やすぐす君の心象風景アラカルト

ここは、私と社会をつなぐ窓です。私の生きている想いを表現出来ればと思っています。ベッド上で、口マウスで、パソコンを操作してます。

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昨日の私のブログに、メッセージを頂いた・・・それを掲載する事とする・・・

>私、昨日のまりこさんについて書かれた阿部さんのブログと、それに対するまりこさん
ご本人のコメントを読んで、どうしても伝えたいことがあります。
で、まりこさんのコメントの下にコメントで入れようと思い、3時間くらいかけて考えて
打ったのですが・・・勇気を出して「投稿」ってクリックしたら、冷酷にも「500文字以内で」
と画面の真ん中にメッセージが(笑)
というわけで、申し訳ないのですがお願いです。
私の以下の文章、まりこさんにメールとかで伝えていただくことはできますか?
朝方まで熱中した打ったものを、まりこさんへ届けたいのです。
まりこさんのそのお孫さんへの気持ち、障害者側である私として、私もむしょうにありがたい
気持ちになって、なんだかとにかく、お礼が言いたい。
よろしくお願いいたします。



障害を持ったお子さん本人からすると、周りに心配されることで「これ以上心配かけたくない」
と思って強くなったりもしますが、あまり家族の不安そうな顔を見ると「自分の存在が申し訳ない」
という気持ちになることも、あるのではないかと思います。
まりこさんのような、「いいんだよ(^^)」っていう気持ち、「とにかくあなたが大事だよ」っていう
気持ち、そんな、健常な人と違う自分という存在を、あたり前にありのままにくるんでくれる
家族の中で育ててもらえるのは、何よりのしあわせですよね。
「がっちりと受け止めてもらって育ててもらう」って、障害あるなしに関わらず、子供にとっては
一番のしあわせ。
“ノー天気”なんかじゃなく、“最上級の強さ”です。
それは、お孫さんに必ず伝わって、大きくなった時まりこさんへの感謝の気持ちで一杯になると
思います。
それがあると、だんだん「家族」に対する、「友達」に対する、そして最後には「社会・世の中」に
対する自分の役目、というものにも、自分自身で自然に気づくことができるのです。
ただ、最後の「社会」に対しては、うっすら気づいても、私なんかはまだまだ勇気やきっかけが
なくて、具体的に実践できるまでは行ってないですけど・・・。

私は、まりこさんのような強くて明るい父親を筆頭に、両親と、今は亡くなった祖父母のもと、
すくすくと育ちました。
34歳にして小学3年生くらいの身長しかない私は、外を歩けば人にじろじろ見られて、それは
慣れることなく、「見ないように意識している裏視線」(私が今作った造語ですが笑)まですべて
過剰に感じながら、歯を食いしばり我慢しています。
ひとりで歩いているときに小学生の大群が前から来るなんてのはもう一大事、つい脇道に逃げて
隠れてしまうし、運悪く見つかって笑われたり追いかけられたりしたら、子供たちが飽きて去るまで
無意識に息を止めています。(おそらくは姿を消してしまいたい願望でそうなるのでしょう。)
そんなのが日常の私でも、それでも、心の芯が折れてしまうことは、ありません。
それどころか、自分の中にちゃんと『自信』を持って生きることができているのです。
不思議と言えば不思議ですね。
でも、あたり前と言えばあたり前。
なぜって、私の命を支える一番大事なその自信は、きっと家族の、自分へいつも真っ直ぐに向けて
くれた笑顔、まさに、明るい愛情がくれたものだということに他ならないっていうこと、そして、
そのちょっと考えればすぐにわかるそのことを、つねにベストなタイミングで小さいときから
少しづつ、確かに気づきながら、これまでのステップを踏んで来れたからです。
そういう風にちゃんと気づけたこと、それから、誰かれ問わず、大小かかわらず、「私も誰かの
助けになりたい」といつも願う気持ち、「助けになれる」、「助けになれた」と感じることが今
たくさんあることも、そんな環境で育ててもらったおかげなのでしょう。

だから私は、人の視線に負けて自分を卑下することもなく、うまく家から巣立つことができました。
今は、結婚して仙台を離れ、それぞれ遠くなってしまったけどしょっ中連絡を取ってお互いに
なんでも話せるたくさんの友達と、そして、私を1番と言ってどこにでも連れて行ってくれる
主人に囲まれて、いつも爆笑しながら楽しんで生きています。
今後は、『好きなところに自分で動ける障害者』という存在を生かして、どのようにそういう差別を
なくしたい気持ちを私なりに社会に伝えていくか、一生模索し続け・・・いや、模索だけで
終わらないように、実行していくか、が、課題です。
今はまだ、主人との暮らし、この家の中を完璧にして、忙しい彼の支えになる、ということで日々
満足しておりますが、でもいつも心のどこかに「なにかしなくちゃ」「私もなにかできる」という
気持ちは芽吹いていて、それを諦めて枯らさないように、大事に育てている感じなのです。

