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障害者が多く住むと言われる別府温泉の近くのある牧師が、
障害者の家を一軒、一軒、まわってお祈りをしていたという話を聞いた。
人が来ると不自由な体が恥ずかしくて、押入れに隠れてしまう小児麻痺の少年が
この牧師を通してイエスキリストに出会ったそうだ。
イエスキリストの十字架の死と復活が
自分の罪(神を無視して生きる的外れのこと)のゆるしのためであり、
この世の肉体の死やこの世の終わりを超越する永遠のいのちを
与えるためだったということを知ったこの少年は、
やがて、これまでの人生を自分中心から、神中心に方向転換し、
クリスチャンになったそうだ。
神様は、痛み、傷つき、苦しみ、汚れて、壊れて、
砕け散ったガラスのようにバラバラになった私たちの破片を
1つずつ一つずつ拾って風呂敷に包み、
抱きしめたら、自分が傷ついて痛かろうに、
大事に大事にその風呂敷を抱きしめてくださる、、、
そういうお方だとある牧師が話していた。
壊れたガラスの破片のような私もまた、
この世で死んだように生きていたのに、
そんな神様に抱きしめられて、その不思議な風呂敷の中で
造り変えられている。
実は、この間の土曜日、
JTJ宣教神学校への復学を試みた。
牧師であり、心理カウンセラーである講師が
1年にわたって月に一度、講義をするということで、
神学とカウンセリングを学んでいる私にとっては、
山積みになった質問の答えを得る最高のチャンスだった。
そして、JTJ宣教神学校に行けば、
普段は普通に仕事をしていて社会人だが、
わざわざ夜間や週末に勉強したいと思うほど、
神様が大好きな人たちと出会えるというのも魅力だ。
「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」
(ピリピ4;13)
パウロは獄中でも、福音を伝えたり、教会へ励ましの手紙を書いていた。
私は、自分の体という「獄中」にいるが、
パウロのように、
獄中でも讃美歌を歌い、神をほめたたえ、
信仰の創始者であり、完成者であるイエスキリストを見上げて走り続けたい。
私には、具体的に誰かを助ける体力も、
誰かの苦しみに寄り添い続けるエネルギーもない。
心を尽くして、思いを尽くして、知恵を尽くして、誰かを愛し、
その要望に応えようとしたり、何とか力になりたいと誠心誠意尽くしても、、
神様ではないのだから、限界がある。
でも、わたしにあるものを分かち合うことだけはできる。
それは、(未熟ではあるが)信仰であり、救いの知らせだ。
拷問にあっているのではないかという症状の中でも、
イエスキリストの光と永遠のいのちへの希望が私を支えている。
布団で寝転がっていようが、痛み悶え苦しんでいようが、
私は、福音(救いの知らせ)を伝えたいし、
神様がどんなにすばらしいことをしてくださったかを語るのをやめることができない。
数日前からボクシングの試合にのぞむボクサーとセコンドのように、
くーちゃんと二人で、点滴、マッサージ、体力温存と着々と準備をしていた。
はじめの一歩さえ、踏み出せれば、
残りの授業は、月1回、5月のME/CFS啓発フェスの後なので、
なんとかなる!
