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全力で鬼ごっこ

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書いていて、まだ想い出になりきってないことがわかった。
胸がちくちく、頭がズキズキ。
怒りに任せてタイピングすると高速になる。
そうなると母を責める言葉ばかり並ぶので、今はやめておこう。
なんだかフェアじゃない気がする。
どのような介護をしたか、を書いておきたい。

26年前、ひどく疲れやすくなった母が内科を受診した。
検査結果は、C型肝炎。
何の手も施さなければ、やがては肝硬変になり
最終的には肝がんに移行して亡くなるということ。
当時の治療としては、インターフェロンしかなかった。
インターフェロン治療をしたとしても、
2割3割の患者にしか有効でない。
余命、おおよそ25年であろうとの医師の説明だったらしい。

母は余命1カ月と宣告されたような慌てぶりだった。
聞かされた私たちは
「余命25年って、もう後期高齢者になってるじゃない…」と
全く深刻に受け止めなかった。
日頃から何かにつけ「死にたい死にたい」と騒いでいたんだから、
神様が聞き届けてくれたのかも…などとも思った。

当時のインターフェロンはまだ厚生省に保険適用認可されたばかりで
保険が効いても、1回12000円と高額だった。
これを二日に一度注射する。期間は半年間。
入院して治療する手もあったが、入院費をかけたくなくて
母は在宅通院での治療を選んだ。

副作用はすぐに現れた。吐き気、めまい、悪寒、高熱、食欲不振。
始めて1週間も経つと、高熱のために床から出られなくなった。
通院先は目と鼻の先だったので、母を抱えるようにして連れて行った。
副作用のひどさを訴えても、医師は
「インターフェロンはこんなものですよ」と言うだけ。
高熱は40℃越え。昼間は下がっても、夜になるとまた上がる。
1週間を過ぎるころには発熱も38℃台に落ちてきた。

その頃は子供たちも小さく手のかかる時期だったけど
夫の実家に助けてもらい、仕事が終わると実家へ向かった。
食事を作り、口に運ぶ。顔と体の清拭。
それがやがて、鬼ごっこ介護になるなんて思いもよらなかった。


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・日にちの感覚がなくなる。
・昼夜の区別がつかない。
・顔から表情が消える。
・目の前にいる相手が誰だかわからない。
・家族の顔までわからなくなる。
・家族関係すらわからなくなる。

そんな変化を訴えても、医師は
「高熱が続いたせいで、そのうち戻ってくるはず」と言う。

・人のいない方向を向いて、ぶつぶつとしゃべる。
・押し入れから血だらけの人間が出てきたと悲鳴を上げる。
・知らない人がマンションの壁をよじ登り侵入してくると言う。
・訴えを家族が聞かないから、110番通報する。
・近所の人が嫌がらせをすると叫んでまわる。
・親戚がお金を盗みに来ると騒ぐ。

それらのことに困ったと家族で話していたが、
これは前兆にすぎなかった。
殺されると言って暴れ、殺してやると暴れ、叫び声をあげ出した。

人としての正常な生活ができなくなり、
医師との相談の結果、インターフェロン治療を止めた。
開始して2カ月だった。

インターフェロンを止めてからも、母の崩壊は止まらない。
けれど、正常な時間も時々戻ってくる。
家族の顔もわかるし、自分のことも病気のことも思い出していた。
健康な時よりもおとなしく物分かりのいい母も出てきた。
落ち着いてきたのかとほっとすると、いきなり狂った母になる。
体力の続く限り、声を上げ走りまわり、殺されると逃げ回る。
夜中に疲れ、日中は懇々と眠る。

実家と私の家は同じマンションにあった。
何事かあれば、いつでも駆けつけることができる。
弟は無職だったので、日中の介護は任せていた。
しかし、何事か起こると「帰ってきて!」と連絡が入る。
このころ、自分の家や子育てがどうなっていたのか記憶がない。

「お母さんが家から抜け出した!」と連絡が入るのは真夜中。
夫と私と母とで、真夜中の鬼ごっこが始まる。
どこへ行ったかわからない母を探しながら走る夜の道。
遠くで揺らめく白い影。母は白いガウンを着ていた。
あれだ!と思って追い詰める。
若い私の方が脚力があるのに振り切られる。
見つけた夫が全力疾走で追いかけるのに、なぜだかつかまらない。
やせ細って体力なんて残っていないのに、恐ろしいほどの速さ。

私たちの必死と母の必死は違ってたからだ。
母は何者かに殺されると思い、命懸けで逃げている。
今でも夫でなくなった元夫とこの話をするけれど
「あの速さは人間じゃなかったな…」と振り返る。
真夜中にどこをどう彷徨うのか、朝日が昇る頃には
母は足を真黒にして家へもどってきていた。

・深夜に何度も親戚宅へ電話をする。
・真夜中にうちのチャイムを鳴らし、鬼の形相で立つ母。
・娘に殺されると交番へ電話を入れる。
・赤字で書かれた脅迫状を私に持ってくる。
母の幻覚は次第に私への被害妄想の塊となっていった。
しばらく私は母の前に顔を出さないほうがいいだろうということになり
実家へ手伝いに行くこともやめた。

