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命日


母が亡くなって丸5年。


昨日は母が息を引き取った病院の横を通った。
建物を見ると、まだ胸が疼く。

この時期に病院のそばに行く用ができるなんて、
あの世で母が「忘れるな」と言ってるのだろうか。

忘れるわけない。朝晩ちゃんと話してるんだから。
あ、そういうことではないか。
花のひとつも供えろと言うことか。
正月にも上げたけど、正月用の花じゃなく
もっとかわいらしいものを上げろと言ってるんだね。



亡くなる直前の正月。
「今年はみんなに会いたくないから誰も来ないように」
そう母からそっけなく暗い声の電話があった。


母は変人。
気分一つで人を遠ざけ、気分一つですり寄ってくる。
何十年と続いてること。
また恨めしい母が出たと思った。

機嫌の悪い時の母は最悪。
暴言、呪いの言葉、通報する、告訴すると喚き散らす。
在りもしない妄想に憑りつかれて、それが真実だと
いつまでも恨み続けてた。

娘たちも心配してはいたけれど、こういうことは慣れっこ。
触らぬ神に祟りなし。
機嫌が落ち着くまで顔を見に行くのはやめよう。
肝がんを患ってた母。
心配ではあったけど、来るなと言われて行くわけにはいかない。
様子見しようと娘たちと話し合った。


七草がゆの日の晩、真夜中に母から電話が入った。
眠剤にでも酔っているかのようなろれつの回らない口調。
「あんたの猫、お母さんにちょうだい…」

その頃、うちにはイヴとみーちゃんという♂猫がいた。
母がちょうだいと言ってたのは、みーちゃん。
母は猫嫌い。
なのに、みーちゃんがあまりにも人懐こい子だったから、
すごく気に入ってた。

でも、みーちゃんは病に侵されていて介護が必要。

「とても、お母さんには面倒看れないと思う。
みーちゃんは諦めて。
猫が飼いたかったら、見つけてきてあげるよ」
「みーちゃんがいい…」
「みーちゃんが元気なら譲るけど、もう永くないと思うから
悪いけど、それは無理だよ」
「どうしてもだめね?…」
「ごめんね」

電話を切った後も、眠れなかった。
また不眠に陥ってるのか、何か妄想を見てるのか。

夜が明けて、実家へ電話を入れた。
父は
「お母さん、おかしいっちゃんね。何日も動けんようになっとる」
それを聞いて、実家へ走った。


母の部屋に入ると、母は布団の脇でゴミ箱に体を預けて座っている。
真冬なのに、下半身には何も履いておらずバスタオルを
巻いていた。
「もうトイレにも行けんようになっとる」
父は母が汚したものを洗っていた。
座ってはいるものの、尋常ではない。
目は虚ろだし、会話もままならない。

「うちにいたくない。どっか連れてってぇ」
うわ言のように繰り返すだけ。
汚れた体を拭いて、紙おむつとズボンを履かせ救急車を呼んだ。

「ここには居たくない…」
「わかってるよ。病院に行くからね」
救急車が到着するまで、その言葉を何度繰り返しただろう。

救急隊員が上がってきて、状態を聞く。
緊急を要するような状態ではないのに、どこが悪いのかと
不機嫌な顔をされた。
母は立つことすらできなかった。
2階から年老いた父と降ろすこともできない。
何より、意識が朦朧としているではないか。

隊員はタクシー代わりに呼ばれたと思ったのだろう。
とにかく病院へ運んでほしいと言う私に対して
酷く冷たい態度だった。

かかりつけだった近くの病院へ搬送。
そこでも医者は
「バイタルは安定しているし、受け答えもできる。
一応点滴だけしておきましょうか」

そんなはずはないのに。

2時間の点滴後、帰宅していいと言われた。
ちょうど休みで連絡が付いた元夫に来てもらい
立てない母を車いすに乗せ、車まで運んだ。

「お母さん、私の家に連れて行くね」
母は涙を流しながら、頷くだけ。
駐車場から家まで、元夫が母をおぶってくれた。
「ごめんねぇ、〇〇くん」
「いえ、大丈夫ですよ、お母さん」
「お母さんって言ってくれると?ごめんねぇ」

布団を敷いたが、母はヒーターの前に寝ころんで動かない。
「寒いからここに居させて。ここがいい」
痛みがあったのだろう。動かそうとすると顔をしかめて唸る。

「ごめんねぇ。迷惑かけてごめんねぇ…」
「何を言うのよ。迷惑なんかじゃないよ。もうこのまま
ずっとうちに居ようね」
「ここにずっと居ていいの?」
「うん。帰りたくないならずっとここでいいじゃない」
「ごめんねぇ。ごめんねぇ」