結果として、、、学校には行けた。
でも、それは、神学校ではなく、家の近くの小学校。
急な気候と気温の変化に体がついていけず、
駅に行く途中の小学校の門の前で、脱力。
薬を飲んで、家に戻り、
電動ではない車椅子に乗り換えて再度チャレンジしようとしたが、
もう、足がだらんとしてしまって、車椅子に乗り移ることもできず、
玄関を貞子状態(!)で這いつくばって、基地(?!)である布団に戻った。
そもそも髪の毛を月に数回しか洗えない、
家事ができない、
自分が企画した啓発フェスにも
「行けるだろうか、行けないだろうか」と悩んでいる私が、、、
どこをどうこねくり回したら、
電車に乗って通学し、
9時半から3時半の授業に出られるという発想にいたったのか(笑)
「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」
(ピリピ4;13)
まあ、私にできないことも、神にはおできになると信じたから、一歩踏み出したのだ。 2人にとっては、大きすぎるチャレンジだった。
緊張がほどけると、色々な想いがまじりあって、二人で大泣きしてしまったが、
真っ暗い部屋でくーちゃんが片言の日本語で聖書を読んでくれた。
疲れすぎて、何のことやらさっぱりわからなかった。
ちょうど、この日の前日、兵庫県から友達が東京方面に来ていたが、
「神学校に行くので会えない」と言った。
心のどこかで、「あれ?もしかして、明日行けない場合に備えて、
神様が慰めのために彼女を遣わしてくれたのかな?!」という想いがよぎったが、
いやいや、
「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」
(ピリピ4;13)という御言葉を再び胸に刻んだ。
だが、実際には、やはり、神様が彼女を遣わしていたようで、
神学校復学失敗!とメールすると、すぐにすっ飛んできてくれた。
友人は、家の教会を再開していると思っていたので、
「別に教会とか、神学校に行けなくたって、
家で礼拝してるんだから、それでいいよ。」と言ってくれたが、
実は、東京に越してきてからは、父と犬2匹の看取りで、
ハウスチャーチに外部の人を招くことができず、二人だけで礼拝を続けていた。
それでも、やっぱり、他のクリスチャンとの交わりを求めて、
近くの教会にお邪魔させていただくが、年に数回がやっと。
礼拝中も、発作を起こすし、礼拝中に薬を飲むので、
礼拝後には、逆にバカみたいにおしゃべりになり、
家に戻ると、ぐたっとして、身動きが取れないほど消耗してしまう。
かと言って、家の礼拝に人を招きたくても、
私の調子次第でキャンセルになったりすると、
来ている人たちの神を礼拝する権利を奪ってしまうので、
どうしても、協力してくれる第三者が必要だった。
神様のことは、聞かれれば、たとえ、点滴中でも、入院中でも、語ることはできる。
でも、聖書を勉強してみたい、神様に祈りたいと言われても、
「近くの教会へ行ってみて。」としか言えない状態。
それで、月に1回、神学校で学びつつ、横のつながりをつくり、
一緒に礼拝してくれる人を探したかったというのもあった。
すると、彼女が、な、な、なんと、こんなことを言ってくれた。
「私が毎月、兵庫から東京に来る予定だから、
ここに来たい人がいれば、呼べばいい。
雅子さんが、倒れている時は、くーちゃんと二人で奉仕するから。」と。
神様のあわれみと恵みははかりしれない。
これから、第二日曜日は、彼女が来てくれるので、
家をオープンにし、
バイリンガル礼拝(英語と日本語)ができることになった。
神学校に月に一度通える力を与えてくださいと祈ってきたのに、
それは与えられなかった。
でも、心の奥底で本当は祈っていた祈り、
でも、人間的に精神的に自信がなくて、
はっきりとは祈れていなかった心の奥の本当の祈りのほうに
神様はこたえてくださったのだ。
オーストラリアの友達にも、他県の友達にも、
東京に来るなら、この日をめがけて来てくれれば、
たとえ、私が寝ていようが、入院していようが、
礼拝はできるので、どうぞ!と言える。
会いたい人にも、その日に来てくれれば、
たとえ、具合が悪くても顔だけでも見れる。
誰も来なくても、彼女だけは来てくれる。
神様と共に生きたい人と、きよいふり、正しいふり、美しいふりをせず、
ありのままの自然体で礼拝できる。
牢獄のようなこの体の中にいても、
どんなに傷だらけで自信もなく、
どんなにいびつな私でも、
たとえ、ガラスのように砕け散ってしまっても、
神様が大事に大事に抱きしめてくださる。
わたしはお前を見捨てて、みなしごになんかしない。
わたしは、お前の祈りにこたえて、最善を与える。
わたしは、お前がうまれる前から、永遠の愛をもってお前を愛していた。
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