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今日は、ビタミンBとCの点滴を1年ぶりに打ちに行った。 |
腸内毒素症&リーキーガット
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最近は、会社で長時間仕事をしたり、友達と一日じゅう遊んだりすると、次の日には、体がウイルスにやられているようなだるさに襲われるようになった。 |
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私がLGSの治療のために飲んでいたDigestive SupportとAminoplexのサプリメントの注文先の名前が変更したので、記事に残しておきます。 VITA Centre 136 New South Head Road Edgecliff NSW 2027 Phone:61ー2−9328−1066 Fax:61−2−9328−1561 email:reception@vitacentre.com メール、または、ファックスで注文できます。 以下を参考にメールを送ってみてください。 *ちなみに、LGSやCFS、IBS、鬱病にも関与しているカンジタ菌を退治する「NILSTATIN」(商品名:NILSTAT ニルスタット)という薬が日本でも入手可能なのかご存知の方がいらっしゃいましたら、教えてください。 IBSの人や軽い鬱病の方に、このセンターを紹介したところ、やはり、カビ菌の繁殖がわかり、NILSTATで症状が軽減した、または、治ったという情報をもらっています。 To whom it may concern, I heard from my Japanese acquintance, Masako, in Sydney that you sell supplements for CFS. I would like to have the following supplements sent to Japan. シドニーに住む知り合いからそちらでCFSのサプリメントを販売していると聞きました。 以下の商品を郵送してください。 サプリメントの名前と数(Products & amounts) 自分の名前(name) 自分の住所(Address) 電話番号(Phone number) メルアド(e-mail address) クレジットカード種類(Credit card type) クレジットカード名前(Credit card holder) クレジットカード(Credit Card Number) 私は、この病院に通っていた患者であり、医者でもありませんし、 営利的目的も全くありません。 また、上記のものが、普通の薬局で医者の診断もなく、誰でも買えるという情報をいただきました。すべて食べ物や自然のものからできているので、心配ないと思いますが、もし、購入される方は、ご自分の判断により試してみてください。 |
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薬をすべてやめて3ヶ月が経ちます。 少々、ハイになりすぎていた時期も通り過ぎ、今は、本当に落ち着いてきました。 私の慢性疲労症候群や鬱病の原因は、LGS(リーキーガットシンドローム:腸漏れ)であることがわかり、新しい治療を開始してすぐに劇的な変化があり、それから、2年で普通の生活が送れるようになりました。 ありとあらゆることを試しましたが、元気になった直接の治療法を以下に箇条書きにします。 1)Digestive Supportで腸の解毒。 2)漏れているアミノ酸をAminoplexで補充。その他の漏れている栄養素をサプリメントで補充。 3)ニルスタット(Nilstatin)により、腸内のカンジタ菌を殺し、ラクトバックで善玉菌を増やし、腸内環境を整える。 4)ビタミンCとBの大量点滴を10回ほど。 もちろん、私が、LGSになったもともとの原因は、神様を知らずに自己中心的に生きてきた「的外れな生き方」から来るストレスだと私は思っています。 ストレスから、お酒やたばこ、不健康な生活が生まれ、抵抗力がさがったことで、ウイルスにいつもやられるようになりました。 その度に処方された抗生物質が原因で、腸内環境が崩れ、カンジタ菌が増え、腸の壁から食べ物が漏れ出し、漏れ出した食べ物や毒素に免疫が反応し、慢性疲労症候群(CFS)や鬱病の症状を引き起こしていたのでした。 自分ひとりで生きていたときは、自由奔放に見えて、実は、不安と恐怖とストレスたっぷりの「罪風呂(?!)」にどっぷりつかって生きていたのですから、霊的にも毒素がまわっていたということです。 また、神様を知った後も、「神により頼まずに、自分の知恵に頼っている」ときは、今でも、ストレス度が急激にあがることもわかりました。 鬱病(セロトニン欠乏脳)のほうは、もちろん、遺伝もありますが、セロトニンが普通の人よりもバランスを崩しやすい、傷つきやすくストレス耐性が低いのが自分なのだということを自覚して、生活を工夫していくことが必要なのだと思わされています。 私は、毎日、イエスキリストのカウンセリングを受けています。イエスは、本当に、最高のカウンセラーです。私の話をいつでも聞いてくださって、乱された心を整えてくださり、びっくりするようなテクニックを持って、私に魂の気付きを与えてくださいます。 しかも、ただ!(笑) 特に、問題がない日も、 私は、イエスの足元に座って、イエスの語るお話を聞くのが大好きなのです。 イエスキリストは、言います。 「互いに愛し合いなさい。」 「思い煩うな。」 「いつも喜んでいなさい。絶えず、祈りなさい。」 「主に、より頼め。」 「私は、あなたと共にいる。」と。 |