その晩は夜通し起きていて、うとうとするだけの母の体を
擦り続けた。
うめき声をあげるか、「ごめんね」と「ありがとう」を
繰り返す。

おむつを替えると「ごめんね」
おかゆを口に運ぶと「ありがとう」
一言ずつ発するのも辛そうだった。

「こんなに苦しいなら、死んだ方がましやね…」
「痛むの?」
「もう、殺してぇー」
そう言っては泣く。


二日目の朝、母の弟叔父が来ると言うので来てもらった。
ちょうどその日は私の通院日だというと留守番をしていて
くれると言う。
その言葉に甘えて、私は片道1時間半かかる病院へ。
診察待ちをしていた時に携帯に着信が入った。
母の手術をした大きな病院の担当医から。

「今、お母さんが救急で運ばれてきましたが、良くないです。
すぐに来れますか?」

診察を取りやめ、すぐさま病院へ向かった。
途中、娘たちに連絡を取りながら。

病院に着くと、父と弟、娘たちが揃っていた。
母の姉伯母が到着すると、全員でICUへ。

母は人工呼吸器に繋がれていた。
機械が空気を送り込むたびに胸が大きく反り返る。
見ていられなかった。
もう母ではない、人形のように見えたから。

父が母の名前を呼ぶ。体を揺する。
反応はない。
定期的に反り返る母の体を見ながら
「なんで、通院なんかしちゃったんだろう」
「なんで、叔父に預けたりしたんだろう」
「なんで、もっと早く引き取らなかったんだろう」
そんなこと思いがぐるぐる頭を回る。


夜8時過ぎ。
母は逝ってしまった。



母の命日になると思い出す。

最初に搬送した時の、救急隊員の悪態。
かかりつけ病院の対応。
毎年思い出す度頭に血が上る。
あそこで入院させていてくれたら、母は激痛の中で
死なずに済んだだろうにと。

でも、もう終わったことだ。
消化していかないと。


うちにいた二日間の
数えきれない「ごめんね」「ありがとう」の言葉。

あれだけ不仲だったのに。
謝るのは私の方だったのに。
産んでくれてありがとうって言えないままでごめんね。

毎朝夕、私も母に向かって、「ごめんね」「ありがとう」を
言い続けてる。
次に生まれ変わった時は、仲の良い母娘になりたい。


みーちゃんはその春に亡くなった。
多分、母が連れて行ったのだろう。
母は父とも不仲だったけど、みーちゃんが二人の間を
きっと取り持ってくれていると思う。
だから、大丈夫ね。寂しくないね。


今日は、かわいいお花買ってこなくちゃね。





イメージ 1

みーちゃん
ばーちゃんのおもり たのんだよ





此岸より


昨日の関東地方は寒かったとか。
ニュース映像に映る人たちはみな口を揃えて
「長袖着てくるべきだった」と言ってた。
それを見ていた私は首にタオルを巻き、額から汗を
流していたわ。
こちらの気温は30℃。おまけに湿度が高くて
体感温度は30℃以上に思えた。

それなのに、今夜の夕食はおでんだったよ。
わらしのリクエストで作ったのだが、本人も後悔。
ふたりして頭にタオルを巻いて、無言で食したわ。


暑さ寒さも彼岸まで…のお彼岸に入った。
お墓のあるご家庭はお墓参りに行くのだろう。
お墓掃除、お参り、ご苦労様です。

うちの父方、先祖代々の墓は遠く四国の山の中。
子供時分にに一度だけ連れてってもらったことがある。
藪の奥の奥ということで、私と弟は車で待たされ
両親だけが参った。
だから場所も定かでないし、墓自体見たことがない。
墓じまいしようにもしようがないのだ。
ご先祖様、怒ってないかな…。


珍しく夢に母が出てきた。
夢の内容は覚えていないけど、元気そうだった。
極楽浄土へ行って、煩悩から少しは解放されただろうか。
煩悩だらけの人だったから、身軽になって楽になってくれているといいけど。

彼岸は数々の煩悩に打ち勝ち、悟りの境地に達することができるように、仏道の修行を積む期間らしい。
まだ修行中の身なのかもしれない。

ということは「がんばれー」と此岸から応援しないとだろうか。
それだったら全力で応援する。
横断幕用意したほうがいいのか。
スティックバルーンで「日本ちゃちゃちゃ!」で気合入れるとか。
ブブゼラ使っていいのかな。え、だめ?
あ、静かにね(笑)。
おしゃべりな母のこと、修行の場でも仏様を片っ端から捕まえて
大声で話しかけたりしてないといいけれど。

