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昨夜も二匹が大運動会。
一日のうち16時間も寝るけれど、一日に一度は走り回らないと
今日が終わらないらしい。
どどどーどどどーっと二匹で追いかけっこ。
テーブルの上ジャーンプ。ソファーの上ジャーンプ。
そして、冷蔵庫、食器棚、本棚、タンスの上へ駆け上がる。
花は仏壇の上で毛づくろい。
罰当たりめ…。
ふと仏壇を見ると、横っ腹に爪痕が。あーあ。
うちの仏壇は上置きタイプのミニ仏壇。
箪笥の上に置いてある。
これも亡き両親が遺したもの。
そうでなければ仏壇なんてうちには置かなかったと思う。
生まれた時から仏壇のある家庭で育っていれば、
家に仏壇があるのは自然なんだろう。
実家にはなかった。
親が長男長女ではなかったので、ご先祖様を安置しなくても
よかったからだ。
それがある時、母が仏壇を購入。
どういう心境の変化があったのかは知らない。
仏壇を置いたからと言って、信仰心が沸き上がったわけじゃ
なかった。
その証拠に、朝夕のお参りするのは日課じゃなかったし
お茶やご飯などを上げることもごく稀だった。
仏壇はただのお飾りだった。
そんな家だったから、私も仏壇の存在を意識したことがなかった。
母が亡くなり、父は高齢者住宅へ越したが
仏壇は段ボールに詰め込まれたまま、死ぬ時まで解かれることは
なかった。
父の性格なら一番に捨てたかったんじゃないかと思う。
しかし、さすがに解体して燃えるゴミに出すことは躊躇ったのだろう。
両親の信仰心のなさを受け継いだ私だったが、
母が亡くなってからは線香を上げ、朝夕手を合わせるようになった。
なぜだろう。自分でも不思議だった。
人間って、身近な者を亡くすと信仰心が芽生えるものなのか。
仏壇の傷を見つけてからというもの、仏壇が気になりだした。
先日、テレビを見ていたらなんと通販ショッピングに仏壇が。
うちと同じ、ミニ仏壇。5万ぐらいかなぁとみていたら、
48万円なり〜。たかっ。
仏壇って高いものだけど、通販でこんなお値段だなんてね。
この金額出すなら、仏壇店に直接見に行くわ。
よく行くショッピングモールにモダン仏壇店が入っている。
買い物ついでにちらっと覗いてみた。
モダンというだけあって、かわいいしおしゃれ。
お値段は20万くらいからあった。
高額な仏壇だと250万超えるものもあるのね。
「買うの?」とわらしが横から覗き込んだ。
「んなわけない(笑)」
猫がいる以上、傷だらけにされるのは目に見えてるからね。
もし買い替えるとしたら、引っ越しの時だろう。
引っ越す予定なんて全くないけど(笑)。
私が生きてる間は、今のお宿で両親には我慢してもらおう。
今夜も花は仏壇の上で、長々と体を伸ばして寝てる。
猫好きだった父は喜んでるかもしれない。
仏壇の傷も許してるかな。
毛むくじゃらですが、ほんとは仏の使いなんです
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家族
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15年ほど前までは9月15日が敬老の日だった。
ハッピーマンデー制度が適用されて、9月の第三月曜に
変わってしまった。
月曜に移行してから、「敬老の日」というものの意識が
薄れてしまったように思える。
なんの祭日だったっけ?と考えないと思い浮かばないから。
え、皆さんは忘れてはなかった?
偉いわー。さすがね。
先週もわらしと話していて
「世の中は3連休なんだってね」
「あら、そうなの?」
「何の祭日がくっついてるんだっけ?」
カレンダーを見た。
あらまー、敬老の日じゃないの!
