下山する途中で五剣山がよく見える。この寺は弘法大師によって開かれ、修験道の場として有名で、天狗も住むという幽谷の霊場として知られている。 麓からは歩けば山道を30分ほど、しかしケ−ブルカ−で上がれば4分あまり。当然私はケ−ブルカ−に乗るのだ。ケ−ブルカ−に乗ると、途中にあの「寅さん」のロケ地だったところも見える。 山上駅に降りるとすぐに鳥居があり、参道の途中には土産物屋が並び、しばらくすると本坊、続いて目にも鮮やかな朱塗りの多宝塔が見える。 その左手には大師堂
さらに参道を進み、突き当たりの正面に護摩堂、聖天堂がある。
「八栗の聖天さん」と親しまれて歓喜天が祀られ、縁結び、商売繁盛の霊験あらたかで縁日の16日には参拝者で賑やかだそうだ。
その右側の石段を上がると本堂があり、背景に険しい5剣の峰が見える。とはいえ、江戸時代の地震で東の峰が崩落し、4つの峰となってしまった。 山号の由来は、大師がこの山で求聞持法を修したときに空から5つの剣が降ってきて、蔵王権現が現れ「この山は仏教相応の霊地」とのお告げを受け、この5剣を埋めたことによる。 寺号は、大師が入唐の際、八つの焼き栗を地中に埋めて願をかけ、帰朝して再び訪れるとそこには青々と茂った栗の木が生長していたという。そこで寺名を八栗寺と改めたといわれている。 屋島寺から約7キロ
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