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あぁもう…中盤から感動しっぱなし… |
Book-最近読んだ
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☆笑える ☆泣ける ☆感動 する本など紹介〜
気になるけど読んだことがない本も、知ってる方がいたら教えてください
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いまさらだけど… |
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この本は |
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オグ・マンディーノの本を読むのはこれが2冊目 |
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やっと 読み終わった おもしろい本だった 私は本読むのが遅くて 時間がかかる 細切れに読んでるんだけど、その細切れの中で 他の本に興味が移って 他のを読んでたりすると 先に読み始めたほうがなかなか終わらなかったりする。 でも この本 とてもおもしろいことがいっぱい書いてあった 最近私が考えていたようなことも 五木寛之さんの 独特の文章で表現されていて 感嘆 この本の中で 一番最初にわたしの気を惹いたのがこの文章 『しかし これは私の確信することだが、本当のことや、 真実はつねにどこかにいかがわしい感じをただよわせているものなのだ。 一見、まともに感じられる話こそ、じつは怪しいのである。』 五木寛之さんの本はまともに読んだことがなかった私には この語り口調の言い回しなど はまってしまった そして、最後のほうの 「暗愁のゆくえ」 も よかった 人は言葉にならない感情を抱えて生きている 人は見た目ではわかりません。 人間の心のなかというものはその人の外見とか 経歴とかいまある立地とか地位とか 立居ふるまいとかそういうことだけでは なかなかわからないものである 意外なものをみんなそれぞれ こころのなかに抱えて生きている つまり人間は すべてのそのような ある種の愁いに似た感情、 ふしぎなごろんとした重いかたまりを ひそかに抱えながら生きているのではないかと思います そう思うにつけ、人間というのはいじらしいものなんだな、 生きていくことは大変なものなんだなと つくづく思ったりするのです やっぱり私くらいの歳になると 周りにいる人に対して接する時 その人の背景を想像せずに人と向き合うことはできない いろんな人がいて 人それぞれ その人たちの生き方がある いま 目の前にいる人が自分の見ているほかの面も持ち合わせている 自分が想像すらできないことを抱えている人もいるだろう 最近特にそんなことを思っていたので、 この本のこの文章を読んだ時、ちゃんとこうやって 言葉で表現できる人がいるんだなぁ なんて、感激した。 五木寛之さんはそういうことではなくて この感情のことをここでは、述べれるのだが… このある種の愁いにも似た感情のことを 韓国では"恨”といい それは 人間には必ず一度はおとずれてくる普通の感情 ーそれがいつか通り過ぎていった後に『恨晴』という明るい世界がみえてくる 中国では”悒” ブラジルでは"サウダージ” ロシア語では”トスカ” などという言葉があるそうだ この「トスカ」を明治の作家 二葉亭四迷が「ふさぎの虫」と訳したそうだ 五木寛之さんは あるとき『暗愁』という言葉に出会い あっ!これだ と感じたらしい 一般に「心が暗くなるような悲しい物思い」と辞書では解説されているらしい。 そしてこの『暗愁』の"暗”は”暗い”ではなく "どこからともなくやってくる なぜということもなくあらわれる” というような意味だろうといってる人がいるという この本では この言葉が いつごろから使われ始め どういう様に使われてきたか そして 最近はめっきり使われなくなってきたのはなぜか というのが書かれていて よっぽど 著者がこの言葉を気に入ってるんだなと思った 自分が ちょっと落ち込んでる時など 暗愁を感じたら いやなものがやってきたな なんとか追い払おうとは考えずに 訪れてきたふさぎの虫と 向き合い正体を見つめ対話する 人は自らの中に暗愁を抱えて生きているのだと 納得し その暗愁の背後に 人生の不条理というものがある ということを しっかりみつめるのが 大事なことだと思うようにしている 戦後の時代は暗いものを よくないものと考え 明るいものをよいと考えた かなしみとか 悩みとかいうものをよくないものであると遠ざけ 泣くとか涙するとか 暗い思いをかみしめるとかそういうことを拒否したので 心のなかにそのような心理的な免疫性を育てずにやってきた おそらく 「暗愁」という言葉がひろく人々のあいだに親しまれていた明治には 「暗愁」を感じるものこそ立派な人間である という 思いがあったと思います ちゃんと暗愁を感じることこそ 人間の大事な資格である。と 人はみな暗愁を抱えて生きているのだと言う思いがある社会と そういうものを心にもっていることは病気だ、それはよくない、追放してしまえという時代 そして、人が暗愁を感じる時に それを表に出してしまうと、いじめにあう あるいは、みんなからのけ者にされる、だからこれを隠さなければいけない現代。 人々が必死で暗愁という思いを隠しながら、つくり笑顔で生きている。 そういう無理をした社会が戦後の何十年かではなかったかと思うのです と最後のほうは書かれていて わたしもとても共感した。 ”うつ”という病気がとても多い それもこの 誰もが抱えている気持ちを否定し蓋をしてしまった というのも一因ではないかと これを読んでいて思った。 人生というものは明るいだけではない。よろこびもあれば、かなしみもある。 天気と同じように、晴れた日もあれば曇った日もある、雨の日もある、嵐の日もある。 それでこそ自然のあり方なのです。 私たちがときどき、なんともいえない思いに駆られ、あーあ、と、大きくため息をつくとき、 そこに人生の手ごたえのある真実があり、そういうものを意識することによって、 私たちはまた 「恨晴」というような晴ればれとした、本当にいきいきした明るい日も体験することが できるのではないかとずっと考えてきました。 明治の社会では この一種の「暗愁」とう感情が認められていたとしたら 今よりやはり 思いやりがある社会だったのだろう。 わたしもこの本をよんで「暗愁」という感情って、 認められずにいる人もいまの社会のなかでは 少なくもないのかな?と思った。 自分のなかのそういった部分を認めている人と 蓋をしちゃってみないようにしてる人とでは 他人に対して、他人のそういった部分を認められるか 認められないかって 態度によく出ているような気がする。 とにかく おもしろく読めました。 詳しくは…こちらっ!!興味のある方はレビューや内容を参考にしてくださいo(^-^)o
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