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Yasumin side
みんなみんな いい日になぁれ

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手を合わせて


阪神淡路大震災から、今日で21年も経つのね。
実感としては、そんなに時間が経ってるとは思えない。

あの日の朝は、ニュースを見て全身が震えたわ。
倒壊した大規模建造物、もくもくと上がる黒煙の数々、
瓦礫と化した街中で泣き叫ぶ人々。
これが日本の中で起きているなんて、衝撃だった。

同時に、通信網がマヒしている中
隣国が攻めてこないかとも心配になった。
当時、世間を賑わしていた宗教団体が何か始めないかとも心配だった。
これは数か月後に当たることになっちゃったけど。

あの日の衝撃は、遠くの地方に住む私でさえ未だに心に刻まれている。

犠牲となった方々に、鎮魂の祈りを…。


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1月17日って、震災が起こった日でもあるけど、忘れられないもう一つのこと。
湾岸戦争の勃発日でもある。
この日に多国籍軍がイラク侵略を始めた。
ニュースで、暗い街の空に飛び交うミサイルの爆撃を見て
まだ赤ちゃんだったこけしを抱いて震えたわ。
たまたま母の誕生日だったので覚えているんだけど。



そう、今日は亡き母の誕生日でもある。
「私の誕生日は呪われてる」
大災害と大事件で、母はこう言ってた。

それまでは
「私は百恵ちゃんと同じ誕生日よ♪」と自慢げに言ってたんだけどなぁ。

これまでにも母との確執を記してきたけど、
誕生日には花を買って、プレゼントも贈っていた。

そのたびに
「こんな年になっておめでたくはないけど、ありがとう。
でも、こんなことしてくれなくていいのに」
と母は毎度すまなそうに言っていた。

何もしなかったら、それこそ母の逆鱗に触れることは確かで。
私は祝う気持ちより、鬼に供物を捧げる気持ちで行っていたのが本心…。

一家で、それぞれにプレゼントを抱えて実家へ赴くと
座布団やお茶をあわただしく出しながら
「何分、狭いもんで…」と必ず付け加えて言ってた母。
生きていたら、79歳になる。



12歳で母親を亡くし、その後の人生と言えば
価値観の全く違う父と結婚し、父親兄弟にたかられる生活。
働き者の母だったけど、働けど働けど…。

また、周囲の誰彼となく喧嘩をした。
おかげで度々引っ越しを余儀なくされ、私は何度も転校させられた。
「このたびお父様の仕事の都合で、ヤスミンさんは転校することになりました」と
担任の口からクラスメイトに告げられるたび
私は下を向いて「それ…違うし」と恥ずかしく思ってた。


見栄張りで、お金遣いが荒くて
大きな笑い声、止まらないおしゃべり。
遊び歩くのが大好きで、私はいつも父に連れられて母を探したっけ。
掃除魔だったので、いつも家の中はきれいだった。



母の口癖のひとつに
「寝るより楽はなかりけり」という言葉もあった。
いつも布団に入る前に言ってた言葉。
不眠症で、ただでさえ眠りが浅かったのに
夜中に何度も父の寝言に起こされていた。
夜中に起きてる母の形相は、夜叉にも似ていたよ。


77年の人生…どうだったんだろ?


今日はいつもより艶やかな花と御馳走を供えないとね。


あー、今日はカレーだった(笑)。
これで我慢してくれるかい?


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よき眠りを…


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