イエス様と歩むME/CFS&ライム病、脳脊髄液減少症、眼瞼痙攣

筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群&ボレリア症(ライム病)と共感染症啓発 www.markhouse-projects.com

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このブログは、Yahooブログ終了に伴い引っ越しました。

新しいブログは、



神様の描く不思議な人生物語
〜発病のいきさつと
イエスキリストとの出会い〜

私は、3歳から14歳までの鍵っ子生活、父の激しい気性による精神的虐待を通して、幼い頃から罪悪感と劣等感と共に生きていました。

幼稚園でブランコに乗りながら、「自分は何のためにブランコをこいでいるのだろう。自分はここで何をしているのだろう。」と思いにふけるような内気な子供でした。
 
その劣等感や自尊心のなさをかき消すために、小学校高学年から急に自分で性格を変えるように努力をし、いつも人を笑わせることに夢中になっている中高時代を送りました。  

表面的には明るく面白い生徒を演じていましたが、心の中にはいつも鉛のようなものを抱えていました。
 
 
アメリカ高校留学を終えた後に、両親は離婚しました。
 
大学を卒業後、オーストラリアの大学での日本語講師生活を経て、応用言語学修士号を取得。

大学からは、言語学者マイケル・ハリデーメダルを受賞しました。

何かを成し遂げて成功すれば心の鉛や劣等感が取り除かれるのではないかと思うようになり必死に勉強をしたのです。



大学時代から日本語教師や通訳、翻訳をして貯蓄したお金を大学院で使い果たしてしまった私は、銀行口座に残っていた最後の2ドルで広告をコピーし、その時住んでいた借家を使って24歳の時に日本語学校を起業しました。
 
昼間は、こつこつと日本語を教え、夜は、夜中の2時、3時まで、街中を歩き回り、チラシの投函やポスター貼りを繰り返しました。 

6ヶ月もすると、40人ほどの生徒が集まるようになり、才能ある日本語教師の友人がビジネスパートナーとして加わって、シドニーの中心街チャイナタウンに店舗を借りることができるようになりました。
 
その後、その小さな日本語学校も、6ヶ国語を教える言語学校になり、シドニーオリンピック熱に煽られて、4回の事業拡大を経て、全校生徒350名を越えるオーストラリア政府認定の英語専門学校に成長しました。

32歳の時には、”エスニック・スモールビジネス賞最優秀賞”を受賞し、日本の留学雑誌やオーストラリアの新聞などにも取り上げられるようになりました。
 
自分の劣等感を克服するために、必死に目の前にある山を次々に登り続けましたが、私の心の鉛は取り除かれることはありませんでした。
 
 
お酒やタバコに頼りながら、昼夜無く働く厳しい毎日を送るなか、骨休めのために日本に一時帰国した際、感染症をきっかけに筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)という難病を患ってしまいました。
 
日帰り温泉から帰ってきたとき、急にぐらっときたかと思うと、リンパの腫れを伴う高熱を出しました。

普通のインフルエンザというより、何か脳が溶けてしまうような異常なものを感じ、「何かがおかしい!何かがおかしい!」と母に繰り返し訴えていたのを今でも覚えています。
 
数日、熱にうなされて様子を見た後、年明けに大学病院の救急にタクシーで行くと、インフルエンザ患者でいっぱいで、受け入れてもらえず、車椅子を借りて、タクシーに再び乗り込み、飛び込みで町医者のドアをノックしました。

すぐにオーストラリアに帰国しなければならないと説明すると、特に何の検査もないまま強いインフルエンザの注射と、「念のため」と言って抗生物質が処方されました。
 
 
 
その日を境に人生が一変してしまいました。
 
全身倦怠感と底なし沼に落ちていくような異常な倦怠感、瞼や首、体の痛み、慢性的な微熱などで、ベットから起き上がれなくなり、感染症につぐ、感染症で、会社も休みがちになりました。
 
