すっかりご無沙汰しておりますが、堀さまから投稿いただきましたので、アップさせていただきます。
明恵上人と「鳥獣」たち(上)
堀 光夫
いよいよ、この四月二十八日より六月七日まで、上野の東京国立博物館において『鳥獣戯画−京都高山寺の至宝』特別展が公開されます。
近年、わが国のアニメ・漫画文化のルーツと特に人気が高く、教科書にも掲載されていますから皆様もよく御存知のことでしょう。この『鳥獣戯画』、平安朝から鎌倉期にかけて複数の手に成ることは実証されているのですが、なぜ京都高山寺に帰したのかは全くわかっていません。わたしはかつて、東博所蔵の断簡ばかり拝観する機会を得ました。狐や猿、そして蛙の戯態を描いて精彩あり。その妙味あふれる筆致に、しばし時を忘れてたたずんだのでした。
すっかり、とりことなったからには昨秋、京都国立博物館で行われました修理後初の特別展に、なんとしても駆けつけたかったのですが、あえなく叶わず、そこで後日、京博の展示図録を開いて驚きました。
先にも述べましたように、高山寺が『鳥獣戯画』を所有する経緯については全く定説がないにもかかわらず、「しかし、納まるに最もふさわしい場所が、小鳥が舞い、リスが住む楞枷山(りょうがせん)で座禅したという明恵上人(みょうえしょうにん)ゆかりの高山寺であったことは確かです」と、明恵上人冥々の御導きを謳っているではありませんか。
御上人の「鳥獣」に示された深い御慈悲、そして「鳥獣」たちとのただならぬ因縁奇瑞を知るものとして、ふと目頭に熱いものが込み上げてまいりました。
以下、明恵上人にまつわる「鳥獣」たちのお話しを、紙面の許す限り御紹介しましょう。
先ずは、今採りあげられた「小鳥」と「リス」ですが、国宝『明恵上人樹上座禅像』に登場します(東博特別展でも公開)。明恵上人は、高山寺裏山の景勝なるを愛でて楞枷山と名付け(『楞枷経』中の、お釈迦様ご説法の地になぞらえたもの)、終日終夜、あるいは幾日も座禅入観の日々を過ごされましたが、本図像はそのご様子を描いたものです。
画面いっぱいに亭々と生い茂る松林が描かれていますが、御上人は画面中央下、二股に分かれた松の根本(ちょうど座るのに都合よくくぼんでいて、縄床樹と命名された)で禅定(ぜんじょう)瞑目しておいでです。そして二股に分かれた松の、向かって右の幹中央では、十羽近くの「小鳥」が嬉しそうに飛び交い、向かって左の幹高所では、小首をかしげた「リス」が、愛くるしい目で見下ろしているのです。
京博図録解説によれば、「このような自然景観の中の座禅像としての肖像画は、鎌倉時代の高僧像としては例外的」とあり、いかに御上人が自然と「鳥獣」を愛されたかがうかがえます。「リス」については、「十六羅漢像」に「リス」を描いたものがあり、あるいはこれをベースにしたようですが(京博図録)、「小鳥」については、例えば『栂尾(とがのお)明恵上人伝記』にも残されているエピソードが想い起こされます。
御上人が座禅をしていられるときのこと、侍者を呼んでお命じになるに「後ろの小籔で、小鳥が何者かに蹴られている。行って助けてあげなさい」との仰せ。急いで駆け付けると、お話しの通り、小鷹に雀が蹴られているので侍者は追っ払って救ってやったよし。道理で図像中の「小鳥」が、楽しげな様子で自由に飛翔しているわけです。
このように千里眼もて「鳥獣」をお救いになる話は他にも多々あるのですが、殊に「子犬」はお好きで、実際飼っていらっしゃいました。今回の特別展でも、御上人愛玩と伝わる「子犬」の彫刻が展示されますが、単に動物愛護というものとは違う。
