そう・・いつものようにラジオを聴きながら
アイロンをかけていた。そのとき・・
「・・セイジ・オザワ・・」
っと聞こえた。
その瞬間、いつもは聞き流している音楽なのに
急にスッと耳が音を受け入れようとした。
その変化は自分でもはっきりわかった。
その絶妙のハーモニーとメロディーの動き、バランス、ダイナミクス(強弱)
その表現と一体となり、目の前に音楽のイメージがはっきり見えた。
もし、私が「セイジ・オザワ」を聞き逃していたらどうだっただろうか。
同じようにこの音楽に入り込み、イメージを写すことはできただろうか。
コンサートやコンクールなどでも時折こういう現象に陥ることがあります。
特にコンクールなどでは、何度も何度も出てくる常連さんの演奏は客席側もそれなりにどういう演奏をしてくれるかという期待をもって、耳が態勢を整えるということがある。
その逆で、期待していなかった演奏者が期待以上に人を惹きつける演奏をした場合にもそういうことがあり得る。
でもその場合は最後まで緊張感をもって聴かれることが多い。
これは音楽だけに言えることではないのかも知れません。
有名なお店に期待をもって食事に行き、期待どおりに満足してこれるか
それとも首をかしげて帰ってくるか・・・。
お料理に関しても音楽と共通するところはあるのかも知れません。
難しいことを抜きにして言うと・・
いいものはいい・・・。
昔、とても有名なピアニストの演奏を聴きに行ったとき、体調が悪く、椅子にじっと座ってるのも辛かったとき、一音一音に魂を込めて弾くその演奏に「この人はなんて傲慢な演奏をする人だろう」と思ったことがあった。
のちに同じピアニストの演奏を聴いたときは「なんて繊細な演奏だろう」と感じた。
勝手な話ですがそのときの自分の体調、あるいは自分の音楽性にも変化があったのかも知れませんし、相手にも変化があったのかも知れません。
こういう不思議な感覚に魔法をかけるがごとく、芸術というのはその技術と感性に磨きをかけ、人々の心を動かし、支え、豊かなものにしていくのだろうと私は考えます。
でもやっぱり単純に・・・
いいものはいい。
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