西国33ヶ所観音巡礼

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第六番札所 壺阪寺

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壷阪山 南法華寺 −壺阪寺−
 
真言宗
 
本尊  千手千眼観世音菩薩
 
 
 近鉄吉野線・壷阪山駅から国道169号線を吉野方面に約2キロ進むと壺坂寺案内板がある。そこからさらに2キロ山をかき分けるように登っていくと壺坂山 南法華寺がみえる。
 
 由来を読むと、大宝3年(703)に元興寺の僧であった弁基上人がこの地に庵をつくった。彼は水晶の壺がお気に入りであったが、あるとき壺の中に観世音菩薩を感得し、像を刻み、壺とともに坂の上の庵に置いたという。それゆえに民衆は彼を壺坂上人と呼ぶようになった。
 そのことを聞いた元正天皇が八角殿を建てて壺をおさめ、像を安置し、南法華寺の寺号を与えたとある。
 
本堂横に建つ三重塔 
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本尊
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 大石堂(納骨堂)の前にあるインドの仏教彫刻
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本堂から望むインド渡来の大観音石像(20メ−トル) 
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 早くよりこの観世音菩薩は、眼病を救うといわれ、平安時代の感霊録に眼に関わる記述がみられ、これをもとに明治16年に世話浄瑠璃「壺坂霊験記」がつくられたという。
 簡単に紹介すると
 寺の近くに沢市という目の不自由な人が住んでいた。妻のお里が夜更けになると外出するのをいぶかしく思い、妻のあとをつけていくと夫の目を治そうと観世音に祈願していたことを知る。
沢市は妻に大きな負担をかけていると感じて裏の谷に身を投げたが、妻もあとを追って飛び降りた。ところが不思議なことに二人の命は救われたばかりか、沢市の眼が開いたという。
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 この浄瑠璃が上演されると壺阪寺は全国に知られることとなり、今も眼の不自由な人たちを救済する社会事業として生かされ、境内に「慈母園」がつくられ、各地に養護盲老人ホ−ム、更正施設を開設しているという。
 

第五番札所 葛井寺

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紫雲山 葛井寺
 
真言宗御室派
 
本尊 十一面千手千眼観世音菩薩
 
 
 近鉄のホ−ムグランドだった藤井寺球場の近く、葛井寺(ふじいでら)はある。ここ河内の文化は古く、飛鳥から奈良時代にかけて、当時の百済王族である王氏一族が創建したといわれる。
 寺伝では聖武天皇勅願で725年建立され、紫雲山剛林寺と呼ばれたとある。そして春日の仏師であった稽文会・稽首勳親子に千手千眼観世音菩薩を造らせ安置した。
 その後は在原業平が奥の院を造営したり、大和の住人の藤井安基が再建した。この藤井をとって藤井寺とも呼ばれるようになった。
 国宝の本尊は、唐招提寺、三十三間堂とともに三観音として有名で、実際に千本の手があり、しかも天平時代の乾漆造りとして美術史を学ぶ私にとっても興味深い仏像なのだが、今は毎月18日のみの公開となっており、見られなかった。残念! 
本堂
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出世地蔵菩薩
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槙尾山 施福寺 −槙尾寺−
 
天台宗
 
本尊  千手千眼観世音菩薩
 
 これまで訪れた寺の中で私は一番疲れた。
山を登るにつれて天候は悪くなり、ついに降り始めた。しかし、30分登ったあたりから雨は止んだ。
 山門をくぐるあたりから道幅は狭くなり、雨上がりということも重なり、かなり暗い。周りは杉の大木に覆われて、谷川沿いに急な参道を登った。時折大木が切れたところは明るくなる。でも周りの景色を楽しむどころではない。しんどい!!
 この写真の所が一番なだらかでのんびり出来るところだ。
 
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 20分も登っただろうか、弘法大師剃髪所跡の愛染堂にやっと着いた。20歳の時にここで剃髪したとある。
 
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 しかし、ここからが大変だった。さらに急な石段が遙か続く。
 
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 もうだめ、と思い始めたところで平地となり、簡素な本堂が左手に見えた
 
 
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 かつてこの寺は、一山800坊の大寺院だったが、南北朝の混乱に巻き込まれ、信長の焼き討ちなどで今はわずかに7院が残る。
 
 汗びっしょりの身体に涼しい風が吹き、気持ちの良いひとときだった。が、これを下ると思えば憂鬱になる。修行の足りない私がいる。

第三番札所 粉河寺

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風猛山 粉河寺
 
粉河観音宗
 
本尊 千手千眼観世音菩薩
 
広大な紀ノ川流域に広がる水田地帯を北上していくと、一目でわかる河岸段丘の山沿いにある。
 広い参道を歩くと立派な金剛力士像が安置された大きな仁王門が待つ。
 粉河とは面白い地名で、聞いた話では字の通り川の水が粉のように白いため、と期待はずれ(もっと変わった話が聞かれるかなと)の答え。
 寺域もとても広い。豊臣秀吉が天正年間に焼き払ったが、それまでは五〇〇余りの坊をもつ大伽藍であったといわれる。今でも15000坪の境内の中に童男堂、地蔵堂、太子堂、行者堂、薬師堂、中門、六角堂など20ほどの建物がある。中門の前には国の名勝に指定されている枯山水の石庭もあり、この町には不釣り合い(ホント失礼!)な巨大寺院といえよう。
 
石庭
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中門
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本堂も、間口18間、奥行14間、高さは18間の八棟造りの本堂も凄いの一言。
 
本堂
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 粉河の流れは、透き通った水で実に綺麗であった。
 
 妻は門前の店で桃を買い、持って帰ることもなくすぐに食した。とても安くて甘かったようで「ラッキ−!」な1日となった。
 
 

第二番札所 紀三井寺

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紀三井山 金剛宝寺(護国院)−紀三井寺−
 
救世観音宗
 
本尊 十一面観世音菩薩
 
 目にも鮮やかな朱塗りの楼門を入って、急な石段を231段登ると、右手に滝が見える。
 三井寺の名は字のごとく三つの井戸が由来となっている。滝の元に清浄水、山の中に楊柳水、吉祥水の三つだ。
 では何で紀三井寺か? 言うに及ばずだ。他にも三井寺という名の寺があるので区別できるよう紀州の紀を頭につけてある
 
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 サクラの季節に来てみたいところだ。
ホンに景色の良い場所に建っている。
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「和歌の浦 潮満ちくれば潟を無み 葦辺をさして田鶴鳴き渡る」(山部赤人)−万葉集−
 
 
 
 

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