しかし、真夜中のチャイム、真夜中の電話、増える脅迫状、
たびたびのお巡りさんの訪問、精神的な負担は何も変わらなかった。
訪ねてくる巡査は
「事情はわかってるけど、一応確認にきました」と気の毒そうに言う。
「大変でしょうが、がんばってくださいね」と励まされる。
玄関ドアを閉めると、決まって涙が溢れた。
チャイムの音、電話の音がなると、夫も子供たちも身を固くした。
家族全員が、小さな音にも飛びあがる。
あの頃の生活は、ホラーだった。

こんなに追い詰められる前に、
もっと早く母を精神科へ連れていきたかった。
父は家事こそ手伝っていたが、母の介護には消極的。
精神科へ相談することについても後ろ向き。

精神科への入院相談には、配偶者である父がいなければならない。
どんなに子供が異常を訴えても相談に乗ってくれない。
父は悪しきブレーキだった。
そんな父でも危険を感じたのが、
弟が母の首に手をかけようとしたこと。

大学病院の精神科でも、母は建物内を逃げ回り
トイレに立てこもって、出すのが大変だった。
入院当日の母は、かわいそうなことに正常だった。
「きちがい病院なんて入りたくない。助けて助けて」
肩を震わせて泣く母の背中を撫でることしかできなかった。

閉鎖病棟に入った母の診断は「意識障害」
そんなものなの?とみんな驚いた。
入院は最低でも1カ月。
平和な生活が期間限定で約束された。
でも、平和な時間ってあっと言う間に終わってしまうんだよね。


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 身動きとれないよぉーーー


☆今日の一日一善
・娘が多すぎると切った髪の毛があまりに多かったので、彼に
「あげましょうか?」とLINEでお伝えした。

★今日の一日一悪
・何もかもやる気がしなくて、化粧せずに外へ出た。
 通りすがった皆さま、醜いものをさらしてごめんなさい。


毒親

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私の両親は、一般的な親に比べると変わり者だった。
父親は子供の私たちに無関心だったし、母親は過干渉。
母親の愛情のまなざしは弟に向けられていたので
私に対しては負の過干渉のみが与えられた。


母親からは何かにつけ叱責を受け、いつもおどおどしていた自分。
学校での時間は、気持ちの安らぐ場所だった。
家ではいつも
「あんたは暗い。あんたがいると家の中まで暗くなる!」と
母親の虫の居所ひとつで、夜中まで懇々と説教されることもあった。

母が唯一褒めてくれるのは
学校で表彰されたり、新聞紙面に名前が載るような賞を取った時だけ。
親戚や周囲への自慢話のタネになったときだけは
「さすが私の娘」と、私の名前を呼ぶ時も甘ったるい声を出した。

そんな両親にひどく反発もせず過ごせたのは
よその家庭を知らなかったこそ。
友人宅へ遊びに行って目にする親子関係のなんと温和なこと。
軽口を叩いても笑っている友人の親は
なんて寛大な人だろうと驚いた。

家庭訪問で担任が訪れた時、または三者面談で話す時
教師の評価が比較的高いと感じると
私がどれだけ劣った人間かということを語った。

また、私に友人がいることも気に障るようで
かかってきた電話を「留守です」と切ることもあったし
私に対して文句が足りなかったときは
友人に電話をして、
「娘はこういう人間だから、付き合うのはやめた方がいい」とまで告げる。
友人たちはそんな親に迷惑しながらも、私と付き合うことを止めなかった。
当然、家では暗く話もしない、外では楽しく明るい私が仕上がっていく。


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進学する高校を決める際、
私は普通高校へ行き、大学進学を頭に描いていた。
けれど、母は
「この子は普通高校へは行かせません。高校卒業したら働かせるので
就職に有利な学校へ進学させます」
そう言い放たれた時、目の前が真っ暗になった。
理由は「大学資金は弟のためにしかない」
「ここまで育ててもらっただけでもありがたく…」

そんなに邪魔なら、中学卒業と同時に追い出せばよかったのに。
利用価値があったんだと思う。
夕方から夜までのパートの間、年の離れた弟の面倒を見て夕食を作る。
翌朝の弁当を作るのも私だった。

母と言えば、仕事を終えて朝まで遊んで帰ってこない。
父は真夜中に思い当たるところへ電話をかけ続け
私を起こしては「お母さんはどこにいるんだ」と怒り、
私を車に乗せて、あてもなく母を探す。

うーん、ドラマチックだ。

気性の激しい母。
執着する母。
近所や職場でけんかばかりしてた母。
ちょっと変わってると思っていたけど
私が子供を産み育てる頃には、「母は病気」だと思い始め
後々に病気だと確信する。

介護というと、認知症であるとか身障者介護、終末介護が頭に浮かぶが
それとはまた別ものの介護に携わろうとは。


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火の粉の払い方を知りたかった



☆昨日の一日一善…された
・一日寝込んでしまったため、次女が夕食を作って持ってきてくれた。
 ありがとう。

★昨日の一日一悪…された
・ゴミ出しだったのに、三女ったら私が寝てることでゴミ出し忘れてたよ。
 いいよ…来週ふた袋出してくれれば。


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