すっかり忘れていたけれど、ギリセーフ。
そういうことで、行ってきました。元夫実家。
うちは両親亡くなっているから、親と呼べるのは義母ひとり。
85才。
少し前の記事にも書いたが、義母は今年初めに大腿部骨折をやらかし、「これは寝たきりになるか、ボケるだろう」との周りの心配を
跳ねのけて、めでたく復活できたのだ。
そうは言っても、よちよち歩きだったのがさらによちよちが進んだ。
家の中には至る所に手すりが付けられたが、それでも杖が必要。
だが、歩けるほどに回復できたのだから大変優秀だ。
花丸をあげたい。
高齢になると物品のプレゼントはいらないと言う。
最近は誕生日、母の日、敬老の日は菓子の類か花にしている。
今回は果物をふんだんに使った大き目スイーツ。
毎度お馴染みの「食欲が全くなくてねぇ」のセリフ出た。
「食べれるかしらねぇ…」と手に取って、一口口に入れたら
「ふんふん」と頷きながら食べ進め、あっという間に完食。
食べきれずに残すかと思ったんだけど、お見事。
周りのみんなは知っている。
日中のおやつが過ぎて、昼夜の食欲がないだけってことを。
ずっとお菓子ばかり食べていたら、そりゃお腹空かないよ。
「こんな年まで生きてしまってね。
パパに早く迎えに来てって頼んでるんだけど、全然。
パパの遺影に向かってお迎えに来てって話してたら、
後ろで次男が聞いててね。
お母さんそんなこと言うもんじゃないって叱られたのよ」
これも毎回聞かされる。ご挨拶の一つだと認識している。
「そんなこと言わないで、長生きしてくださいね」
とは言えなくなった。
自分も年を重ねてきて、老いというものが心身を辛くさせる
一方だということに気がついてきたので、言えない。
返事ができないので、笑って背中や手を擦り肩を揉む。
介護施設を退所してからも、息子たちが出張の際には
施設のショートステイを利用している。
毎週二日は施設に泊まっているので、玄関先には
お泊り用の荷物が常時置かれている。
それらを指さしながら
「また放り込まれちゃうのよ。本当は家に居たいんだけどね。
ひとりで家に居たら、息子たちに余計な心配かけるからねぇ」
仕方なく行ってるのだと話す。
ショートステイの施設にどれだけ不備があるか
看護師や介護士が信用ならないこと、雑な扱いを受けていること
切々と訴えてくるのだ。
行きたくないんだね。
ひとしきり愚痴を言ったら、すっきりした様子。
あそこが痛い、ここが痛い、どこが悪いと
処方されてる薬を並べだした。
大量の薬。こりゃ、管理するのも飲むのも大変だ。
「明日はどこそこの病院へ行って、来週はまた別の病院に…」
義母は手帳を取り出してスケジュール表を見せながら説明する。
あら、私のスケジュールよりぎっしりだわ。
病院、病院、ショートステイ、デイケア…。
芸能人並みの忙しさね。
ボケる暇がないわね。
「そんなんで寂しくしてるから、ヤスミンちゃんいつでも来てね」
と手を握られる。
もっと頻繁に顔を出さなきゃとは思うけれど、そうもいかなくて。
「妹が買ってくれた電動があるんでしょ?