どうしても行かなければならない日は、夫にベットから手足を引っ張って立たせてもらい、会社まで連れて行ってもらうのですが、会社に行っても皆に見えない社長室のデスクの下でうづくまって寝てしまうような日々でした。
 
思考がまとまらず、決断ができなくなり、一つの作業に異常なほど時間がかかるようになり、最終的には出社もできなくなりました。

外出も人に会うこともできなくなり、夫婦の関係もぎくしゃくするようになりました。
 
今まで築き上げてきたものが音を立てて崩れ去り、自分の力ではどうにもすることのできない絶対的な絶望を経験しました。
 
 
 
「たたきなさい。そうすれば、開かれます。」(ルカ11:9)
 
さまざまな医者に行っても、はっきりとした診断がつかず、精神的にも落ち込んでいきましたが、交流分析カウンセリングを夫婦で受けたり、自分でも色々なストレス管理法を学んでいくうちに、精神的に少し安定するようになりました。
 
そんな時、知り合った仏教徒の友人が、カトリックの日本人修道女がいるから一緒に会いに行こうと誘ってくれて、本当に久しぶりに病院以外の場所に出かけました。

の修道院のドアを開けてくれたスペイン人のカトリック修道女の方の瞳を今でも忘れません。
 
私は確かにその人に愛されていると感じたのです。

その後、日本人修道女の方に、”あの修道女に愛されている”と感じたと話すと、「あなたのうちにおられるイエスキリストを愛しておられるのですよ。」と話してくれました。

大きな十字架の礼拝堂で私だけのために聖書を読み、お祈りをしてくれました。

 
 
米国でプロテスタントのクリスチャンになった姉は、15年間私や家族の救いを祈り続けていました。イエスキリストの十字架の前で修道女に祈られた私は、何度かシドニーにあるプロテスタント教会を訪れるようになりました。
 
そして、そんなある日、痛みと倦怠感でうなだれている私は、アメリカにいる姉に電話をしました。

姉に、国際電話でお祈りしてもらったとき、聖霊が働いて、神様が私の心を開かれました。急に光が差し込んだ気がしたのです。

その後、姉から紹介された牧師のいる教会に通うようになりましたが、あまりの体の痛みと異常な疲労感で、生きる気力を失った私は、泣きながら電話で牧師に尋ねました。
 
「私は何のために生きているのでしょうか。」
 
牧師は、「神様に直接聞いてごらん。」と言われました。
 
そのとき、私は、祈りを通して神様に直接話しかけたのです。それが、神様と私の会話の始まりでした。
 
 
 
 
 
「わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。」    (エレミヤ31:3−4)
 
洗礼(イエス・キリストを信じたことを表明する儀式)を授かった瞬間、今まで怒っていた家族を一瞬にして赦していました。

イエスキリストが、これまで神を無視して自己中心的に生きる的外れな性質(罪)を赦し、この世が終わった後も永遠に生きる新しい霊的いのちを与えるために十字架で死んで復活したこと、聖書が頭で読むものではなく、聖霊によって読む霊的書物だということがわかりました。
 
以前に、姉から送られてきた聖書をぱらぱらと読んだことはありましたが、心がくすぐられるものの、意味が全くわかりませんでした。 

ところが、聖霊が自分に宿ってから聖書を読むと、まるで飢え渇いた喉を聖書の言葉が潤すかのように私の霊は癒されていきました。

神様と人類の契約である旧約聖書と新約聖書を通して、天地創造から、罪からの救い、この世の終わりまでのすべてが書かれている聖書に夢中になりました。

小さい頃から持っていた劣等感や罪悪感から完全に解放され、生まれて始めて自分を愛することができるようになっていきました。


 
すぐに、19年間疎遠だった父に国際電話で謝罪をし、和解しました。
 
その頃、父は、仕事上のトラブル、弟たちの病気や不健康な人間関係などで心を痛めていましたが、神様は私たちの祈りに確かに答えてくださり、「あなたがた家族は建て直される」という約束を受け取りました。
 
