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こゆび庵・おまち堂のブログ
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困った事に、僕は、親父と一緒に生活していると、
どうしても、ストレスが溜まってしまいます。

基本的に、僕は、親父と全く正反対の性格をしています。

親父は、綺麗好きで、神経質で、心配性ですが、
僕は、乱雑で汚いのが平気で、無頓着で面倒臭がりで、
楽天的な性格で、病的にプラス思考です。

さらに、親父は、人のやる事が気になって気になって、
干渉するのが大好きですが、僕は、人の事なんかどうでも
良くて、干渉されるのが大嫌いです。

いわば、親父と僕は、水と油のような存在で、
どないしても、お互いに混じり合う事ができません。


というか、その全てが、あまりに度を超してしもてる
親父とは、普通の人間では、誰も混じり合う事はできません。

一緒に生活していて、たまたま心の弱かった僕の姉は、
心を病んでしまい、たまたま腸の弱かった僕は、
大腸の難病を患ってしまい、母親は、離婚して、
家で出て行ってしまいました。

前回、僕は「熊本生活で、難病になった。」と書きましたが、
正確には、そうやありません。

そもそもにおいて、その時の僕が、「大阪を出よう。」と
決意したのは、精神的に限界やったからです。

その当時の僕は、1996年に大学を卒業してから、
2001年に、”21世紀突入、特別企画!日本縦断の旅!”
に出るまでの約6年間、ずっと、家業である、
親父の経営する店を手伝っていましたが、
その間に、精神的にズタボロになってしまいました。

「このまま、ここにおったら、あかん!」

と悟った僕は、「21世紀突入!」という
大きな流れに背中を押される形で、思い切って、
家を飛び出しました。

「もう、2度と大阪には戻るまい・・・・・・。」

という決意を胸に、、、、、、


せやけど、結果は、前述の通りです。


せやけど、僕は、仮に熊本に行っていなかったとしても、
遅かれ早かれ、この病気には罹っていたと思っています。

”日本縦断の旅”に出た事に関しては、
一切の後悔はありません。


大阪に強制送還されて、再び、親父と共に
実家で暮らす生活が始まった訳なんですけど、
やはりここでも、僕は苦しみに苦しめられてしまいます。

大腸が炎症を起こしていて、一日に、10回も20回も
トイレに駆け込まざるを得ない状況で、

「食べたら、便所に行かなあかん。
せやけど、食べんと生きて行かれへん。

夜中も、何回も何回も便所に駆け込んで、
睡眠も十分に取られへん。」

そんな、

「食べられへん。せやけど、食べなあかん。

寝られへん。せやけど、寝なあかん。」

という、まさに極限に近い闘病生活を
送っていた僕ですが、そんな弱っていた僕に
対しても、親父は容赦がありませんでした。


以前は、70kg近くまであった体重が
51.3kgまで落ち込み、

「あかん・・・・・このままやったら、
40kg台に突入やな。。。。。。」

そこまで追い詰められてしまった僕は、
背水の陣を敷く思いで、実家を出て、
独り暮らしを始める決意をしました。


「ストレスの原因は、取り除かんとあかん!」


その時の僕を突き動かしていたのは、
ただただ、その思いだけでした。


”親父の存在”というのは、いついかなる時も、
僕の人生においての大きなストレスに違いありませんが、
その時の、もう一つの大きなストレスというのは、
”薬”でした。

大腸の炎症を抑える為には、薬を飲まんとあきませんでしたが、
その時、同時に僕は、薬の服用もやめる決意をしました。


まさに、当時の僕にとっては、
”生きるか死ぬか”の大きな賭けでした。


今の時代は、家を借りるにも、”敷金・礼金ゼロ”
というところがほとんどですが、今から15年以上前の
当時は、敷金30〜40万円というのが当たり前でした。

ここでも、難病を患ってしもて、ロクに仕事も
出来なかった僕は借金に頼らざるを得ませんでした。


ちなみに、この時、僕が実家を出て独り暮らしを
始めるのは、人生において4回目でした。





〜続く〜

ブログを書こうと訪れてみると、

「yahoo!ブログは、2019年12月15日を
もちまして、サービスを終了いたします。」

という文字が目に飛び込んで来ました。


今日は、「借金について」という記事を書こうと
思って、ここへ来たんですけど、急遽、
予定を変更してお送りいたします。(笑)


