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私が敬愛したHさんは、ある年の四月から、それまでの割と病棟の奥の部屋から
病棟の中程の部屋に移動になった・・・
当時の病棟は、要観察の度合いが深くなるに連れて、看護室の近くに移される傾向にあった・・・
Hさんは、ずうっと慣れ親しんだ仲間から離される事を、とても拒んだ・・・だが、病棟の方針は
変わらず、Hさんは移されてしまった・・・
丁度同じ頃、Hさんは、以前Hさんの居る病棟に居た看護師と恋愛をしていた・・・
Hさんは、元から才能豊かな方で、私達のアピール運動の広告塔のように活躍していた・・・
映画に主演したり、数々のコンサートをプロデュースし、また主演したりしていた・・・
特にHさんは詩作に秀でたものがあり、それまででも、DONパックというペンネームで数冊の
詩集を自費出版していた・・・
私達も、またHさん自身も、何れ結婚するものだと思っていた・・・
私達のアピール活動で福島で合宿した時も、とても仲むつまじい光景を目にしていた・・・
それが、お相手の相談役の、ある看護師の妨害とも言える反対に遭い、彼女に迷いが沸き起こって
しまった・・・1974年頃の障害者の置かれている状況は、年金も少なく、自立するには厳しい
状況にはあった・・・だがHさんの同病の兄と弟たちは、過酷な状況にもかかわらず自立し、
結婚をしていたのだった・・・
今もそうだろうが、筋ジス患者と一緒に生きる事は、いわゆる普通の生活をしている者にとっては、
とても想像出来ない「マイナスの人生」を背負ってしまう事のように思ってしまうのかも知れない・・・
特に筋ジストロフィー症は、何れ死に至る病なのである。
・・・若い彼女には、Hさんと一緒に生きる事よりも、残されるかも知れない自身の姿を思ったのかも
知れない・・・
Hさんと彼女は、何度も話し合ったようだ・・・私達もそれとなく、彼女を励ましたりした・・・
が、一度巣食った彼女の不安は、疫病のように彼女の心を浸食して行った・・・
結局彼女は、Hさんの前から去って行った・・・
Hさんは、悲しい気持ちにもかかわらず「恭よ!お前達の夢を叶えず、すまん・・・」と、一言
言った・・・私は、悲しみ以上に、もやもやした憤りで身体が震えていた・・・
それからHさんは、それまで部屋のセンターにあるテーブルで新聞や大好きな読書をしなくなった・・・
車椅子に乗ると、すぐ床頭台側の机の方を向くようになってしまった・・・
その姿は、頑なだった・・・
私は、何時もHさんの後ろ姿を見つめていた・・・
Hさんの夢は費えたが、Hさんの全存在は、私には何時も夜空に光り輝くスーパースターに
違いなかったのだ・・・
私はHさんが亡くなるまで、殆ど何時も一緒に居た・・・
時々Hさんは、持病の腎結石で伏せってる事があった・・・そんな時「たばこが吸いたいなぁ!」と
私に訴えた・・・「しょうがねぇなぁ!」と、私はHさんのたばこを割り箸で挟み、Hさんの口元に
持って行った。
・・・Hさんは「うめぇなぁ」と、目を細めて吸っていたものだった・・・
Hさんは、亡くなる直前まで読書と詩を愛していた・・・
Hさんは、今も私の心の夜空に燦然と輝くスーパースターの光を放っている・・・
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