彼岸に立つ母が何か叫んでる…。
供え物、もっとしろって。
煩悩、落ちてないではないか。
とりあえず、今日のところはおでんでいいかな。
だめか(笑)。




イメージ 1

煩悩も 生前断捨離させておくべきでしたな





夜桜の記憶


娘たちが「花見!花見!」と煩いので、先週行ってきた。
花見がしたいと騒ぐなんて、娘たちも大人になったなぁ。

その時はまだ五分咲きというところ。
時折突風が吹く中、もう一歩の桜の下でお弁当を食べて
満足する娘たち。
大人の中の大人の私としては、アルコール無しの花見なんて
今一つ盛り上がりに欠けるわ…。

今年の桜は開花が遅く、咲いてからも気温が低めだったので
例年になく長持ちした。
満開を迎えようとする頃から雨が続き、一番いい頃の桜を
じっくりとみることはできなかった。

雨上がりの翌日、見に行ったらもう葉が。
多くのブロガーさんたちが桜の写真をアップしているので
桜の画像はもうお腹いっぱいかもしれないけど、載せちゃう。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3



桜は好きなんだけど、夜桜は怖い。

イメージ 4


これはトラウマ。

C型肝炎を発症し、インターフェロン治療をしていた母が
意識障害になったことは過去記事に書いている。


幻覚幻聴で狂ったようになった母は
何かに怯え、真夜中に家から逃げ出すことが度々あった。
「殺される!」と喚き、悲鳴をあげる。

ちょうど桜の時期。
白いガウンをはためかせて、闇の中を裸足で走る母。
街灯に照らされた満開の桜が
ひらひらと花びらを舞い散らす。
その下を駆け抜けていく母は亡者のようだった。

その意識障害は2か月近い入院生活で消えたけれど
毎年桜の時期を迎えるたび、母は狂人に変化した。
「私には超能力があるから、あんたたちの悪だくみは
全部お見通し!」
「あんたたちに殺される前に殺してやる」
妄想の虜となって、私たち家族を恨み憎しむ。

脅迫、恐怖、苦痛、疲労、抑圧…
春が来るたび、母の妄想と戦わなくてはならなかった。


母の死後、ようやくその春の呪縛から解放され
恐怖の想い出もだんだんに薄らいできている。


それでもまだ、夜桜を見ると
その下を母が駆け抜けていくようで、鳥肌が立つ。
夜桜がきれいと見れるその日がきたら、
それは母の記憶から解き放たれた時だと思う。




イメージ 5

その狂人の血を引いてる不安はあるわけで…





手を合わせて


阪神淡路大震災から、今日で21年も経つのね。
実感としては、そんなに時間が経ってるとは思えない。

あの日の朝は、ニュースを見て全身が震えたわ。
倒壊した大規模建造物、もくもくと上がる黒煙の数々、
瓦礫と化した街中で泣き叫ぶ人々。
これが日本の中で起きているなんて、衝撃だった。

同時に、通信網がマヒしている中
隣国が攻めてこないかとも心配になった。
当時、世間を賑わしていた宗教団体が何か始めないかとも心配だった。
これは数か月後に当たることになっちゃったけど。

あの日の衝撃は、遠くの地方に住む私でさえ未だに心に刻まれている。

犠牲となった方々に、鎮魂の祈りを…。


イメージ 1




1月17日って、震災が起こった日でもあるけど、忘れられないもう一つのこと。
湾岸戦争の勃発日でもある。
この日に多国籍軍がイラク侵略を始めた。
ニュースで、暗い街の空に飛び交うミサイルの爆撃を見て
まだ赤ちゃんだったこけしを抱いて震えたわ。
たまたま母の誕生日だったので覚えているんだけど。



そう、今日は亡き母の誕生日でもある。
「私の誕生日は呪われてる」
大災害と大事件で、母はこう言ってた。

それまでは
「私は百恵ちゃんと同じ誕生日よ♪」と自慢げに言ってたんだけどなぁ。

これまでにも母との確執を記してきたけど、
誕生日には花を買って、プレゼントも贈っていた。

そのたびに
「こんな年になっておめでたくはないけど、ありがとう。
でも、こんなことしてくれなくていいのに」
と母は毎度すまなそうに言っていた。

何もしなかったら、それこそ母の逆鱗に触れることは確かで。
私は祝う気持ちより、鬼に供物を捧げる気持ちで行っていたのが本心…。

一家で、それぞれにプレゼントを抱えて実家へ赴くと
座布団やお茶をあわただしく出しながら
「何分、狭いもんで…」と必ず付け加えて言ってた母。
生きていたら、79歳になる。