いやいやいや・・・・・・yahoo!ブログ、終了ですか。。。。。。

普通に、何や、寂しい気持ちですね・・・・・・。


このブログを開設したのは、2014年12月14日ですが、
もう一つの僕のyahoo!ブログを開設したのは、2008年7月8日です。

2008年というのは、僕が親父と縁を切って、
新たな人生を歩み始めた年です。

2007年の末頃に、僕は、親父と縁を切って、

「出て行くんやったら、中川家の遺産相続を
放棄するっちゅう一筆を書いてから出て行けよ!」

という親父の要求に応えて、そのような文書を
差し出して、家を出ました。


「急遽、予定を変更してお送りする」予定でしたが、
ここまで書いてしまうと、やっぱり、「借金」について
書かん訳には行きません。


前回の記事に僕は、

「交通事故に遭うて、借金約450万円を抱えた状態で、
仕事が出来なくなった。」

と書きました。


今、振り返ってみて、正直な感想として、

「よう、そんだけ、借金できたな・・・・・・。」

と思います。(笑)


当時は、200万円ぐらいは借金があるやろうとは
思っていましたが、まさか450万円もあったやなんて、
夢にも思っていませんでした。


まず、最初の借金は、2001年〜2002年に
かけて、熊本県に住んでいた頃に出来ました。

その時も、僕は、親父と揉めて、家を出て、

「車で、日本を縦断しよう!」

と思い立ち、まず最初に九州に向かいました。


話せば長くなりますので、ムチャクチャ端折りますが、
そこで僕は、”潰瘍性大腸炎”という難病を患ってしまい、
大阪への強制送還を余儀なくされてしまいます。

”潰瘍性大腸炎”の診断が下されたのは、
忘れもしない、2002年8月27日、
僕の29回目の誕生日でした。


それまでの28年間、たったの1度すら大阪を出て
生活した事のない僕が、いきなり、右も左も分からない
九州は熊本県に移住して、大阪とは比べものにならない
ぐらいに安い時給でアルバイト生活を始めたんですから、
借金が出来るのも、病気になるのも、当然と言えば、
当然でした。


大阪に強制送還された僕は、失意のどん底でした。

「もう、2度と大阪には戻るまい。」

と決意して家を出た僕でしたが、たったの1年で、
大阪に戻らざるを得ませんでした。

右も左も分からない熊本県で、たった1人で
難病と闘うのは、正直、無理でした・・・・・・・。


せやけど、様々な失意を胸に戻った大阪でも、
やっぱり僕は、親父と揉めて、再度、独り暮らしを
始める決意をしました。

40日以上に及ぶ入院生活の間に、色々と勉強を重ねて、
僕が辿り着いた結論は、

「この難病の原因は、ストレスや!
いや、この病気だけやない。全ての病気の原因は、ストレスや!」

というものでした。




〜続く〜

第11回 兵庫県民に

随分と久しぶりですが、ふと思い立って、
この書庫を更新してみる事にしました。


何じゃかんじゃとバタバタとしていて、
報告が、大変、遅くなってしまいましたが、
実は、僕、昨年の11月に、大阪府豊中市の
実家を後にして、兵庫県川西市民になりました。

それに伴い、事務所も兵庫県川辺郡猪名川町に移転しました。

僕は、今年の8月で46歳になりますが、
恐らくは、余程の事がない限り、僕は、残りの
人生を、兵庫県民として生きて行く事になると思います。


新しい事務所が、「何で、猪名川町なん?」かというと、
そこには、2004年以来、約15年間、ずっと僕が
所有し続けている土地があるからなんです。

その土地は、僕の宝物であり、僕の魂と思い出が、
ギッシリと詰まっている、誰にも奪われる事のない、
唯一の僕の”帰る場所”なんです。


振り返ると僕は、約10年前の2008年
10月1日から、2009年1月11日までの
約3ヶ月間、電気もガスも水道もない、そこの
山小屋で、寒さに震えながら寝泊まりしていました。

僕の人生における、いわゆる(?)、これが、
「ホームレス35歳」と呼ばれる時期です。

この時期は、僕が1月11日に”運命の交通事故”に
遭うてしもた事によって、終わりを迎えた訳なんですけど、
その日を境に、僕の人生は、急転直下で、どん底にまで、
転げ落ちてしまいました。

話せば長ごうなってしまいますので、端折って書きますけど、
約450万円の借金を抱えた状態で、右手の小指がちぎれかけて、
仕事が出来なくなってしまいました。

おまけに、相手の保険会社が、「前方不注意でバイクを
運転していた無職の人間に支払う金は、一銭もない!」
などと言い出して、支払いを拒否しましたので、
損害賠償を求める裁判を起こして、それが終結するまでに、
2年以上の歳月を要しました。