あれなら、すいすい来れるんじゃないの?」
義母は電動アシスト自転車をバイクと混同している。
無理だということと、バイクとの違いを説明したけれど
次回来るときにはまた忘れて
「いつでもささーっと来れるんじゃないの?」と言うだろう。
別れ際、いつものように手を握って
「いつでも来てね。お菓子とか気を遣わなくていいからね」と言う。
でも、喜ぶ顔知ってるからなぁ(笑)。
現在、日本一のご長寿はヤスミン市内在住の女性115才。
115才…。その方の子供となると85才前後になるんだろうか。
義母と変わらない年齢ね。
日本一長寿のその女性は有料老人ホームで暮らしていてお元気。
歩行器こそ使うが自力で歩けてゲームや新聞を読むのが
楽しみだという。
テレビ取材を受ける姿はきれいに化粧もしていて、115才には
思えなかった。こんなにお元気なら長生きもいいだろう。
私はいつまで元気でいられるんだろう…と考える。
寝たきりや認知症を患ってまで長生きはしたくない。
だれでもそう思ってるよね。
ぴんぴんころり、そういう最期であるよう願う。
夕方、マトちゃん一家がうちにやってきた。
そう、私も祝ってもらえる立場なの(笑)。
マトちゃん長女が幼稚園で「敬老の日」の絵を描いたので、
それを持ってきてくれたのだ。
幼稚園では毎年お手紙を書かせたり、絵を描かせたりと
敬老の日を意識させてるようだが、本人たちはわかってない(笑)。
マトちゃん長男がくれたプレゼントは全部飾っている。
うれしいことはうれしいが、内心とても複雑。
「まだプレゼントなんてしてくれなくていいよ」と思う。
還暦過ぎたら喜べるようになるかも。
…どうかなぁ〜(笑)。
気になったので、ちょっとググってみたら
老人の日や老人週間を定めている老人福祉法では、老人は
「65才以上」と定められている。
WHOの定義でも、65才以上の人のことを「高齢者」としているから敬老の日のお祝いは一般的には65才以上の人が該当する。
ですって。
ふふふ、まだまだ先の話だわ。
そんなの すぐですよ
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ちょっと日にちが経ちすぎてるけど
8日は孫2の入園式。
日曜を挟んで、10日は孫1の入学式だった。
これで、春のイベントは無事終了〜。
どちらも慣れない環境で
すぐに馴染むかどうか不安があったけれど
今のところ楽しん通えているようで一安心。
孫1は軽度の発達障害を抱えてる。
小学校では普通学級と特別支援クラスに籍を置くことになった。
学年には発達障害の子が3人いるという。
マトちゃんは息子の学校生活にも不安があるが
一番心配だったのが、通学の登下校が一人でできるかどうか。
ここの小学校は集団登校がない。
しばらくは登校下校の際に
付き添わないといけないんじゃないかと言っていたが、
お友達が同伴してくれることになり、少し心強い。
しかし、お友達任せは申し訳ないので
こっそりと後をつけて、遠くから見守ってる。
この小学校、帰宅時間になると
「今、下校しました」と各保護者にメールが入るそうだ。
私の子供たち時代にはこんな連絡はなかった。
メールだからできるのだろうけど、時代は変わったものだなあ。
本格的な授業が始まったら、支援学級に移動するのだが、
数日の観察で「多動もないし、普通学級で何の問題もない」と
普通学級と支援学級の担任が判断して
普通学級で一日授業を受けることなった。
マトちゃんの喜びは大きかった。
口には出さないが、障害を持った子を産んでしまったという
自責の念と子供に対する申し訳なさがいつも心にあったんだと思う。
発達障害になった原因はわからない。
婿の家系には発達障害の人がいるので、その遺伝かもしれないし。
他に何か要因があったかもしれないし、
分娩時の医師の判断に問題があったせいかもしれない。
というのも、マトちゃんの陣痛は丸三日間続いた。
破水してすぐに入院したが、一向に生まれない。
子宮口は分娩できるくらい開き、羊水もかなり出ていたのに
医師はそれをおかしいと判断しなかった。
私は、異常だから医師と話をさせてくれと看護師に頼んだけれど