すなわち、御上人はわずか八歳のときに両親を失ったのですが、「犬」や「烏(からす)」を見るにつけて、もしや父母ではないかとも思い睦まじくされ、また敬うような心持ちになられたというのです。もし不覚にも「子犬」をまたいでしまった時などは、わざわざ引き返して拝まれました(『伝記』)。しかも、親とさえ思われる「犬」だけではなく、『伝記』の伝えるところ、馬や牛の前であっても相当な人物に対するように挨拶し、腰をかがめて通り過ぎられました。このような「鳥獣」への敬虔な態度には、「蟻螻(ありけら)、犬烏、・田夫(でんぷ)・野人(やじん)に至るまで、皆是れ仏性(仏となりうる性質)を備へて、甚深(じんしん)の法を行(ぎょう)ずる者なり」(『伝記』)との信仰が基底にありました。ですから、これは夢のことながら、あえて馴れ寄って来る獮猴(みこう、さる)のため、座禅行をも指導しています(『明恵上人夢記』)。
また、これも夢の話になりますが、樹の上に鵯(ひよどり)五羽ばかりとまっているのを懐にお入れになる。ついで小鳥を、鹿を、兎をと、どんどん懐中に取り込んでいかれる。その後、同様な行いを霊芝法師の「慈悲」徳のなかに見出し「不思議の思い」をされた、とありますが(『夢記』)、御上人の「鳥獣」に示される姿勢には、「慈悲行」の実践という側面もおありなのでしょう。
このように「鳥獣」を慈しまれた御上人ですから、その高徳を慕って「犬」や「鳥」、「馬」から「獮猴」に至るまでよくなついて来ましたが、最後に特別展でも公開される彫刻「神鹿」にまつわるお話しをいたしましょう。
重要文化財にも指定されている彫刻「神鹿」は、かつて高山寺石水院の春日・住吉両明神祠前方檀上に狛犬のようにして安置されていました。鹿が春日明神の使いとはよく知られているところですが、もともと高山寺は春日社の奥の院という思想があり、明恵上人また、春日明神の託宣を度々よくお受けになりました。建仁三年二月のことです。御上人は春日詣でのために途中、東大寺にお寄りになりますと、中御門あたりにおいて鹿三十頭余り、同時に膝を折って一斉に伏し、香気がただようという奇瑞がありました。しばらくして後、春日明神が降り給い、「鹿がひざまずいたのは、なんじ御上人をお迎えするためのしるしぞよ」と仰せになりました(『明恵上人神現伝記』、『春日権現験記』巻十八)。この「神鹿」のように、馴れ親しむばかりか伏し拝む「鳥獣」もいたのです。
さて、御上人のふところに抱かれるようにして集う高山寺の「鳥獣」たちにも、危機が訪れます。承久の大乱です。敗兵を多数かくまう明恵上人を賊徒北条方は、容赦なくひっ捕らえました。そこで御上人が敢然と抗弁されるに「然るに此の山は三宝(さんぽう)寄進の所たるに依りて、殺生禁断の地なり。よって鷹に追はるる鳥、猟(かり)に逃ぐる獣(けもの)、皆ここに隠れて命を続(つ)ぐのみなり。されば敵を遁(のが)るる軍士のから(辛)くして命ばかり助かりて、木の本、岩のはざまに隠れ居候はんをば・・・隠す事ならば袖の中にも、袈裟(けさ)の下にも隠しとらせばやとこそ存じ候ひしか。向後(こうご)々々も資(たす、助)くべく候。是れ政道の為に難儀なる事に候はば、即時に愚僧が首をはねらるべし」(『伝記』)と、身を挺して「殺生禁断の地」高山寺をお護りになりました。まことに「鳥」や「獣」が、自由に遊び戯れて生命感あふれる『鳥獣戯画』は、まさに明恵上人ゆかりの高山寺においてこそ所を得、光彩を放つことが叶いましょう。