その間、僕、ほんまに地獄を見ました・・・・・・。


あれから、ちょうど10年・・・・・不思議な
巡り合わせを感じざるを得ませんが、再び、僕は、
山小屋に戻ってくる事になりました。


「事務所の移転て、何があったんやろう?」

僕の事を知っている人達の多くは、
きっと、そないに思てくれてはる事やろうと思います。


ムチャクチャ掻い摘んで話すと、

「もし、90歳まで生きれるんやとしたら、
45歳っちゅうのは、人生の半分や。

今までの俺の人生は、中川家に翻弄され続けてきた。
今まで、俺は、中川家の為に生きてきた。

せやけど、俺が中川家の為に出来る事は、
もう、何もあれへん。

親父が家のローンを完済する手助けもしたった。
病を抱えてる姉ちゃんの代わりに、いろいろ
面倒を看続けて来た2人の甥も社会人になった。

ほんでもって、そのうちの1人の甥が、
2代目として、親父の仕事を継ぐ事になった。

もはや、中川家における俺の役目は終わった。

残り半分の人生は、自分の為に生きよう。」

ちゅう事です。


そんなこんなで、僕は、今後の人生を
生きて行く場所として、大好きな猪名川町を
選んだ訳なんです。

ほんまは、住む家も猪名川町が良かったんですけど、
猪名川町では、なかなか、ええ物件を見つける事が
できませんで、仕方なしに、猪名川町の土地から
約6km離れた川西市にアパートを借りて、今は、
毎日、原付バイクで通勤しています。

アパートには、400ccのバイクを置く
スペースがありませんで、新たに、原付バイクを
購入せざるを得ませんでした。


仕事をリタイヤしたら、毎日、近くの温泉に
入りに行きながら、完全に山小屋生活を
送るのも悪くないと考えています。

今は、仕事がありますので、風呂がないのは、
ちょっと、しんどいです・・・・・・。


お陰様で、電気は昨年11月に通りましたが、
水道は、今後も、きっと無理やと思います。

ガスはなくても、カセットコンロがあれば大丈夫ですし、
洗濯もコインランドリーで出来ん事ありません。


そんな、”夢の生活”を頭の片隅に思い描きながら、
毎日、楽しく兵庫県民している今日この頃の僕です。

部屋:

イメージ 1


勝手に評価:
(それぞれの評価は5点満点)

接客  :2
部屋  :1
食事  :3
風呂  :3
清潔さ :3
快適さ :1
好み度 :4
お勧め度:2
再訪問度:1

総合得点:20/45


勝手に一言:

神奈川県の湯河原温泉にある宿です。

イメージ 2

大きな建物で、大人数で利用できる広々とした宿です。

値段もリーズナブルで、僕が利用したプランは、
90分間の飲み食べ放題付きで、10000円もしませんでした。

せやけど、困った事に、僕は、宿への到着が遅れてしまい、
たったの25分しか食事の時間が取れませんでした。

食事開始時間は、1部と2部で厳格に決められており、
一切、融通が利きませんでした。終了の時間が来たら、
その時点で終わりです。

駅から宿までは、歩いて30分近くもかかり、
大きな荷物を持っていた僕は泣きそうになりました。

送迎のバスもありますが、遅れて到着した僕は、
利用する事ができませんでした。

せやけど、到着が遅れてしもたのは、完全に僕の落ち度ですので、
その点は、宿には責任はありません。

バイキングの料理も、全て美味しかったです。
ビールも何杯かは飲めました。90分利用できていたら、
食事に関しては、最高やったと思います。

ただ、開始時刻に関しては、もう少し
融通を利かせてくれても、ええんやないかと思います。


なぜ、この日の僕が、宿への到着が遅れてしもたのかというと・・・・・

その日、僕は東京で仕事をしていました。
ほんでもって、仕事が終わった後、ホッとして、
ついつい居酒屋に立ち寄ってしまいました。

イメージ 3

すぐに、宿に向かって移動を開始していたら、
普通に、間に合っていたと思います。

せやけど、仕事が終わったという解放感と、
東京にやって来たという高揚感とで、思わず、
居酒屋に立ち寄って、15時頃に、昼ごはんとして、
大盛りの海鮮丼を食べてしまいました・・・・・。

イメージ 4


せやから、宿の食事に関しては、全て、自業自得です。。。。。。


せやけどです!せやけどです!

僕が、この宿に対して、厳しい評価を下すのは、
食事に関してではなく、部屋の冷房が効けへんかったからです!