結婚前に働いていたときからそれはうっすらあったのですが、まだその頃は目の前の仕事の忙しさに
追われて、はっきり気づくことができませんでした。
その芽をグンと大きくしたのは、障害者に対してみんながとっても気持ちのいい接し方をしている
アメリカで短いながらも生活した経験でした。

あとは、私には、表現は不器用だけど心の優しい弟がいるのですが、彼が2人の子供を授かって実家に
おり、つまり私にとっては甥と姪が、私が実家に帰ると、「ゆうこちゃん、好き!」と、私に偏見なく
飛びついて来る、そのこと。
子供恐怖症の私の中の傷に、「あれ?大丈夫なんだ・・・」という、すごい効く薬を塗ってくれる。
あとは、子供を生んで親となる友達が増え、その彼女たちの子供に会う前は、私の障害というものを
ちゃんと子供に説明してもらうのを頼むようにしたこと、そしてそんな私を「ママの大事なお友達だよ」
と紹介されて「そうか」と素直に受け入れる彼らを見て、やはり、「あれ?大丈夫なんだ」。

さらには、障害のある子供を生んで、その親となった友達の「幼稚園に行ったら、いじめられるよね」
というつぶやきを聞いたとき。
その障害を持って生まれた子のまぶしい笑顔を見るとき。
その子の笑顔を見るたびに
「障害がある人を、避けたりじろじろ見たり、ましてや笑ったりするのは、間違ってる。
この子には、私がしているイヤな思いをさせたくない。
障害のある人もその周りの人も、みんな笑顔で過ごせる世の中にしたい!」
と、強く思う。
「そんなに難しいことじゃないのに。」「それには、私はなにをしたらいい?」という気持ちが、
フツフツと沸いてくるのです。

そんなさまざまなことが、ここ2〜3年の間に私の周りで起こり、中で起こり、そして同時に
阿部さんのブログの中で
「わが身をさらけ出して、健常者に、障害を理解してもらいたい。共に生きたい」
という想いで運動を起こして来た、という阿部さんの言葉、「わが身をさらけ出す」という言葉、
何度か目にして、そうだ、私は隠れてないで、むしろどんどん人目に触れていかなければいけない
ってことなんだな、と、答えを導いてもらえたような気持ちになっているところです。

えっと、最後になりましたが、私、5月16日に阿部さんにブログに書いていただいた者です。
最近はずっと読ませていただいてるだけでしたが、今日はどうしてもまりこさんと、娘さんと、その
お子さんへの応援をこめて、コメントしたくて書き込みしました。
若輩者のくせに、しかもかなりな長文、失礼いたしました。

ゆぴこ

以上が、Uさんからのコメントである。
・・・彼女は、先天的な骨の障害を持つ女性である。
・・・しかし、Uさんは、大学時代自治会活動を積極的に進めたり、障害を微塵も感じさせず、
明るいお姉さん的な存在だったそうだ・・・
私は、そんなUさんには、そのように振る舞う影に、計り知れない悲しい出来事があったに
違いないと思っている。
・・・が、Uさんは、家族や友人達に支えられて、見事にその障害を恵に代えたのだ・・・

アメリカ帰りのUさんには、日本の障害者に対する意識をいかに変えて行く活動をするか、
是非、一歩踏み出して欲しいものだ・・・・・

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先日同級生の方に尋ねて頂いてから、他にも何人かの同級生から、メールや手紙を頂いた・・・
私の頭の中の同級生達は小学校のままだから、思い出すのに苦労する・・・
そして、それぞれの文面から、私とは別な意味での人生の試練の跡を感じられる・・・

私のブログを読み、コメントまで寄せてくれたMさんが、手紙まで下さった・・・
何とご家族のお写真まで入っていた・・・Mさんは、ご主人と二人の息子、娘さんが居る・・・
うち、長男以外は結婚し、娘さんに赤ちゃんも生まれ、孫に囲まれ幸せそうにしている・・・