「話は父親にする。祖母さんに話す必要はない」と拒否された。
男性に分娩のことなど話しても
「そうですか……」という以外ないのに。
入院から三日目。漸く異常に気付いた医院長が
救急車を呼び、大きな病院に移すことになった。
運ばれた病院での医師の診断は
「羊水が完全に無くなってる。赤ちゃんの首にはへその緒が
巻きついていて、低酸素状態になってるだろう。
普通分娩などできるわけがない」と言った。
母体も赤ちゃんも非常に危険な状態と言うことで
緊急帝王切開に。
母子ともに命には別状なかったが、医院に対する怒りは残った。
産院の方も後ろめたさがあったのだろう。
三日間の入院費は全く請求されなかった。
発達障害が遺伝によるものか
低酸素状態が原因だったのかは判別できない。
育った子が「他の子と何か違う」と気づいたのが、2歳の時。
その時点では判別不能ということで、5歳になるのを待って
テストを行い、発達障害であることが確定。
マトちゃん夫婦は一時的に落ち込んだけれど、
明るく前向きに子育てをしている。
そんな中、三人目を身篭った。
今でも大変なのに三人も子育てするなんて大丈夫だろうかと
頭によぎったけれど、マトちゃんは「どうにかなるよ」と
明るい。
不安に思ってるのは婿だけ。
「自分が三人も子守ができるんだろうか」と(笑)。
一人目二人目が帝王切開。
当然三人目も帝王切開。
昔は帝王切開は二人目までと聞いていたんだけど
子宮の状態を見て、三人目も大丈夫だと診断された。
二人目までは一人目と同じ場所を切開する。
今回は、その下に逆さU字型に切るんだそう。
聞いただけでも、痛い。
今回の出産は予定日のひと月前に行うそう。
臨月まで育ってしまうとリスクが大きいらしい。
マトちゃんもこけしも今のところ順調。
こけしは8月末頃が予定日。
マトちゃんは9月の末頃に手術。
秋の初めはまた忙しくなりそう。
そうそう、こけしは妊娠4か月の時に
「95%、女の子」と医師に言われた。
今は4か月で性別がわかるのね。
私の頃は6か月過ぎだったなぁ。
マトちゃんのところはどっちだろう。
来月の通院が待ち遠しい。
オイラたちは見守り隊
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みなさん、連休はいかがお過ごしだったでしょう?
連休初日、うちはまた恒例の全員集合。
3月4月の孫たちの誕生日プレゼントを買いに出たり、
元夫の実家へ訪れ、義母を囲んで賑やかに過ごしたわ。
あちこちで外食したにも関わらず、どこも写真を撮り忘れ…。
どれだけがっついているかわかっちゃうね(笑)。
かろうじて撮ったのがこれら…。
はま寿司のレーンにこんなものが流れていたわ。
すごく興味がわいたけど、手がでなかった。
次回は飲んでみよう。
連休二日目は、また義母の話し相手に元夫の実家訪問。
主の話題こそ毎回違うものの、
あ、それ聞きました。これも聞きました。すでに二万回は…の
どれも…ヘビーローテーション♪ と歌が出ちゃいそう。
年を取ると、昔のことばかり懐かしく思い出すようで
お嬢様時代の想い出話が繰り返される。
大地主の父親は商社を営み、人も羨む贅沢ぶりだったとか
自分には乳母が二人付き、何不自由ない暮らしをしていたこと。
学生時代、級友は芋や梅干だけの弁当だったのに
自分は昼になると出来立てほかほかの弁当を届けてもらえたこと。
等々…。
義母の父親は愛国心が強かったようで、終戦直後
私有地と全財産を国に寄付し、普通の家になったようだが。
良い夫に恵まれたこと。どれだけ大切にされてきたかという話。
出来のいい義弟の自慢が99%。残り1%は
出来の悪かった元夫の数少ない自慢話。
ふんふん、それは凄いですねー。
恵まれた半生で、良かったですねー。
と受け答えするが
自慢話オンパレードは、耳も大層疲れる。
素晴らしかった夫に先立たれ、今が一番貧しく不幸であること。
体の衰えと病気の数々。
寄る年波…これは仕方ないわね。
じっくりと聞いてあげないと。
息をつくのも惜しんで矢継ぎ早に話を続けるので
持参した甘味を勧める。
「最近はねぇ、全く食欲がなくてご飯は二口が精いっぱい。
でも、甘い物なら食欲がわくのよ」