祈りながら、父をサポートするうちに、父の問題は次々に解決されました。

はじめの頃は、「俺は法華経だ〜!」と怒鳴っていた父も、神様の介入を無視することができなくなり、イエスキリストを救い主として受け入れ、洗礼を授かり、神様に次第に変えられていきました。
 
父は、家族に精神的な虐待を与えたことやそれまでの人生を深く悔い改め、私たちに泣いて謝罪してくれました。
 
「神様は、本当にすばらしいよ。」
 
父は、神様の話になると、感謝と喜びでいつも泣いていました。

イエスキリストは、水をワインに変えるように、父や私の心を変えてくださって、新しいいのち、新しい人生を与えて下さいました。
 
 
私自身も、信仰告白してすぐに難病ME/CFSの元研究班にいた統合医療の医師に”図らずも”出会い、カンジタ菌除去、リーキーガット症候群、副腎疲労治療など、新しい治療法が与えられました。

2年後、洗礼を授かった教会が、礼拝場を探していたため、経営していた言語学校の学生ラウンジを使っていただくことになったのが、会社に復帰する大きなきっかけとなりました。

それまでは、休職とは言え、自宅からマネージャーと指示と報告をやり取りするスタイルでしたが、週に1回、2回、、、と通勤できるようになり、社会復帰を果たしました。
 
母は、海外で難病に苦しむ私のことで思い煩っていましたが、ある日、教会に足を運んだそうです。

讃美歌を聞いているうちに、涙が止まらなくなり、母にも、いつしか、聖霊が働き、イエス様を救い主とする信仰が与えられました。
 
その教会は、偶然〔=神様のご計画)、アメリカで姉が行っている教会の系列教会だったことも神様の驚くべき御業でした。

最初のうちは、「神様の光に照らされると自分の罪深さがよくわかるようになり辛い」とこぼしていた母も、次第に自分の罪を背負って死んで復活してくださったイエスキリストの十字架を見上げ、神様に感謝できるように変えられました。


 
何度も離婚を話し合った夫との関係も、イエスキリストによって建て直されました。 

愛するということは、「仕え合う」、「与え合う」ことであり、イエスキリストがそうしてくださるように、「ありのままの相手を受け取る」こと、「赦し続ける」ことだと日々学んでいます。 
 
今では毎日二人で聖書を読み、お祈りをする時間を大切にしています。

私たちが神様を第一にすればするほど、私たちは互いを大切にできるということを学びました。
 
 
「あなたの家、あなたの家族のところに帰り、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを知らせなさい。」(マルコ5:19)
 
私は、神様がどんなにすばらしいことをしてくださったか、そして、毎日の生活の中で神様がどのように私たちに語りかけて下さるかを人に話すのが大好きになりました。

2010年、病気の再発をきっかけにビジネスを売却し、体が不自由でも、インターネットで受講できるJTJ宣教神学校に入学しました。

私たち夫婦はいつか日本に住めるようになることを長年願っていましたが、「神様の時」が来たと感じ、二人で日本行きを祈りました。

すると、すぐに国際政治学者の夫に日本のキリスト教系大学での仕事が舞い込んできたのです。

すぐに祈りの答えだと確信しました。

そして、2012年3月に2匹の犬と聖書を片手に20年近い海外生活を終えて日本に引っ越してきました。
 
   
「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。”そら、ここにある”とか”あそこにある”とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国はあなたがたの ただ中にあるのです。」(ルカ17:21)
 
 
私にとっての奇跡は、神様を無視して自分の人生が自分のものであるかのように自己中心的に生きてきた自分の的外れな性質(罪)に気付けたこと、
 
自分の罪を悔い改め、イエスキリストを救い主として心に迎えることができたこと、
 
成功すること、何かを成し遂げることで自分の価値をはかろうとしていた虚しい人生から解放されたこと、
 
私たち家族の暗闇の人生が感謝と喜び、聖霊と愛に満ち溢れる光と祝福の人生に変えられたこと、
 
ばらばらだった家族の心が霊的に建て直されていること、
 
そして、人生の中のいい時も悪い時も、元気な時も、病気の時も、イエスキリストの十字架を見上げ聖書を読んでお祈りをする日々を送る時、私たちの心のうちに神の国の平安と喜びがあることです。