ただ、そのお孫さんに、若干障害があるそうだ・・・
お母さんになった娘さんは、子供の将来を思い、とても心配しているらしいが・・・
おばあちゃんのMさんは
「くよくよしても仕方がないよ! 前向きに考えて行こう! 私達家族で、面倒を見て行こう!」
と、娘さんを励ましたそうだ・・・
娘さん曰く「お母さんは、何時もそうなんだから・・・・・」と、Mばあちゃんのノー天気ぶりを
頼もしそうに見つめるのだそうだ・・・それはきっと、それまでのMさんの並々ならない
人生の中で培われた思いなんだと思う・・・・・
素晴らしいMさんである・・・
しかし、その心の内は、きっと「この子と共に」という覚悟を決めているのだろう・・・

世の人々は、障害を不幸な物と捕らえる傾向にある。
・・・が、果たしてそうだろうか・・・
確かに、障害のある子自身、また、その家族に降りかかる社会的な負担は、大きいだろう・・・
しかし、神は、決してただ無目的にその子を授けはしないと思う・・・
その子を通して、その子の家族と社会に愛の実現を図るのだと思う・・・
私自身、この病気故に様々な辛苦を経験して来たが、過ぎてしまえば、その試練もすべて
恵に代えられている事に気づくのである・・・

与えられた命は、すべて等しく、尊いのである。
・・・それを認める事の出来無い社会こそ、不幸なのだ・・・
だからこそ、神はそんな社会に警鐘を鳴らす為に、障害のある子供を送り出すのだと思う・・・

幼なじみ・・・

昨日、先日ひょっこり尋ねてくれた小学校の同級生から、写メールで写した写真が届いた・・・
彼女たちとは、丸四年ぶりの再会だった・・・

私は四年前に、小学校の六年生で別れ別れになった同級生達に、38年ぶりに同級会を
開いて頂いた・・・

私は、1967年の四月に仙台にやって来た・・・
以来新潟へは、夏冬の長期の休みの時位しか帰られなかった・・・
そして、帰った時には、何人かの同級生に会う事もあったが、あのように殆ど全員に
一堂に会して会う事はなかった・・・
私は本当に懐かしく、当時の面影を残す同級生達とそれまでの狭間を埋めるように
過ごさせて頂いた・・・

同級会の翌日、近所に住んでいる同級生のAさんとTさんとRさんが、私の実家に尋ねて
来てくれたのだ・・・
三人は、同級生の中でも特に仲良しらしく、わざわざ来てくれたのだった・・・
私達は、すでに50歳を超えている・・・Aさんは、孫まで居るそうだ・・・
私は、そんな年に至るまで私を覚えていてくれる事が、本当に嬉しかった・・・
そして三人は、今度は私の住む仙台に行くからと、約束してくれたのだった・・・

三人は、一家の主婦としてバリバリの現役であり、おいそれと家を空けられないのに、
夜行バスで来てくれたのだった・・・
三人は「久しぶりに温泉に浸かり、ホテルのフレンチを堪能出来たわぁ・・・
旦那や息子達と離れてね!」と、屈託無く笑いながら話していた・・・・・

写真には、小学校の頃の面影を残す三人の姿があった・・・
その三人の中に筋ジスの私が居る事に、私は感謝を覚えた・・・
ただ、私の体調が今ひとつだった事が、残念だった・・・
今度会う時は、もっと元気に食事でも一緒にしたいものである・・・

昨日、三年ぶり、私の20代の時の運動仲間が、尋ねてくれた・・・
彼女は現在、神奈川県でケア・マネージャの資格を取り、介護の仕事をしている・・・
絶えず利用者の予定優先の為に、自分の予定は、その空いている時となり、なかなか予定が
立てられないのだという・・・
それが、急に昨日がお休みになる事が分かり、予てから気になっていた私への訪問をなさって
くれたのだ・・・
彼女は、何時も私のブログを読んで下さっている為、私が個室に移った事をとても心配して
くれていたのだそうだ・・・