と、フルーツケーキや桜餅をきれいに食べきる。
バランスのいい食事は摂れていないかもしれないけど
体重は落ちることなさそうなので、まずは安心。
10年前に脳卒中で倒れて以来、
身体が思うように動かなくなった義母は、よちよち歩く。
息子二人はいるものの、義母の生活を見守るのが精いっぱいで
家の掃除はほぼやってない。
そのせいで、家は雑然としている。
見るに堪えなくて…いや、義母の終わらない話から逃れるために
掃除機やぞうきんを持って、掃除をする。
義母は「ごめんなさいねぇ」と申し訳なさそうに言いつつも
「台所も。あと、トイレと風呂場も」とお願いされる(笑)。
耳が飽和状態になるよりは、掃除をしていた方が楽。
義母の寝室にはポータブルトイレが置いてある。
夜中の排尿にトイレに行くには危険だし、間に合わないので
夜中のみ使用しているのだが、本人は掃除ができない。
これは息子たちの役目なんだけど、二人が留守の間は
私が掃除をしようと思ってた。
「お掃除しますよ」と手をかけようとすると
「それはいい。自分で捨てにいけるから」と頑なに拒む。
どうやら、私に見せるのは恥かしいらしい。
気にしなくていいのに。
「自分で捨てにいけるから」と言い張るので諦めた。
でも、捨てには行けても、掃除はできていないだろうなぁ。
就寝中くらい紙おむつを使っても良さそうなんだけど
これも拒絶。自尊心が傷つくのかな。
そういえば、亡くなった私の実父・じじいさまも
死ぬ間際まで嫌がって使おうとしなかった。
脳梗塞で入院した病床では紙おむつを当てがわれていたが
体は起こせないのに、嫌がって手で引き裂いていた。
尊厳が侵されると思うのだろうか。
家族は紙おむつを使用してもらえば、安心だし手がかからない。
私もお漏らしするじじいさまには口をすっぱくして勧めていたけど
頑として受け付けなかった。
私も年老いたら、そうなるんだろうか?
「体が痛いところばかりで毎日生きてるのが辛い。
早くお迎えが来てくれればいいと思って寝るんだけど
やっぱり朝を迎えるのよ」
「そんなこと言わないで」と私たちは言葉を止めるけど
年寄りの苦しみや痛みは分ってあげてないのだと思う。
本人は病気になりたくてなるんじゃない。
高齢になると、身体の不具合はどんどん増えていく。
医学が発達して長寿になるのはいいことだが、
増え続ける病気を抱え、認知症が進んでも生きなければならない
ということが果たして幸せなのかな? などと思ってしまう。
そんなイケナイことを考えつつも
「もっともっと長生きしてください」と言葉をかける。
それしか、言えない。
「死んだら、息子たちが整理に困るから」と
最近、身の回りの物を少しずつ処分し始めた。
「この着物はねぇ、200万したの。帯が100万円。
ヤスミンちゃんが着ないのなら、100万くらいで売ってもいいんだけど誰か買ってくれる人、いないかしら?」
うーん。100万も出すなら、みんな新品を買うだろうね。
高価な着物であっても、売ったら二束三文だろう。
その辺りが、大昔お嬢様だったのでわからないようだ。
「あれもこれも」とどれもが売れると本人は思っているけれど
どれも引き取ってもらえるのかさえ、疑問…。
最近では、昔子供たちが贈った絵や手紙を
「処分に困るから、持って帰って」と言う。
贈ったものを持って帰れと言われてもねぇ。
義母にしてみれば、捨てるのは忍びないと思ってるのだろうけど
渡された方はあまりいい気はしない。
何も言わずに捨ててもらいたい。
今後は物の処分に周りは大いに困りそうだ。
あなたがいらないものは オイラもいらない
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WBC…侍ジャパン好調ですね。
野球があってる時間は寝ておきたいのに、ついつい見ちゃって。
その後数時間寝て、夜中の3時に起きる。
パリバオープンがあってるからよ。
なにそれ? テニスだよー。
今のところ、錦織選手がベスト8まで勝ち残ってる。
前回のリオでは初戦敗退に、がっくりとしちゃったけど
今回にそのショックは持ち越してなかったみたいで一安心。
今大会ではマレーもジョコビッチ、ナダル、チリッチも