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大好きな友達が、しばらくの日本滞在の後、シドニーに帰ってきました。 私は、彼女のことが大好きです。 彼女も、自分自身のことが大好きだと言います。(笑) 自分のことが大好きな人は、一緒にいて本当に気持ちいいですね。 教会の友達が、ブログで「がんばれ!俺!」ということばを使っています。 彼も、本当に自分のことが大好きなのが一緒にいるとよくわかる明るく元気な男の子です。 そういう彼を見ていると、私も、「私も、君のこと、大好きだよ!」と叫び出したくなるのです。 自分が自分のことを好きになることができたとき、はじめて、人との関係もスムーズになりますね。 以前、心理学で勉強しましたが、人間は、自分の欲求を自分で満たすことができるようになると、自分の評価があがり、自分が好きになれるそうです。これは、本当だなあと最近、つくづく実感しています。 人間には、1)肉体的欲求、2)心理的欲求、3)霊的欲求があります。 肉体的欲求とは、食べたい、飲みたい、排泄したいなどなど。 心理的欲求とは、愛されたい、幸せになりたい、受け入れられたい、認められたいなど。 霊的欲求とは、自分が何のためにうまれ、何のために生き、死んだらどうなるのかという魂の探求のことです。 肉体的欲求は、健康な人なら、大人になればなるほど、自分で満たすことができるようになりますが、心理的欲求や霊的欲求は、大人になってもなかなか満たされないので、人間関係、恋愛、お酒、タバコ、麻薬、買い物、カルト宗教などに依存していきます。 愛されたい、認められたい、受け入れられたいという心理的欲求を人に満たしてもらおうとすると、本当に疲れますよね。 心の病気になりやすい人は、いつも、誰かの顔色や声色、相手の評価ばかりを気にしている人に多いような気がします。人が自分をどう思うかで、自分の点数が決まってしまうのですから、人のことばや態度に一喜一憂、、、大変です、、、それは、誰だって病気になりますよね。 自分が自分を愛する、自分が自分を認める、自分が自分を受け入れる、、、わたしも、なかなかそれができなくて、30年以上苦しんできました。 そうしたいけど、どうすればそうできるのかという方法がわからなかったのです。 でも、今ははっきりとわかります。 よく、「自分がしてもらいたいと思うことを人にしてあげなさい。」と言いますよね。 実は、その逆をつくのです。 「自分が人にそうしてもらいたいと思うことを自分にしてあげる!」 励ましたり、慰めたり、褒めたり、ときには、抱きしめてあげたり、ご褒美あげたり、自分の好きな音楽を聴いたり、絵を描いたり、、、。 自分が自分の親友になって、自分の気持ちや話をとことん聞いてあげる、、、自分と自分との関係が改善されたとき、はじめて、人にも見返りを求めずに、優しくできるんだなあということを最近、再確認しています。 最後に、最も大切なのが、霊的欲求、、、。 これは、神様が私たちに備えてくださった神と人間をつなぐへその緒のようなものだと私は思っています。 何か信仰を持ちたいと思っているが、どれにしていいかわからないという人や、何かを信じたいけど、宗教は嫌だという方に私は、たくさん会ってきました。 でも、この霊的欲求を満たすためには、一端、宗教とか、思想とか、哲学とかそういうものをすべて白紙に戻す必要があるのかなあと思います。 人間の思考というものは、本当にやっかいで、霊的な部分をどうしても邪魔してしまうからです。 そして、誰もいない静かなところで、神様と呼ばれている存在に直接語りかけてみてください。 求めれば、神様は喜んで私たちを導いてくださるということを私自身も実体験しました。 神様に話しかけているうちに、思いがけない出会いや経験、導きが与えられるから不思議です。 神様につながるへその緒は、この世にいきとしいけるものすべてのものとつながっているのです。 愛する子どもが求めているものを、神様は、必ず与えてくださると約束しています。 この3つの欲求、どれかひとつ欠けていても、私たちは、簡単にバランスを崩すということをつくづく感じています。 神様との霊的関係を持つクリスチャンでも、肉体的、そして、心理的な欲求をおろそかにしていたら、自分と自分との関係はぎくしゃくするし、また、いくら、心身ともに健康でも、霊的に満たされていないなら、自分との関係や人生も、虚しいものになるでしょう。 私の場合は、遠回りに遠回りして、自分が自分と仲直りすることができてはじめて、神様に出会うことができました。 でも、今振り返れば、自分と自分のまずい関係や心や体の病気のことも、もっと早くに神様により頼んでいたら、もっともっと早く自分のことを愛せるようになっていたのではないかと思います。 でも、すべてのことには、「神のとき」があるようです。 このブログを読まれる方一人一人の上に、神の導きと救いの業があるように、お祈りしています。 「神がまず私たちを愛してくださった」(ヨハネの手紙4:19) 私たちは、誰一人自分のものではありません。 私たちは、神のもの、神の作品です。 だから、私たちは、私たち自身を大切にしてあげなくてはなりませんね。 愛することは、決断だと教会で学びました。 今日、今このときに、 神を愛すること、 そして、その神が目に入れても痛くないと思うほど愛する「あなた」を愛することを どうぞ決断してください。 |