Rさんに最初に出会ったのは、今から31年前、私達が夏に行っていた「ハレ晴れ村合同キャンプ」
の合同合宿版として、仙台の泉が岳の麓にある公共施設を使って開催した物に、参加した時だった・・・
一般市民、大学生などを対象に呼びかけ行われた。
・・・大体100名強の参加者があり、私たちは障害者と健常者が「非日常の生活」を求め、
合同で行った・・・今では到底考えられない程の規模であり、市民の意識の高さなのである。
・・・しかも、当時では珍しかった、患者自身・障害者自身が発想し、主体的に進められる
アピール活動の企画の一つだった・・・
Rさんは、聴覚障害者の啓蒙活動に参加しているF大の二年生だった・・・後に、共に私達の
活動に参加する人達と一緒にキャンプに参加していた・・・
私は主催者側で、殆ど全体を見渡す係で、個別な関わりはなかなか取る事が出来無かったのだが、
当時のRさんは好奇心旺盛な女性で、何かと自分達の班を離れ、私の居る本部に顔を見せていた・・・
Rさんは「なごり雪」などで有名だった歌手のイルカ似の可愛らしい方だった・・・
私達は、何時もその合同キャンプで、障害者と共に生きる意味を考える事をテーマに行っていた・・・
それはそれで、一応の成果を見せていたが、主宰する私達は、もっと以後の積極的な関わりを
望む余りに、常にもどかしい物を感じていた・・・
結局、それらの思いが、キャンプという企画を見直す事となり、翌年の浜辺での「復活キャンプ」を
最後に、終了したのだった・・・

Rさんは、私達にとって数少ない、それ以後も私達と一緒にアピール活動を共に支えてくれた方
だった・・・
殆ど皆、週一度以上、バスを乗り継いで、西多賀の私達の所に来てくれていた・・・
私達は、障害の垣根を越えて、熱くなる程議論したり、メンバーのアパートに泊まりに行ったり、
互いの時間を共に生き合っていた・・・

ただ、どうしても当時は「学生の間」という壁が越えられず、皆、卒業と共に、それぞれの道に
歩まざるを得なかった・・・しかし、Rさんを始め四、五人のメンバーとは、卒業後も「友」として
関係が続いて行った・・・それは、私にとって、まさに青春時代の掛け替えの無い宝物だった・・・

卒業後も、それぞれの人生を歩んでいても、共に集うと一気に当時の思い・感覚にフェードバック
するのだ・・・
私は、この年になるまで生かされて感じる事は、私自身には、恐怖と悩みを与え続ける病気だが、
神は、それを通して、私自身と周りにも、本当に恵に代えて下さる事を感じずには居られない
と言う事なのである・・・

Rさんは、夕方まで居てくれた・・・
Rさんは、お父さんと認知症気味のお母さんの世話と仕事との慌ただしい毎日だと聞く・・・
私達の世代も、避けては通れない道なのだ・・・
それを屈託無い笑顔で語るRさんの優しさと逞しさを感じて、Rさんの心と身体の恵みと平安を、
心から願わずには居られないのである・・・

宮崎産の沢庵・・・

最近ブログを書いていて、書き始めの頃より格段にコメントが多く寄せてもらえるようになった・・・
拙い私のブログに、それぞれが向き合って下さる事が、とても書く励みになっている・・・
しかも、ごく最近ブログを通じて知り合った方から、その方が掲載しているブログに登場した品物まで、
送って頂いたりした・・・
私は、自分のブログには、飾らないありのままの自分の姿を書こうと努めている・・・
話題は、どうしても病院ネタやこれまでの自分の足跡ネタになる・・・そこには、何時も仲間達の
想いがあるからだ・・・言いたくても言えずに亡くなった仲間の顔が、絶えず浮かんでくるのだ・・・
ただ、決して単に暗くならず、読み手との共通項を探ろうとして、書いている・・・
きっとコメントを寄せてくれる方は、その辺を汲み取って下さるのだと思っている・・・

そんな中で、ブロ友からの贈り物が届いたのだ・・・普段私は、殆ど動けない病院生活である。
・・・その贈り物は、「外」の香りに満ちていた・・・
送り手のNさんは宮崎県の方で、長い事糖尿病を患っておられるようで、私にも病気は異なるが、
その切ない気持ちには共感を覚えるのだ・・・またNさんは、猫のイラストを描き、その作品は、
プロ級なのだ・・・しかも、「猫浪漫」というHP http://www.nekoroman.com/ も開催しており、
猫好きな方なら堪らない構成になっている・・・
この四月には個展も開かれるそうで、多くの方々に見に行って欲しいと願っている・・・

さて、送って頂いた物は、地元宮崎産の沢庵なのである。
・・・しっかり東国原知事さんのイラストが描かれている・・・
その味は甘い味付けで決して嫌みが無く、ご飯のおかずとしてもまたお茶受けとしてもいける物だ。
・・・食いしん坊の私としては、病院に居ながらご当地の美味い物にふれあう機会になったのだ・・・
全く幸せな事である・・・
さらにその事を通じて、メールでも交わりを頂き、私の病院生活のQOLが高まった気がするのだ・・・
私にとって、この経験は、ブログが無くてはならない物と感じさせる出来事になったのだった・・・

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