早い段階で消えてしまって、これチャンスなんだけど…。
ここ!というところで負けてしまう錦織選手だから
過剰な期待はできないんだけど。応援するわ。
ワンポイント速報で(笑)。
昨日は西岡選手もバブリンカ相手に善戦したわー。
もう一歩で勝てる試合だったけど、やはり世界ランク3位は
ただでは勝たせてくれない。
結局逆転負けしたけれど、これからの成長に期待。
誰それ? 錦織選手に続くテニス界の若者よ。
テニスネタはもういい? ごめんなさい〜(笑)。
離婚して、今年で15年。
未だに元夫と友達関係でいたり、元夫実家と懇意であったり。
世間から見るとおかしな関係に見えるだろうな。
義母のところへ訪ねて行き、話し相手になったり
誕生日、母の日もプレゼントを欠かさない。
ここを読んでくださるみなさんは私のことを褒めてくれるけど
それは私ができた人間だからじゃないの。
私が生まれ育った家庭は、母親も父親も弟も変人で、
めちゃくちゃな家だった。私も変人かもしれないけど(笑)。
親戚たちとも諍いの絶えない醜い家系で
私はそれが普通だと思って育った。
それが、元夫と結婚して、家族ってこんなに仲がいいものか。
親戚づきあいがこんなにも楽しいものかと
かなりカルチャーショックをうけたわ。
義理の両親も私を本当の娘のようにかわいがってくれたし、
イケナイところがあれば叱ってくれた。
もちろん、世の中の嫁姑のように「くそー」と思うことも
何度かあったけれど、それを帳消し以上にする愛情をもらった。
変人実母は、そんな仲ののいい義理の両親と私の関係を妬み、
私の悪口を言いに、何度元夫の実家へ押しかけて行ったか。
その度に
「ヤスミンちゃんは全然悪くない。お母さんの話は信じてないから」
と、いつも悔し泣きする私を宥めてくれた。
母親が病気で狂っていた頃、私は介護に疲れ果て
ある時、したたかに酔った勢いで
「あんな親、早く死んでくれればいいのに」と泣いたことがある。
その時は、義父に大層叱られた。
「産んでもらった親に、そんなことを言ってはいけない」と。
叱りながらも、大泣きする私の背中をずっと擦ってくれた。
離婚する時に一番悩んだのは、義理の両親と別れること。
元夫との離婚はさっさと決められたのに、
この両親と別れることは辛くて、すごく悩んだわ。
数年悩んだ後、メンタルがイカれた私は覚悟を決めて
義理の両親とも別れる決意をした。
私は離婚理由を周りには一切話さなかった。
「ヤスミンちゃんは何も言わないけど、悪いのは全て息子だと思う。
あなたを苦しめてしまってごめんなさい。
謝っても謝りきれない。
でも、ヤスミンちゃんのことは、これからもずっと娘だと思ってる。
何か困ったことがあったら、頼ってきてきてください。。
何もなくても、顔を見せてくれたら私たちは嬉しい。
この先もずっと、私たちはあなたの親でいるつもりだから」
そんな手紙を義父にもらった。
便箋、5〜6枚の手紙だったと思う。
それは今でも大事にしまってある。
親子の情の深さを教えてくれた義両親。
ああ、私がこの二人の本当の娘だったら、私はどれだけ
幸せな娘として育っただろう。
…でも、あの頼りない元夫を育てたのも義両親なんだけどね(笑)。
それでも、生まれ変わったら私を産み育ててほしい。
そう、今でも思う。
実の両親と義父が亡くなった今、親と呼べるのは義母だけ。
会いに行くと「来てくれた〜♪」と喜び、ハグを求めてくる。
だから、軽く2時間のマシンガントークも受け止めてあげなくちゃ。
…そう思いつつも、解放されるとほっとするんだけど(笑)。
解放されたくなったら、「掃除しますねー」と
トイレや浴室に逃げ込んでるよ(笑)。
義理の両親が冷たい人たちだったら、
離婚した時に、きっぱり縁を切っている。
元夫とも友達関係にはなれなかったと思う。
感謝の気持ちがあるから、それを返していきたい。
義母が生きている間に、全部返せないと思うけど。
こんなことを言ってると、あの世の実母がまた
嫉妬するかもしれないなー(笑)。
化けてでてきませんように。
癒し系のオイラたちにも感謝しろよ
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