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もともと泣き虫な私
大人になってそんなに泣くようなことはなくなったかなぁと
思っていたことが一時あったけど
最近は特にまた、涙もろくなっている
映画やドラマはもちろん
歌など
歌に関しては、歌詞とかで泣けるというより
歌声そのものに鳥肌がたって泣くことのが多くなった。
講演でいい話を聞いたときなども。
人がうれしくて泣いてるときももらい泣き
悲しくて泣いてるときももらい泣き
職場では、利用者さんでいつも明るくしてる人が
ふっと 「どうしてこんな身体になっちゃったんだろう」なんて
弱気になって愚痴をこぼすこともしばしば。
たぶん20代の私だったら、元気付けなきゃってがんばっちゃったかもしれないけど
今となっては
その人たちの身体の痛みや 自由の利かない身体へのもどかしさなど
私の計り知れるものではないのは承知の上だけど、悲しみの波動が伝わってきて
たぶん同調してるのかと思う
それは喜びの波動のときも同じ
以前は、悲しみの波動はマイナスで同調しないように
なんて思ってた時もあったけど
今は目の前に悲しんでいる人がいたらそれに共感して同調してもいいと思ってる
そして、今日も 朝から、
「もうどうなってもいいと思う」
という一言に始まり
それは私が思ってるそれとはぜんぜん違うものだとわかっていたけど
リハビリをしながら 病気で身体が不自由になったときの悲しみを語りだした
利用者さん
いつも明るくて 一緒にいると私がうれしくなってしまうような人なだけに
話を聞きながら仕事中にもかかわらずに、泣いてしまった
泣くのを我慢するのではなくって 声を上げて泣かないように我慢した。
わたしの中の奥にある記憶と共鳴したのだろう。
私は自分の中にあることを上手く言葉で表現できなかったので
自分のことまでは語れなかったけど
最近思うのは、今の私はそれでいいのだろうということ
そういうときに変に慰めの言葉をかけるとかでなくて
共感して一緒に泣くことしかできなくてもいいんじゃないかと。
たぶんそんなんじゃぁダメって言う人もいるだろうけど
いいんだよ、それで。って自分に言う。
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