部屋がムチャクチャ暑くて、とてもやありませんが、
寝れるような状態ではありませんでした。

僕はクーラーを効かそうと、エアコンのリモコンを
操作したんですけど、全然、温度が下がりませんでした。

あまりの暑さに、とうとう、僕は窓を開けて寝る事に
したんですけど、ほな、この部屋には、網戸がありません
でしたので、蚊に喰われること、喰われること!

実に、10ヶ所以上も蚊に喰われてしまい、
全身の至るところが、痒いのなんのって、そら、もう大騒ぎですわ!

溜まりかねた僕は、真夜中の3時頃にフロントに
電話を入れて、室温を下げてくれるにお願いしたんですけど、
「一括コントロール」とか何とかで、この時期は、
暖房しか効かないとの事でした。

「蚊取り線香はないんですか?」

「ありません。」

「扇風機はありますか?」

「あります。」

との事で、持って来ていただきましたが、
全身が痒くて痒くて、睡眠どころやありませんがな!


という訳で、総合的に、あまりに不愉快やったために、
テンションが下がりに下がってしもた結果、この宿に
関しては、写真がたったの1枚しかありません。

「室温は、一括管理!」というのは、いかにも、
関東らしい発想やとは思いましたが、状況にかかわらず、
全て一括管理というのは、どうなんやろうと思いました。
夏は冷房、秋は暖房、ってそんな簡単なもんやないと思いますが・・・・・。

もう、2度と行く事はありませんが、
飲み食べ放題で、この料金は、素晴らしいと思います。

空調以外に関しては、施設も悪くないと思います。
ただ、外国人労働者が多くて、言葉が通じにくいかも知れません。

空調に関して、間違いのない真夏や真冬に限って言えば、
ムチャクチャ、僕好みのええ宿やと思います。

(訪問日:2017年11月12日)


あなたの街の道具屋さん「誠実一番!おまち堂」
外観:

イメージ 1


部屋:

イメージ 2

イメージ 3

廊下の窓から:

イメージ 4

食事:

(晩)

イメージ 5

(朝)

イメージ 6


勝手に評価:
(それぞれの評価は5点満点)

接客  :3
部屋  :3
食事  :3
風呂  :3
清潔さ :4
快適さ :3
好み度 :2
お勧め度:2
再訪問度:2

総合得点:25/45


勝手に一言:

基本的には、船員保険の保養所のようです。
せやけど、誰でも利用できるみたいです。

それ程悪い宿ではありませんが、もう一度行きたいとは思いません。
僕の中では、評価は”並みの下”です。

僕が風呂に入って頭を洗っている時に、2〜3人の人達が
入って来て、湯船に浸かりながら、何やら会話を始めました。

頭を洗いながら、僕は思いました。

「うおぉ〜〜〜!静岡の現地人の言葉、全然、分からんっっ!!!」

洗髪を終えて、頭を上げて、鏡越しに確認してみると、
湯船に浸かっていたのは、東南アジア系の3人の黒人さん達でした・・・・・。

「そら、何言うてるか、分からんわ。。。。。」


風呂から上がった僕が、更衣室で体を拭いていると、
外人さんのうちの1人が風呂から上がって来て、
何やら、キョロキョロと辺りを探し始めました。

そして、しばらくして、僕に向かって、日本語で言いました。

「それ、どこにあった?」

外人さんは、バスタオルを持ってはりませんでした。

「部屋にあったよ。イン ザ ルーム!」

「オォ〜〜〜〜〜〜ッッッ!!!!」

彼は、地団太を踏みながら、真剣に悔しがっていました。
ちょっと、面白かったです。(笑)

もう1つ持ってたら貸してあげてもよかったんですけど、
僕が体を拭いた後の濡れたやつを貸してあげるのも
どうかと思いましたので、結局、何もしてあげられませんでした。

ここの宿は、「温泉の入浴利用だけでもOK!」の看板を
玄関に掲げていましたので、それやったら、こういった
観光客の為に、バスタオルは用意しておいてあげるべきやと思います。

その日、浴場以外では、彼らの姿を一切、見ませんでしたので、
きっと彼らは、温泉のみの利用客やったんやと思います。


海の近くの宿という事で、新鮮な海の幸満載の食事を
期待していましたが、ただ、造りがあっただけで、
いたって普通の、どこでも食べられそうな食事でした。

造りの鮮度も今一つやったような気がします。

イメージ 7

海には近いですが、部屋からは海は見えず、
宿自体は、海からちょっと離れた街中にあるような感じです。


(宿泊日:2017年11月11日)


あなたの街の道具屋さん「誠実一番!おまち堂」

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