12歳で母親を亡くし、その後の人生と言えば
価値観の全く違う父と結婚し、父親兄弟にたかられる生活。
働き者の母だったけど、働けど働けど…。

また、周囲の誰彼となく喧嘩をした。
おかげで度々引っ越しを余儀なくされ、私は何度も転校させられた。
「このたびお父様の仕事の都合で、ヤスミンさんは転校することになりました」と
担任の口からクラスメイトに告げられるたび
私は下を向いて「それ…違うし」と恥ずかしく思ってた。


見栄張りで、お金遣いが荒くて
大きな笑い声、止まらないおしゃべり。
遊び歩くのが大好きで、私はいつも父に連れられて母を探したっけ。
掃除魔だったので、いつも家の中はきれいだった。



母の口癖のひとつに
「寝るより楽はなかりけり」という言葉もあった。
いつも布団に入る前に言ってた言葉。
不眠症で、ただでさえ眠りが浅かったのに
夜中に何度も父の寝言に起こされていた。
夜中に起きてる母の形相は、夜叉にも似ていたよ。


77年の人生…どうだったんだろ?


今日はいつもより艶やかな花と御馳走を供えないとね。


あー、今日はカレーだった(笑)。
これで我慢してくれるかい?


イメージ 2

よき眠りを…


記憶


冬らしい寒さが舞い戻ってきたね。
猫たちは、カーペットとホットカーペットの間に潜り込んで寝てる。

イメージ 1


イメージ 2

イヴの手術痕は随分きれいになってきたよ。
毛剃りの痕は芝生状態。まだまだ寒そう。



私、毎日の予定と特記すべきことはスマホのカレンダーアプリに記録してる。
ここ数日、去年の分を一気にノートに書き写したわ。
普段あまりペンを持たないものだから、一年分を書いたら指が攣った…。

ペンを持ったら、漢字をけっこう忘れていることに気づかされる。
パソコンとスマホの漢字変換に慣れきってしまって、漢字の記憶が薄れていってるよ。
すらすら書けるのは名前と住所くらいかも(笑)。
度忘れと自分に言い訳できるのは今くらいかも。
読めるけど書けない…。あぁ、恥ずかしい。
これからは意識して文字を書かないと、完全にボケてしまうかもしれないわー。




今日は母の三回忌。
家族だけで集まって、ささやかな法要をする。

亡くなって丸二年。
母が生きていた時より、この二年の方がよく語りかけてる気がする。
不思議なもので、相手が亡くなってしまうと
それまでの悪しき想い出も確執も消えてしまう。
私の中にいる母は勝気でかわいらしい女性だけの母になっている。
鬼の形相で向かってきた顔はすっかり忘れている。

生きていた頃、にこうやって穏やかに話ができたらどんなによかっただろう。
今はそう思うけれど、あの頃は私が何度も折れた。
けれど、結局は毎度毎度仲たがいする羽目になった。
やっぱり生きているうちは、無理だったんだろうなと自分を庇う。


もし、輪廻転生があるとしたら
私はあの両親の下には生まれたくないと思っている。
両親も同じ気持ちかもしれない。

仲のいい親子であったなら
私たちの人生はかなり変わっていただろうね。
それが残念だと思う気持ち、
こういう家族だったから今こんなに語り掛ける気持ちになれる。
両方の思いが私の中にある。

「仲のいい母娘が買い物をしていると羨ましくてたまらない」
何度も聞いた言葉だ。
同じことを私も思っていた。
同じことを思いながら、最後までそうならなかった。

意識のあった最期に、私の手を放さなかった母。
どんな気持ちを持って旅立ったのだろう?
「今までのこと、ごめんね」「ありがとう」を繰り返し言ってた時
何を思い出して言ってたのだろう?


ずるいよ


僅かないいことだけを私の記憶に残して
さっさと逝ってしまうなんて。


今日は、あちらでの二度目の誕生日。
あちらでは心穏やかに幸せに過ごしているといいな。


もしも、次にまた母娘として再会してしまったら
その時はこの世でできなかった仲のいい母娘になろう。

一緒に買い物に行こうね。

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