はじめのうちは、どこかで自分の願い事を祈ると神様がかなえてくださるという「ご利益宗教的な信仰」でした。

病の癒しに対しても、極端な方向に走り、混乱することもありました。

でも、神様は霊的幼子の私を自分の罪深さゆえの失敗や試練を通して成長させてくださっていることがわかってきました。 

神様は失敗さえも用いて私がどれほどの罪人であるかを示し、神様の愛とあわれみなしには、到底自分の義や行いでは罪の赦しや神の国での永遠のいのちを得ることができないことを実体験させてくださいました。
 
 
 
いいことばかりではありません。

自分の思い通りにならないこともたくさんあります。

でも、この世にいる間も、”神様が共にいてくださる”ーそのことだけが弱い私を強めてくれます。
 
今の私には地位も名声も、何かを成し遂げる体力もありません。

家事や身の回りのことも介助が必要です。

でも、私は、神様の愛を知って、生まれてはじめて心から「幸せだなあ。」「楽しいなあ。」と思える瞬間を持てるようになりました。
 
人間が生まれながらにして持っている心の空洞を埋めることができるのは、自分を造った神様の愛だけなのだと実感しています。

そして、小さい頃から抱えていた疑問の答えがわかりました。ー私は、神様に愛されるために生まれてきたのです。
 
聖書を読んでお祈りをしながらイエス様と共に生きる時、「今ここで」天国を体験することができるということを知りました。

毎日の聖書と祈り、そして、神様との会話と聖霊の力によって私は日々新しくされています。


(後書き)

2016年、病気の父の介助と世話のために、地元東京に戻りました。

介助式リクライニング車椅子の私を、主人がせっせこ、せっせこ、父のところに連れて行ってくれたおかげで、夫婦で、父の通院介助や世話をし、父を看取ることができました。  

私は週1,2回の点滴を打ち、父は、2週間に一度輸血を受けていました。

私を父のところまで連れて行き、寝転がらせると、主人は、仕事に行きました。

起立不耐性でほぼ寝たきりの私が、ほぼ寝たきりの父の横に寝転がり、聖書を読んでは祈り、一緒にうたたねしたり、ベッドでおやつを食べたり、、、


ある時は、父の通院介助で一緒に同行した私が脱力して、父の輸血室の横の部屋で救急で点滴を受けることも。

ずいぶん、無理をしました。

そして、主人にも、無理をさせてしまいました。

でも、それはすべて神様から与えられた父とのこの世での時間だったのだと今は思っています。

(マーク雅子著 2018年10月更新)


まーくハウス&ぷろじぇくと 
「5月12日筋痛性脳脊髄炎/
慢性疲労症候群世界啓発デー
”ひとりじゃないよ!”」


  ME/CFS&ライム病についてのホームページは、上のリンクをクリックしてください。

「闇からの声なき声」日本語字幕版
ME/CFSウェブセミナー
ME/CFS管理法など



この動画は、ME/CFS啓発のために作られたものですが、マダニ媒介感染症ライム病と共感染症が見つかりました。ME/CFS診断にライム病が除外診断とされているのにも関わらず、一度もその検査がなされなかったことに大きな疑問を感じます。





*神様の愛のうちに生かされているクリスチャン難病患者の日記です。また、日本ではまだ医療・福祉制度が十分に整えられていない筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)、慢性ライム病、ライム病後症候群、脳脊髄液減少症、眼瞼痙攣のことを知っていただくために記事を書いています。

お手数ですが、読まれた方は、上のリンクをクリックしてください。
 


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はい。シドニーでしたよ。

2013/3/17(日) 午後 1:30 [ Chipmonk ]


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